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松本孝弘はギタリストとしてどう磨かれた? BABYMETAL楽曲など盛んなソロ活動を機に考察

2019年11月01日 11:21  リアルサウンド

リアルサウンド

『Tak Matsumoto Tour 2016 -The Voyage- at 日本武道館』(Blu-ray)

 先頃リリースされたBABYMETALのニューアルバム『METAL GALAXY』に収録されている「DA DA DANCE」は、小室哲哉プロデュースによる“TKサウンド”の旋風が巻き起こった90年代を思い出させる、ユーロビート調にのせたメタルチューンだ。BABYMETALといえば、保守的でもあったメタルシーンに新風をもたらしてきたが、まだまだ攻めの姿勢は崩さない。当時、多くのメタルファンが良く思っていなかったであろうサウンドを今、メタルで昇華させているのだから、なんだか凝り固まってしまった音楽ファンへのアンチテーゼのようにも思えてくる。


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 80年代後半からのバンドブームから一変して、TVドラマ主題歌やCMタイアップ、カラオケの普及などによって隆盛を極めた90年代の“CDバブル”とも呼ばれた時代は、ロックファンにとってみれば少々面白くない側面を持っていた時代でもある。ビーイングブームからのエイベックスブーム、とくに“小室ファミリー”と呼ばれた小室哲哉プロデュースの楽曲群は、次々とヒットチャートを独占していく反面で、楽曲評価以前にその制作されていくスピードの速さに量産型の商業的なにおいを感じ、“流行”として音楽が消費されていくような危機感を覚えていた音楽ファンも多かったのである。ただ、当時小室が用いたのは、1980年代初頭に世界的に流行したHi-NRG(ハイエナジー、ディスコやクラブで人気の高かったダンスミュージックの一種)をポップスに持ち込んだイギリスの音楽プロデューサーチーム、Stock Aitken Watermanの手法であり、後年になって振り返ってみれば、のちのDTM(デスクトップミュージック)に繋がるスタジオワークスの効率化の先駆け、といえるものだったわけだが。


 そんなことを思い出した「DA DA DANCE」を、テクニカルなギターでハードに彩っているのは、Tak Matsumoto。言わずとしれたB’zのギタリスト、松本孝弘である。90年代のCDバブルを牽引したビーイング所属であり、かつては小室とともに音楽を作っていたギタリストがこのような音楽性に取り組んでいるのは、非常に興味深い。


 松本孝弘はB’zを中心とした“ハードロックのギタリスト”の顔の他に、スタイルにとらわれない活動も盛んだ。2004年にはギタリストの枠を超えた弦楽器奏者のレーベル<House Of Strings>を立ち上げるなど、精力的なソロ活動を行っている。2010年にリリースした、ジャズギタリスト、ラリー・カールトンとの共作『TAKE YOUR PICK』が第53回グラミー賞「最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム」を受賞、一躍その名を世界に知らしめる。もっとも、遡れば1999年に、ジミー・ペイジ、スラッシュ、ジョー・ペリー、エース・フレーリーに続いて世界で5人目、日本人として初のレス・ポール・シグネチャ・アーティストとしてギブソンと契約を交わしたことも忘れてはならない。


 2016年にGLAYのTAKUROのインストゥルメンタルソロアルバム『Journey without a map』をプロデュース。2017年にはハワイアン音楽の革新的なミュージシャン、ダニエル・ホーとの共作『Electric Island, Acoustic Sea』をリリース。今年10月24日には木梨憲武の配信EP『木梨ファンク~NORI NORI NO-RI~』に参加など、ジャズからハワイアン、小気味良いファンクまで、その多彩さはとどまることを知らない。


 松本のギタリストとしての特徴は、表面的な技術ではなく、“トーン(音色)”にあると評される。たとえギターに関する知識が少ない人でも、音楽番組『ミュージックステーション』オープニングテーマ(「#1090 ~Thousand Dreams~」(1992年))をワンフレーズ聴けば、それがわかるはず。甘く、艶やかに伸びてくあのトーンだ。


 「音を聴けばその人がわかる」……それはギタリストにとって最大の褒め言葉だ。いわゆる、“手グセ”と呼ばれるような得意なフレーズではなく、どんな演奏スタイルでもこなす様を表しているともいえるだろう。


 よく比較されることの多い、同時代に活躍してきたギターヒーロー、布袋寅泰やhideは、ギタリストであると同時に自らマイクを握り、フロントマンとしてのアーティストの顔を持っているが、松本はあくまでギタリストとして自己を表現することに徹している。


 こうした松本の匠なギタリストのスタイルは、B’z結成前、スタジオミュージシャンだったことに由来しているのかもしれない。


 1985年、ビーイングが制作した同社所属ギタリストによるオムニバスアルバム『HEAVY METAL GUITAR BATTLE』(VICTOR INVITATION)。北島健二(FENCE OF DEFENSE)、松川“RAN”敏也(BLIZARD)、橘高文彦(AROUGE)という錚々たるメンツの中に、松本孝弘の名前がある。その名がはじめて大きくクレジットされた作品だ。


 90年代にB’zをはじめ、ZARD、大黒摩季、T-BOLAN、WANDS……など、チャートを席巻していくビーイングだが、80年代はBOØWY、TUBE、THE 虎舞竜……といったバンドをプロデュースしており、LOUDNESSや浜田麻里といった、ジャパメタブームの火付け役でもあった。同時にテクニカルなギタリストを多く輩出している。先述の北島健二、松川“RAN”敏也、橘高文彦を筆頭に、デビュー当時17歳の天才ギタリスト湯浅晋(X-RAY)、本城未沙子や早川めぐみといったイニシャル「H.M.」の“ヘヴィメタクイーン”のギタリストを務めた“ジェットフィンガー”の異名を持つ横関敦など、HR/HM好きなら誰もが知る面々である。そうした中、浜田麻里や早川めぐみのレコーディングやサポートを務め、その名を轟かせはじめたのが松本だった。


 そして、松本のプレイスタイルをさらに大きく拡げたのが、TM NETWORKへの参加だ。TM NETWORKをデビュー当時からサポートしてきた北島健二の紹介により、後任のサポートギタリストとして迎えられた。


 1988年にリリースされたTM NETWORK『CAROL ~A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991~』は当時、日本の音楽シーンにとって斬新で革新的なアルバムだった。松本にとって初となる海外レコーディングであり、プレイに関しても“クリーントーンでの緻密なカッティング”という新たな境地によって「鍛えられた」と後年語っている。そして、このアルバムを提げたツアー『TM NETWORK TOUR ’88~’89 CAROL ~A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991~』では、「ダンスレッスンがつらかった」とも口にしているが、ファンタジーなミュージカルを取り入れた画期的なライブは、後年のB’zにおける大掛かりなステージ演出に繋がっているのかもしれない。


 松川“RAN”敏也のソロアルバム『BURNING』(1985年)で圧倒的なシャウトを響かせる謎のボーカリスト“Mr.CRAZY TIGER”とは、当時ビーイング音楽振興会(現・Being Music School)の生徒であった稲葉浩志である。そんな稲葉とともにB’zとして1988年にデビュー。当初は「TM NETWORKのビジュアルと音楽に寄せたグループ」という、プロデューサー・長戸大幸の狙いがあったというが、次第にハードロック色が強くなっていったことは説明するまでもないだろう。松本のギターも、ヤマハからギブソンに持ち替えたように、テクニカルなプレイスタイルから、ダーティーなサウンドを前面に出したスタイルへと傾向していった。そんなB’zの傍らで、ソロ活動においてはジャンルに偏ることなく、ギターキッズ的な探求心を忘れてはいない。


 元々は西洋で生まれたロックでありながら、どこか香る東洋的な世界観。和を感じる優しさと親しみやすさがある。ソングライティング、テクニック、サウンドメイキング……さまざまに奏でられる音楽はもちろん、ギターを愛する松本孝弘の日本人らしいアイデンティティに我々は惹かれていくのである。(冬将軍)