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高畑充希の言葉になぜ心動かされてしまうのか 『同期のサクラ』が描く“弱さ”との向き合い方

2019年11月13日 06:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『同期のサクラ』(c)日本テレビ

 もしも、『同期のサクラ』(日本テレビ系)のサクラ(高畑充希)のような人物が自分の職場にいたとしたら? もちろん決して悪い人間ではないが、少し面倒くさいと思うかもしれない。相手が社長であろうと誰であろうと、疑問に思ったこと、おかしいと思ったことはついつい口にしてしまうサクラ。でも、そんなサクラのおかげで、彼女の同期たちはこれまで事あるごとに大切なことに気づかされてきた。


参考:『同期のサクラ』新田真剣佑演じる葵の“価値のある言葉” 同期一巡を経て物語は後半戦へ


 これまで放送された1話~5話には、サクラのもとに、じいちゃん・柊作(津嘉山正種)からファックスで格言を送られてくるシーンがある。


「自分にしかできないことがある」
「自分の弱さを認めること」
「本気で叱ってくれるのが本当の友だ」
「辛い時こそ、自分の長所を見失うな」
「『勝ち』より『価値』だ」


 どれも簡潔な表現の中に、大切なメッセージが込められた言葉である。特に、第2話の「自分の弱さを認めることだ」という格言は、本作の中で生きるすべての登場人物に捧げられるべき言葉のように思える。誰もが少なからず“弱さ”を抱えながら生きている。しかし、しばしばその“弱さ”をごまかしたり、覆い隠したり、なかったことにしたりする。菊夫(竜星涼)も、百合(橋本愛)も、蓮太郎(岡山天音)も、葵(新田真剣佑)も、それぞれ形の違う“弱さ”があり、その“弱さ”とどう向き合うべきか、一人一人が思い悩んできた。


 そして、その誰もが抱える“弱さ”と向き合うことを助けてくれたのが、他でもなくサクラである。劇中でサクラはしばしば同期からはウザったく思われるが、サクラの眼差しはいつだって真剣そのもの。サクラがそこまでして同期のことを気にかけるのは、きっとサクラの夢の一つに大きく関わっているからであろう。その夢とは、何度もサクラが口にしている、「一生信じあえる仲間を作ること」である。


 サクラのように「一生信じあえる仲間を作りたい」と口に出すことは、少し照れくさいことかもしれない。でも、そうした「仲間」の存在は現代を生きる私たちにとっても大切にしなくてはならないものである。第2話から第5話にかけて描かれたような境遇にいる同僚が、私たちの周りにもいるかもしれない。


 2話の菊夫のように先輩の指示を断り切れずクタクタになっている同僚。第3話の百合のようにセクハラを受けている同僚。第4話の蓮太郎のように過剰に嫌なことが溜まって、自暴自棄になりかけている同僚。第5話の葵のように、エリート一家の中でコンプレックスを抱く同僚……。もちろん、サクラみたいな人間になる必要はない。でも、何かに押しつぶされそうにある同僚に気づいて、その“弱さ”に寄り添うことができるかどうかは私たちにも試されているように思える。そうした積み重ねによって、偶然出会った同期が「一生信じあえる仲間」になるのかもしれないし、その「仲間」のおかげで今度は自分が救われることだってあるはずだから。


 サクラは何度も夢を口にする。「一生信じあえる仲間を作ること」はその一つで、「故郷の島に橋をかける」「仲間とたくさんの人を幸せにする建物を作る」こともサクラの夢だ。かつて、「夢、夢、夢、夢、うるさいのよ!」「夢があれば偉いわけ?」「夢がないと、生きてちゃいけないわけ?」と百合がサクラにぶつける場面があった。


 もちろん今の時代、みんながみんな、はっきりとした夢を持っているわけではない。日々生きるので精一杯という人も多いだろう。でも、「夢」というほどのものではなくても、「こういう生き方がしたい」とか、「こういうものを愛し続けたい」といったものはあっていいはずだ。


 サクラみたいな人間にはまずなれない。遠慮や空気を読むことが、生きる上で必要な場面もある。だが、ついつい遠慮し“すぎ”ていないだろうか。空気を読み“すぎ”ていないだろうか。嫌なことを溜め込み“すぎ”てはいないだろうか。サクラの姿を見ていると、働く上で、生きる上で、何か大切なものを忘れているのではないかと、ふと気づかされる。それこそが『同期のサクラ』に釘付けになってしまう理由の一つであるように思う。(國重駿平)