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『G線上のあなたと私』3人の唯一無二の関係性に変化が 進むためにもがく波瑠から学ぶこと

2019年11月06日 13:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『G線上のあなたと私』 (c)TBS

「そこまで入れ込めるモノが見つからないって、ほんとはいちばんキツイよ。でも生きてかなきゃなんないじゃん」


「そんなの、思ってても口に出さずに淡々と生きてますよ。わかってますよたいていの人は。入れ込めるモノなんか見つからないって。いいんですよ別にそれで!」


参考:『G線上のあなたと私』は傷を抱えた大人の群像劇 今後は“主婦”幸恵のナイスアシストに期待!?


 『G線上のあなたと私』(TBS系)第4話。楽しければそれでいい、何者になるわけでもないと割り切って始めたはずの大人のバイオリン教室で出会った也映子(波瑠)と理人(中川大志)、そして幸恵(松下由樹)は、いつしか他の誰にも言えない本音をぶちまける仲になっていた。


 仕事関係でも、プライベートの友人でも、ましてや家族でもない、ただの習い事仲間。ふだんの生活を続けていたら、出会うことのなかった年齢も性別も環境も異なる相手だからこそ、カッコ悪い自分も見せられる。そんな唯一無二の関係性に。


 也映子と理人、そして幸恵の青春をリバイバルしたかのような心地良い空間は、日常という大きな波に飲み込まれ、再び泡沫のように消えようとしていた。なんとか時間を作って教室に通っていた主婦の幸恵は、義母の介護という生活の変化によって、その余裕を失い、バイオリンに触れることもできない日々を過ごし始める。


 その切羽詰まった様子でさえ、今の也映子にとっては“求められている“場所があるように見えて羨ましい。また、講師の眞於(桜井ユキ)に告白してこっぴどくフラれたけれど、それでも諦めきれない恋をしている理人さえも眩しく見えるのだった。それくらい、也映子の今は自分を突き動かす“コレ“というものが見つからないのだ。


 入れ込めるものがなく、ただ生きていくだけが人生なのか。他の人が持っているように見える何かが、自分にはずっと見つからないのではないか。大人になると、何年も、何十年も、同じような日常を繰り返していくうちに、そんな虚無感に襲われることがある。一方で、大人になったからこそ、自分をよく見せたいという見栄や、弱いところを見せるのが迷惑になるのではという遠慮も出てくる。心の中がささくれるような虚無感を、ヒリヒリと感じながらも口には出しても仕方ないと我慢し、淡々と生きているのだと、逆に年下の理人に諭されてしまう也映子。


 そんなものが見つかると思っている自分が甘いのだろうか。たった半年バイオリンをかじっただけで、音楽が好きだというのはぬるいのだろうか。半年前、婚約破棄をされて傷ついて、復讐と憎悪の象徴に聴こえた「G線上のアリア」は今、也映子にとって友情と再生のテーマソングに変わりつつある。「音楽に救われた」とはつまり、その音楽を通じて出会った何かを好きになったということ。


 バイオリンを弾けるようになりたい、という前向きな自分を好きになれたこと。その悶々とした気持ちを吐露できる仲間を好きになれたということ。憧れるような演奏ができる師を好きになれたこと。好きになった喜びを、その曲を聴くたびに心の中でリピート再生することができる。


 私たちは、結局「好き」で傷つき、「好き」で救われている。「好き」を集めて人生を生きているはずなのに、気づけばその「好き」が自分を窮屈にしていることもある。誰かを暴力的に傷つけていることもある。


 だから、今の環境で息苦しいときには、きっと新たな「好き」を必要としているサインなのではないか。街で聴こえた音色に、出先でふと目が合った人に、声をかけ、飛び込み、ぶつかってみる。そんな勇気が、「友だちが減っていく」大人にこそ、必要なのかもしれない。もしかしたら、そこから一生の友に巡り会えるかもしれないし、思わぬ恋だって生まれるかもしれない。さらには、今まで持っていた「好き」を改めて「好き」になることも。そして、仕事、家庭、趣味……と入れ込めるモノへと繋がっていくのかもしれない。


 自分にもそうした出会いが待っているのではないか。一歩踏み出してみれば……というエモーショナルな気持ちになるのが、このドラマの魅力だ。日常に少しだけ時間を作って、いつもとは違うアンテナを張ってみようではないか。


 「私だってね、頑張ってるんですよ。諦めてないんですよ、何一つ!」。そう、私たちは何一つ諦める必要なんてない。カッコ悪いを突き詰めれば、その姿勢そのものがカッコ良くなるのだから。必死にバイオリンを弾こうと努力する姿がカッコ悪くて、カッコいいのと同じように。


(文=佐藤結衣)