■狂気宿る、ジョニー・トー監督のオリジナル版『ドラッグ・ウォー 毒戦』
10月4日から韓国映画『毒戦 BELIEVER』が公開となる。本作は、ジョニー・トー監督の香港映画『ドラッグ・ウォー 毒戦』(2012年)のリメイク作品である。
香港版の『ドラッグ・ウォー』では冒頭、ルイス・クー演じる主人公である香港出身のテンミンが嘔吐しながら車を運転し、そのまま道路の傍にある中華料理店に突っ込むというインパクトのあるシーンから始まる。テンミンはコカイン工場の爆発から逃れていた途中で、中国公安警察の麻薬捜査官ジャン警部(スン・ホンレイ)と出会い、減刑を条件に捜査への協力を要請される。
この作品の中では、テンミンの罪は死刑にあたり、そこから逃れるためになりふり構わない姿は印象的だ。テンミンは、自分が死刑にならないためには仲間を売ることもいとわないし、ジャン警部からゆさぶりをかけられると、あからさまに情報をちらつかせ、なんとしてでも生きようとする。その執念が際立っていた。
ジャン警部とて、執念を持って麻薬を扱う犯人を捕まえようとしているという意味ではテンミンと同じだ。その執念と執念がぶつかり、最後の路上での銃撃戦に至るのだが、見返して改めて狂気の宿る作品であるとの感想を持った。
■中国公安の厳しい審査を経て完成させた野心的作品。乾いた銃声が響く「ジョニー・トーの銃撃戦」
公開当時のジョニー・トーのインタビューや、日本に来日したときのコメントを読むと、ジョニー・トーは本作で初めて中国大陸で全編を撮影したほか、中国でもそれまで公安を描いた作品がほとんどなく、厳しい審査を経て映画を完成させたのだという。ジョニー・トーは、銃撃戦もあまり撃つなと言われ、かなりカットしたとも語っているのだが、本編を見る限りほかの監督作と変わりなく、銃撃戦がとても重要だし、その分量が少ないようには見えなかった。これでカットしたというのなら、当初はどれだけ銃撃戦が多かったのかとつっこまずにはいられない(笑)。
ジョニー・トーの銃撃戦には独特の魅力がある。特に、私が「ジョニー・トーの銃撃戦」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、銃弾の残響である。外での撃ち合いは、銃の音がこんなに乾いていて、そして後に残るものなのかと思わされる。本作も、そんなジョニー・トーらしいアクションが満載の映画であった。
■香港人であるテンミンの生への執着、男同士の「情」を省いた物語に見る、香港と中国の関係性
今までジョニー・トーの映画に政治性と結びつけて見ることはあまりなかったが、ドキュメンタリー『あくなき挑戦 ジョニー・トーが見た映画の世界』(2013年)の中で彼は、犯罪組織の会長選挙を巡る抗争を描いた映画『エレクション』(2005年)を撮ったのは、「黒社会にすら直接選挙制があるのに、香港にはそれすらないからだ」ということを言っていてハッとした。
香港の映画人であれば、一国二制度のことは常に頭にある。そこから考えると、初めて中国で全編を撮影し、公安を描いた作品の中で、香港人であるテンミンが中国においてしぶとく生への執着を見せることは、何かの象徴であるような気がしてくる。また、普段は男同士の「情」を描くジョニー・トーが、テンミンと公安のジャン警部とが協力して捜査をするにも関わらず一切の「情」を描かなかったことにも意味があるのではないかとも思った。テンミンの執念は、香港(自分)は中国(ジャン警部)にのみこまれてはいけないという気持ちとつながっていて、それでも飲み込まれてしまうしかないほどに恐ろしいからこそ食い下がってはいけないということなのかなと、2019年の今だからこそ思えたのだ。
■韓国版のサブタイトルについた「BELIEVER」。男二人の間に生まれる「情」
一方、イ・ヘヨン監督による韓国版の『毒戦 BELIEVER』のほうはというと、サブタイトルに「BELIEVER」とついているように、男二人の間に「信じるか、信じてはいけないのか」という視点が入ってくる。「信じる」ということはもちろん「情」に繋がっていくのであり、そのことでオリジナルの場面を存分に生かしながらも、別の作品のような印象も残していた。
この作品を動かす中心となるのは、麻薬取締局のウォノ刑事(チョ・ジヌン)のほうになる。麻薬製造工場の爆破現場の唯一の生存者はラク(リュ・ジュンヨル)。組織に見捨てられたこのラク青年がウォノ刑事の協力者となるのだが、香港版のように、協力しないと死刑になるという切羽詰まったものはなく、若いラクが落ち着いていて、いつも不思議なほどに、いや怖いほどに余裕があるのが、大きな違いに見えた。
■正体不明の「イ先生」という新要素、潜入捜査で複数の人物になりすます場面はエンターテイメント性を強調
また、ラクの組織には、誰もその顔も正体も知ることのない「イ先生」という黒幕がいる。その正体をつきとめるという要素がストーリーに加味されることで、よりサスペンスの色が強くなっているのも特徴である。
そんな緊張感ある刑事とラクの行動の中でも見どころとなるのは、ウォノ刑事が麻薬取引の現場であるときは取引先の人物になりすまし、またあるときは闇マーケットのボスのほうになりすまし、捜査のために組織の人間たちと騙し合いをするシーンである。このシーンは、香港版にもあったのだが、本作が遺作となったキム・ジュヒョクのクレイジーな役作りもあって、よりエンターテイメント性が強くなり、一触即発、ハラハラドキドキのシーンになっていた。
■「他人を演じる潜入捜査官を演じた」チョ・ジヌンが見事に体現した狂気
売人にもマーケットのボスにもなりすまし貪欲に捜査をするウォノ刑事を演じるチョ・ジヌンは、善良な役も似合うが、一筋縄ではいかない雰囲気もあり、今回は、そんな彼の二面性から妙な色気を発しているようにも思えた。刑事である彼が闇社会の人間を演じるシーンでは説明のつかない暴力性で相手を圧倒させないといけないのだが、正常な状態の中で演じる狂気を見事に演じていた。ウォノ刑事が、取引の中で麻薬を吸い込み、朦朧として氷の張った水の中に体を鎮めるシーンは香港版にも存在するが、ある意味銃撃戦よりも印象に残るものになっている。
考えてみれば、潜入捜査をする刑事は、日常レベルで演技を続けないといけない職業のように思われる。潜入捜査官を演じる俳優は、正気のときと自分以外の誰かになりきっているときを劇中で演じ分けるのだから、潜入捜査ものほど、俳優にとって演じがいのあるものはないのかもしれないとも思えた。
■リュ・ジュンヨル演じる青年の冷静な佇まいがコントラストを生む
対して、先にも書いたが、リュ・ジュンヨル演じるラクの冷静さがコントラストとなっている。リュ・ジュンヨルは、ここ数年で韓国で難役を次々とものにしてきた若手俳優の注目株だ。暴力団組員を演じた『THE KINGザ・キング』(2017年)しかり、光州に暮らす平凡な大学生を演じた『タクシー運転手~約束は海を越えて~』(同年)しかり。
『毒戦』では、30歳そこそこのまだあどけなさも残る青年なのに、隙がひとつもなく、なにもかも見据えているような、それなのに、なにもかも諦めているようなラクのたたずまいを誇張なく演じていて、こちらも若手俳優ならば、誰もが演じてみたい役なのではないかと思えた。日本で言えば、誰が演じられるのだろうと、どの作品でも想像を巡らせてしまう。
■「情」をわかりやすく見せる韓国ノワールのロマンチシズム
こんな演技バトルと劇中のバトルを繰り広げる二人であるが、二人の間になにか理由のない、当人同士ですら説明のつかないシンパシーのようなものがあるからこそ、その人生がここまで濃密に交錯するのだろう。そうした「情」を、ある意味わかりやすく見せてくれるストレートなロマンチシズムが、今の韓国ノワールの特徴ではないか。香港版とはまったく違った余韻の残る結末で、見終わった後に、しばらく考え続けてしまうような映画になっていた。
(文/西森路代)