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ヒゲダン、長谷川白紙、花澤香菜……ロックやポップスでも発揮されるillicit tsuboiの手腕

2019年10月27日 16:21  リアルサウンド

リアルサウンド

Official髭男dism 『Traveler』(通常盤)

 Official髭男dism(ヒゲダン)の『Traveler』に収録された新曲、「Rowan」。エレクトリックピアノやウッドベースが紡ぐスローでメローな一曲だ。楽曲のつくりやそれぞれのパートが奏でるフレーズからしてみれば、いかにもスムースに仕上がってしまいそうであるにも関わらず、実際にはイントロからアウトロまで一筋縄ではいかないワイルドさを持っている。


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 たとえばドラムのビートはずっとフランジャー(サウンドの質感を変える、位相系とくくられるエフェクトの一種)がかかって金物がしゅわしゅわとしているし、ウッドベースの低音もふくよかというよりはごつごつ、ごりごりとしている。また、イヤホンなどで聴くとよくわかるが、きらびやかなキーボードの音色も左右の定位が激しく揺れ動く。ほかにもダブリングされたボーカルの録り音、挿入されるソウルフルなボーカルサンプルやSE等々、聴きどころに欠かない。


 ただし、目新しいエフェクトを縦横無尽に駆使してある、みたいなこととは少し異なる。「そうそうこれはやらないだろう」という意外さと、それでもポップスとして成立するさじ加減の妙がある。


 この曲、作詞・作曲はギターの小笹大輔、そしてアレンジとミックスを担当したのは日本のヒップホップシーンで絶大な信頼を誇るプロデューサー/エンジニアのThe Anticipation Illicit Tsuboi (以下、illicit tsuboi)だ。この情報をTwitter経由で知ったときはなかなか衝撃だった。


 筆者にとって、illicit tsuboiといえば1990年代から現在までヒップホップの名盤を数多く手掛けてきたエンジニア、ミキサー、DJだ。A.K.I. Productions、ECDとのコラボレーション、CQとMAKI THE MAGICとのキエるマキュウでの活動がまっさきに思い浮かぶ。近年ではKANDYTOWNのような若手との仕事や、待望の1stアルバムとなったPUNPEEの『MODERN TIMES』など、やはりヒップホップのイメージが強い。


 しかし、ロックやポップスのフィールドでも度々その名前を見るのも確かだ。ここ1、2年で言えば長谷川白紙『草木萌動』、花澤香菜『ココベース』に収録された在日ファンクの書き下ろし「パン」のミックスは意表をつかれた。ヒップホップ方面の参加作の評価については、どちらかといえばヒップホップ門外漢である筆者などよりも適任は数多いと思うので、ここではあえてこの2作について書いてみる。


 長谷川白紙は自らボーカルをとるばかりでなく、プログラミングまで行うシンガーソングライター。現代音楽のボキャブラリーを取り入れた、複雑な和声とリズムが交錯するサウンドは、ともすれば要素同士がかちあって聴きづらくなってもおかしくない。ビフォーアフターを検証できるわけではないから、illicit tsuboiがどれだけ手を入れているかは推測するほかない。しかし、音の塊が押し寄せてくるような快楽を維持しつつも各パートの輪郭が際立つサウンドが、長谷川白紙の楽曲が持つ混沌とは一線を画す複雑さを引き出していることはたしかだ。


 一方、花澤香菜はいまを代表する押しも押されもせぬ人気声優。「パン」は浜野謙太が作詞・作曲、在日ファンクが演奏し、illicit tsuboiはレコーディングとミックスを手掛けた。2018年作『再会』で新しい在日ファンクのサウンドをつくりだすのに一役買ったillicit tsuboiだが、「パン」でもその仕事の確かさは味わえる。花澤のボーカルをフィーチャーするためか、ファンキーなカッティングギターやブラスの応酬が在日ファンク本体よりもやや控えめな印象で、そのぶんベースラインが楽曲全体を牽引している。となると、いきおいベースのサウンドが楽曲の肝になる。ここでもまたごりっとしたベースのサウンドが、中央で楽曲を堂々支えている。


 ここで挙げた例で言えば「パン」や在日ファンクの作品がまさにそうだと思うのだが、illicit tsuboiのサウンドは「生々しい」けれど「生っぽい(=ライブ感がある)」のとはまた違う。録音され、ミックスされたサウンドとして真に迫る鳴りをする。これはやはりサンプリングを中心にしたヒップホップの方法であったり、世界中のレコードをディグした経験であったりから得られた、録音されたマテリアル特有の「生々しさ」への鋭敏な感覚に由来するのだろう。


 ひるがえってヒゲダンの「Rowan」も、illicit tsuboiのサウンドが持つ「生々しさ」がヒゲダンのバンドとしてのキャラクターに対してスパイスのように作用する一曲となっている。いくらでもそつなく整えられそうなところに、キャラクターの強いサウンドを挟み込むチャレンジ精神は、実際功を奏したようだ。(imdkm)