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『少年寅次郎』も岡田惠和ワールド全開! 井上真央にとっての30代の代表作になる予感

2019年10月19日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『少年寅次郎』(写真提供=NHK)

 10月19日よりNHKの土曜ドラマ枠にて全5話で放送される『少年寅次郎』は、山田洋次が監督を務めた渥美清主演の国民的映画『男はつらいよ』シリーズのフーテンの寅さんこと車寅次郎の子ども時代を描いたドラマだ。


 脚本は連続テレビ小説『ひよっこ』(NHK総合)や『セミオトコ』(テレビ朝日系)といった数々の作品で知られる岡田惠和。原作は山田洋次が執筆した「悪童 小説 寅次郎の告白」(講談社)。


【写真】『少年寅次郎』第1話の井上真央登場シーン


 先日行われた試写会終了後の記者会見によると、本作が『男はつらいよ 寅さんDVDマガジン』の小冊子に連載されていた時から岡田が本作を愛読しており、ドラマ化は岡田の希望だったという。そう聞くと、原作に忠実なのかと思いそうだが、出来上がった印象は意外と違うのが本作の面白さだろう。


■岡田惠和ワールド=ユートピア的な優しい世界


 原作小説は車寅次郎の一人称で話が進んでいく。つまり一度聞いたら忘れられない、あの寅さんの名調子で進んでいくので、渥美清の声が頭の中でずっと流れているのだ。この語りは本作最大の武器で、これさえあれば何をやっても『男はつらいよ』になるのだが、逆にこの語りが大きな制約にもなっているとも言える。何より渥美清はすでにこの世にいないため、語りの再現は不可能だ。


 だからドラマ版は、この最大の武器をあっさりと放棄している。ナレーションは原由子が担当し、物語も寅次郎が誕生した夜からはじまっている。


 つまり、一人称から三人称視点に物語を置き換え、寅次郎を中心とした地域共同体の話となっているのだ。その結果、同じ物語を扱いながらも印象は大きく変わっており、『男はつらいよ』でありながら、『ちゅらさん』(NHK総合)や『ひよっこ』を彷彿とさせる、いつもの岡田惠和ワールドに仕上がっているのである。


 いつもの岡田惠和ワールドとはどういうことか? それは、性善説に基づいたユートピア的な優しい世界ということだ。寅次郎は父親の平造(毎熊克哉)が芸者のお菊との間に作った愛人の息子で、二・二六事件が起きた夜に、くるまやの前に捨てられていた。


 そんな赤ん坊を母親の光子(井上真央)はしょうがないねぇと笑いながら、実の息子として優しく育て、時に厳しく叱る。時代は戦時中で、平造は遊び呆けているため、決して豊かではないが、それでも元気に暮らす寅次郎にとっては温かい人々に囲まれた幸せな子ども時代だったということが見ていて伝わる。


■『おひさま』の陽子の延長線上にいるような女性


 そんな寅次郎を優しく見守っていたのが井上真央演じる光子なのだが、見ていて思い出すのは、岡田惠和が井上真央主演で書いた連続テレビ小説『おひさま』だろう。2011年に放送された本作は戦前・戦中・戦後の昭和を舞台にした作品で、井上が演じたのは後に国民学校の教師となる須藤陽子。


 5歳から子役としてキャリアをスタートした井上は現在32歳。『キッズ・ウォー』シリーズ(CBC・TBS系)で大きく注目され、学園ドラマ『花より男子』(TBS系)のヒロイン・牧野つくし役で大ブレイクを果たすという充実した10代を過ごした。『おひさま』は井上が24歳の時に出演した作品であり、10代から続いた明るく強気な痛快少女路線から、母親役も演じられる大人の女優へとステップアップする好機となった作品である。


 放送当時、「私は陽子。太陽の陽子です!」というキャッコピーが使用されたが、どこか朝ドラヒロインになりきれない自信なさげな印象が最後まで存在したのが陽子の面白さだった。


 太陽の陽という文字が名前にあるが、それは決して、神々しい輝きではなく、おだやかなひだまりのようなものだ。それこそ『おひさま』というタイトルに象徴されるやわらかなあたたかさがあり、『花より男子』の印象が強かった井上が、こういう役を演じられるのかと驚かされた。


 陽子は高等女学校時代に知り合った筒井育子(満島ひかり)と相馬真知子(マイコ)と三人でいることが多かったのだが、行動的で変わり者の育子と資産家のお嬢様の真知子の方が朝ドラヒロイン的で、そんな二人の間に挟まれて“こまったなぁ”という顔をしている陽子は、真面目で優しいことだけがとりえのいたって普通の女性だった。


 そんな彼女が国民学校の教師となり、軍国教育に加担し子どもたちに対する加害者性を持ってしまうことが『おひさま』の陽子の複雑な人物像なのだが、この難役を井上は見事演じきり、大人の女優へと脱皮していったのである。


 今回の『少年寅次郎』の光子は、陽子の延長線上にいるような女性だ。


 愛人の子供を育てる善意はあるが、強い意志を持った勝ち気の女性ではなく“しょうがないなぁ”と半分諦めたような優しい表情で受け入れる母親である。一方で、ダメな夫をうまくハンドリングしていくしたたかな部分もあり、決して世間知らずのお嬢さんではない。その意味で彼女もまた陽子のように強い日差しではなく、日だまりのような女性である。


 おそらく本作は、井上にとって30代の代表作となるだろう。


(成馬零一)