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キャラクターの情報量が少ないのはなぜ? 新海誠『天気の子』に見る、「口承文芸」からの影響

2019年10月26日 08:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『天気の子』(c)2019「天気の子」製作委員会

 新海誠監督の最新アニメーション映画『天気の子』はディズニー映画『アラジン』を抜き、今年度最もヒットした作品として観客動員数が1022万人を超え、国内興行収入が136億円を突破した(2019年10月15日地点)。また、第92回米国アカデミー賞国際長編映画賞部門(旧外国語映画賞)の出品作品に選ばれたことでも話題になっている。


 東京で見つけた仕事である雑誌の執筆をするために「100%晴れ女」を調査する家出少年森嶋帆高(醍醐虎汰郎)と、「100%晴れ女」である天野陽菜(森七菜)が世界のかたちを変えてしまう“秘密”について知る物語である。


 『天気の子』には「都市伝説」あるいは「伝説」が多く登場し、また一方で、キャラクターの情報量に関しては極端に少ない。それらのことから、私は「口承文芸」の要素が多いのではないかと考えた。本稿では、『天気の子』に見る、口承文芸との繋がりを考察していきたい(以下、『天気の子』に関するネタバレあり)。


■ストーリー展開の要となる都市伝説と伝説


 まず、口承文芸とは文字ではなく、口から耳で伝えられていく口伝えのもので、昔話、神話、伝説、都市伝説などがある。ただし、現代ではネットの普及により都市伝説を口承文芸として扱っていいのかが曖昧になっているが、大辞林などでは「口承される噂話のうち、現代発祥のもので、根拠が曖昧・不明であるもの」と解説されており、ここでは都市伝説も口承文芸の一部として扱う。


 『天気の子』で出てきた都市伝説は、帆高が雑誌の執筆のために占い師や公園のベンチに座っていた老夫婦、ファミレスの女子高校生に話を聞いて情報を集め調査をしていた「100%晴れ女」のことである。この都市伝説をきっかけに、帆高と「100%晴れ女」の正体である陽菜が行動を共にすることとなる。


 そして『天気の子』で出てきた伝説は、帆高の雇い主である須賀圭介(小栗旬)と須賀の姪である夏美(本田翼)が「100%晴れ女」について神社で取材をしていた場面で出てきた。神主のおじいさんが800年前に描かれたという魚と龍の天井画のある部屋で「100%晴れ女」のことを「天気の巫女」と言っており、さらに「天気の巫女」のような存在は昔はどこの地域にもおり、「悲しい運命が待っている」と続ける。これらの場面から、都市伝説と伝説は『天気の子』のストーリーが展開するための重要な要素だといえるだろう。


■キャラクターの情報量が少ないのは昔話に通じる?


 一方で、帆高や陽菜をはじめ、『天気の子』に出てくるキャラクターはその情報量が少なく、その点においては口承文芸である昔話の要素と似ているところがある。帆高は家出をして離島から東京にやってきたのだが、その家出の理由は明かされず、実家に帰った後もなぜ家出をしたのか語られることはなかった。陽菜に関しても、最後の方でようやくフルネームと実年齢が明かされるのだが、それまでは「ひな」という存在であり、年齢も偽ったまま話が進んでいた。


 このようなキャラクターの情報量が少ないという部分が、昔話との類似点だ。決して本名が明かされることのない、性格も外見もわからないおじいさん、おばあさん。桃から生まれたから桃太郎と名付けられた桃太郎。どのような土地に建てられ、どんな隣人がいるのかわからないおじいさんたちの家のように、昔話では登場人物たちの置かれている環境や周囲の人々の存在について、詳細は明かされない。というのも、昔話は言い伝えられてきた物語であり耳で楽しむものであるため、情報量が多いと耳だけでは理解することが難しくなってしまうからだ。


 新海監督は『世界ふしぎ発見!』(TBS系)では「昔話も万葉集も民話もあるいは昔からの風習も映画を作る上ですごく大事なインスピレーションの元です」と、「KAI-YOU」のインタビューでは「民間伝承とか口承文学として伝わっている昔話であるとか、昔から続いてる風習とか、そういうものを作品の題材にしていくというのは、特に『君の名は。』から意識的に行っています」と語っている。また、帆高の家出を明確に語っていないことに対しては、劇場用パンフレット内で「キャラクターが駆使される物語にするのはやめようと思ったんです。映画の中で過去がフラッシュバックして、こういう理由だからこうなんだっていう描き方は今作ではしたくない」と、その意図を明かしている。昔話や昔からの風習を意識的に取り入れている新海監督だからこそ、『天気の子』では昔話の要素がキャラクターに反映されていたのではないだろうか。


■東京の風景が緻密に再現


 前述の通り、須賀と夏美が取材をしているときに神社の神主は「天気の巫女には悲しい運命がある」と話しており、作中ではその天気の巫女の悲しい運命へのヒントが物語序盤から登場していた。実在する日本の月刊オカルト情報誌『ムー』のページを須賀がめくっていると、そこに「人柱」という文字が書かれており、その後、話の終盤あたりで天気の巫女である陽菜が人柱になって消えたら降り続いている雨が止むということが明かされる。また占い師の「力は使いすぎると消えてしまう」という発言もヒントとなっている。陽菜は力を使って晴れさせることを繰り返していくことで、体が水のように透明になっていったのだ。このように目にとまるかわからない一瞬の場面には、情報が多く散りばめており、後の展開の伏線となるような仕掛けが施されている。


 また、『天気の子』では、実際にある場所、建物が登場しており、『君の名は。』のときのように聖地巡礼を行っているファンが多くいる。新宿を中心に、東京の風景が緻密に再現されており、陽菜がアルバイトをしていた「マクドナルド」や、帆高が寝泊まりに使用していた「まんが喫茶マンボー」など実在する様々な店名をぼやかさずに描いていた。これらのことから、キャラクターの情報量が少ないことに対し、視覚的、あるいは物語的な情報量が多いことで全体のバランスがとれているのではないだろうか。


 新海監督の作風といえば、まず挙げられるのは画の細部にこだわるアニメーションだ。今作『天気の子』では、そこに「口承文芸」という新たな要素が加わったことで、その作家性はさらに進化しているように思う。今回登場した「巫女」は、前作の『君の名は。』でも登場していたが、次回作でも口承文芸は登場するのだろうか。頭の片隅に置きながら次回作に期待したい。(文=江崎由真)