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『クィア・アイ』日本編配信。ファブ5が解く、自己卑下の「呪い」

2019年11月15日 12:30  CINRA.NET

CINRA.NET

『クィア・アイ in Japan!』より
■Netflixの人気リアリティー番組『クィア・アイ』が日本上陸

Netflixの人気シリーズ『クィア・アイ』のスペシャルシーズン『クィア・アイ in Japan!』が11月1日から配信されている。タイトルの通り、日本を舞台にした新作だ。

『クィア・アイ』は2003年からアメリカで放送されたリアリティー番組のリブート作品として、2018年にNetflixで配信がスタートした。オリジナル版は様々な分野のスペシャリストである5人のゲイの男性、通称「ファブ5」がストレートの男性を「変身」させる、という内容だったが、リブート版ではシーズン2から女性の「ヒーロー」(各エピソードで変身する主人公)も登場している。

『クィア・アイ in Japan!』では、ファビュラスな5人=「ファブ5」ことフードとワイン担当のアントニ、ファッション担当のタン、カルチャー担当のカラモ、インテリア担当のボビー、美容担当のジョナサンが来日。アメリカ国外、しかも英語圏でない場所が舞台となるのは今回が初めてだ。

■「女を捨てている」と卑下する女性や、日本に居場所がないと感じるゲイの男性……日本社会の抑圧が浮かび上がる

全4話で構成される『クィア・アイ in Japan!』には「ヒーロー」として4人の日本人が登場する。

人のために尽くし、自分のための時間を持てない50代の女性、日本で生きづらさを感じている20代のゲイの男性、学生時代のいじめが原因で自分に自信がない20代の女性、自分の気持ちや妻に対して向き合うことができない30歳の男性――。アメリカで撮影された過去4シーズンの『クィア・アイ』でも自分に自信なかったり、本来の自分を表現できていないと感じている人々が登場していたが、多くは過去の経験や置かれている状況など、本人のパーソナルな問題が要因としてあったように思う。一方で『クィア・アイ in Japan!』に登場した4組の抱えている悩みや葛藤は、それぞれにパーソナルであると同時に、まるで日本社会の抑圧を象徴しているようでもあった。

例えば第1話のヒーローである「ヨウコさん」は、自宅を開放してホスピス看護師として働き、自分の時間も場所も人のために提供している。視聴者には、彼女が明るくてとてもチャーミングな女性だということは一目でわかる。しかし自分よりも他人のために働くことを優先する彼女は、友人の女性いわく「女を捨てている」という言葉で自分を卑下しており、ファッション担当のタンに対して「自分はこの色が似合う、とかそんな風に思えるような服が着たい。でも同年代の女性はあんまり派手だと、快く思わない人たちが結構いる」と話す。

また第2話のヒーローの「カンさん」は、「日本が自分の家だと感じない」「ゲイだという理由で社会に受け入れられてない気がする。日本にずっと住もうと思えない」とファブ5に明かし、第3話の「カエさん」は「自分に美しさが伴ってるとは思わないし、誰かに認められてるって思ったこともない」、第4話の「マコトさん」は「社会でうまく生きていくためになるべく自分を殺した方が楽」と吐露する。

女性の容姿に対するプレッシャー、人と違うことや目立つことを受け入れない不寛容さ……彼らが感じている他人や社会からの視線、そしてその抑圧にさらされていることへのある種の「諦め」の感覚は、日本で暮らしていれば共感する人は多いのではないだろうか。ファブ5にとっては日本の家も道も狭そうだったが、社会のなかにある目に見えない窮屈さも感じただろう。

■「『理想の女性像』は有害な考えだ」

ファブ5が番組を通して伝えるメッセージはシンプルだ。「自分を愛する」ということ。もちろん5人の手助けでヒーローたちの髪型やファッション、家の内装が劇的に変化するのは番組の醍醐味だが、全てはその人の内面を前向きに変えることに結びついている。

『クィア・アイ』をはじめ、「自分を愛そう」「ありのままの自分を受け入れよう」とする「self-love」のメッセージは、特に近年欧米のポップカルチャーのトレンドとも言えるくらい溢れている。ミレニアル世代は他の世代よりもセルフケアへの関心やコミットメントが高いという調査もある。「ありのままの自分を愛する」ことは言うほど簡単ではなく、定型文のように使われるそうしたメッセージには食傷気味にもなるが、『クィア・アイ in Japan!』の4つエピソードを通して浮かび上がるのは、いまの日本にこそ、そのメッセージは必要だったのかもしれないということだ。

カラモは作中で「『理想の女性像』は有害な考えだ」と訴える。「君はとても美しくて賢い女性だ。自分がそうだと認めるには、今まで周囲の人や自分が植え付けてきた否定的な自己像を克服する術を学ばなきゃ」と声をかけられた女性は、「こんなに励ましてもらったことない」と涙を流していた。

また第1話は「女を捨てる」という言葉がキーワードになっていたが、なぜ化粧をしたり、服に気を使ったりしていないと「女を捨てた」ことになるのだろうか。身だしなみを整えていない女性は女性でないのだろうか。「女を捨てた」に対して、「男を捨てた」という言葉が一般的でないのはなぜなのだろうか。

依頼人に対してジョナサンは「僕も人にいろんなひどいことを言われたけど信じなかった。自分の美しさを知ってるから。自分を美しく感じる方法を探そう」と言葉をかけ、タンは「自分らしい方法で幸せになるのがいい。まずは自尊心から」と寄り添う。彼らの優しくも力強い言葉は、「女を捨てる」という言葉について、さらにはこの言葉に慣れてしまっている自分と、慣れさせている社会について改めて考えさせる。

■水原希子の起用や、渡辺直美らの参加。日本の社会や文化について「知ったふり」をしない製作側の姿勢

言葉の壁があってもファブ5のメッセージは伝わることがわかった日本編だが、本作では日本をステレオタイプに当てはめて描いたり、「西洋人の見た東洋」としてある種の「上から目線」になりそうな構図を極力避けようとする製作側の姿勢も表れていた(全くないとは言えないが)。

本編配信前に公開された予告編では、日本語のフレーズを使うファブ5の様子や彼らの柔道着姿などが切り取られており、一抹の不安を覚えたが、作中のファブ5は、依頼人たちに「アメリカではこうする」といった考えを押し付けることもなく、わからないことは質問して理解し、尊重しようとする考えが共有されているようだった。

本作にはナビゲーターとして水原希子が起用されたが、前述の「女を捨てている」という表現については水原が日本における言葉の使われ方やその言葉が示唆する意味をファブ5、そして世界に視聴者に向けて説明する役目を担っていた。また第2話ではメイクアップアーティストで僧侶でありゲイである日本人の男性・西村宏堂、第3話ではタレントの渡辺直美がカラモによって依頼人との対話の場に招かれた。これも依頼人が日本社会のなかで抱える悩みに寄り添える、ロールモデルになりうる人物として彼らに協力を仰いだのだろう。

『クィア・アイ』のショーランナーでエグセクティブプロデューサーのジェニファー・レーンはVICEのインタビューで、ファブ5が日本のことを知っているように振る舞わせることはしたくなかった、日本で彼らが持つであろう疑問を水原に話し、知っていくのを聞くことが重要だった、と明かしている。

■「状況に対してどう行動するか」。ファブ5からの問いかけ

全4編と短い作品ながら『クィア・アイ in Japan!』は日本の視聴者にとってはこれまでになく共感できるシリーズになっただろう。

いつでもポジティブで前向きに見えるファブ5の5人だが、彼ら自身も様々な苦しみや痛みを経験してきていることはこれまでの番組や過去のインタビューで明かされている。日本語訳が刊行されたばかりのタンの自伝エッセイ『僕は僕のままで』(集英社)でも、彼が生まれ育った地で受けてきた差別や、『クィア・アイ』出演にあたって感じている不安や葛藤について赤裸々に綴られていた。

ありのままの自分に対して自信に満ち溢れているように見える彼らだっていつもそういられるわけではなく、不安を抱えながらネガティブな感情や言葉に負けないように戦い、自分とも他人とも真摯に向き合っているのだ。理不尽に自信をなくさせる「呪い」のような言葉や空気が遍在する日本において、彼らの姿勢にはそのようなネガティブな呪縛から自由になるためのヒントが詰まっている。ファブ5は、社会や他人からの理不尽なプレッシャーに対し、自分を保つことを諦めなくて良いのだと教えてくれる。

ジョナサンは第2話で、社会に受け入れられていないと感じている依頼人に対して「大事なのは状況そのものではなく、それに対してどう行動するかだ。東京が問題なのではなく東京での自分とどう向き合うかだ」と励ましていた。彼らは依頼人の葛藤を一般化して日本社会の問題を批判することはしない。あくまでその状況に置かれた個人に寄り添い、解決策を一緒に探るだけだ。だが「現状に対して個人はどう行動するか」という問いかけは、本作を通して改めて浮かび上がる不寛容な日本社会に生きる私たち一人ひとりにも向けられているようでもあった。