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「メイドインアビス」手がけた次世代のアニメ制作会社・キネマシトラス、ヒットの秘訣や設立秘話を聞く【インタビュー】

2019年10月04日 19:03  アニメ!アニメ!

アニメ!アニメ!

「メイドインアビス」手がけた次世代のアニメ制作会社・キネマシトラス、ヒットの秘訣や設立秘話を聞く【インタビュー】
アニメサイト連合企画
「世界が注目するアニメ制作スタジオが切り開く未来」
Vol.20 キネマシトラス

世界からの注目が今まで以上に高まっている日本アニメ。実際に制作しているアニメスタジオに、制作へ懸ける思いやアニメ制作の裏話を含めたインタビューを敢行しました。アニメ情報サイト「アニメ!アニメ!」、Facebook2,000万人登録「Tokyo Otaku Mode」、中国語圏大手の「Bahamut」など、世界中のアニメニュースサイトが連携した大型企画になります。


キネマシトラス 代表作:『メイドインアビス』、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』、『盾の勇者の成り上がり』、『東京マグニチュード8.0』、などがある。

みんなのチャレンジが画面にでる 設立11年キネマシトラスのパワー
『メイドインアビス』、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』、『盾の勇者の成り上がり』と次々に話題作のアニメーション制作をするキネマシトラス。
設立は2008年とまだ若いスタジオだ。一体その成功の秘訣はどこにあるのか。

注目のアニメスタジオについてお伺いする取材で訪れたキネマシトラスは、若手スタッフも多く活気に溢れていた。どうやらそんなパワフルな現場に理由がありそうだ。
そして新しいアニメの作り方にも果敢に挑戦する。キネマシトラスは次世代を代表するスタジオになりそうだ。

現場のスタッフは、実際にどう仕事に取り組んでいるのだろう。まずはデジタル部の原田真之介さん、作画部で『くまみこ』や『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』のキャラクターデザインも担当する齊田博之さんのおふたりにお話を伺った。
[取材・構成=数土直志]

キネマシトラス(Kinema citrus Co.)は2008年に設立された
入り口には代表作のひとつ『東京マグニチュード8.0』などのポスターが並んでいた
もうひとつの代表作『メイドインアビス』は北米最大のアニメ配信サイトCrunchyrollで「ANIME OF THE YEAR 2017 」を受賞、世界的に高い評価を得ている
スタジオの制作風景
■みんなが頑張って挑戦する キネマシトラスの強さ
――キネマシトラスに入られたきっかけについて、教えていただけますか。

制作&デジタル部の原田真之介さん、今後は企画プロデューサーの道を進む
原田:だいぶ遅いんですよ。大学を出てからフリーターしていて、27歳でアニメ業界に入りました。
最初はアニメ撮影のセクションでした。それを2年ぐらいですね。

制作に興味があって応募しようと思った時期に、中途で募集を出していたのがキネシトラスだけだったんです。
キネマシトラスに入ってちょうど5年目。今年32歳です。

――現在のお仕事はどういったものですか?

原田:所属は制作で、主に色を塗る仕上げや2Dワーク、背景に出てくるポスターとかの作品の中身のデザインをやっています。今後は企画のプロデューサーもやらせていただくことになると思います。

あとは、デジタル部で「管理(マネジメント)」もしています。
私がパソコン周りに明るかったので、デジタル作画も含めて、導入するにあたっての基準、フォーマットを作る打ち合わせや会議、紙からデジタルに変わっていくところの橋渡しを受け持っている感じです。

キャラクターデザインを担当する齊田博之さん、学生時代はあまり絵が得意ではなかったという
齊田::作画部、セクションとしてはキャラクターデザインですね。
キネマシトラスだと『くまみこ』とか『レヴュースタァライト』といった作品をやっています。

――アニメ業界に入るきっかけは?

齊田::高校ぐらいからアニメを見始めて、そのときアニメにはまりました。

――当時から絵はうまかったのですか?

齊田::いや全然描けなくて。専門学校に入ってから練習をした感じです。
高校3年生ぐらいのときに仲のいいクラスの友達がスケッチブックで「みんなで絵を描いて回そうぜ」ということがあって、それで描き始めたのがきっかけです。そこで絵を描くのにはまって。

アニメ科のある学校にみんなで行こうって話をしていたんです。けれど結局行ったのは自分1人だけ(笑)。

――『くまみこ』のキャラクターデザインを担当されたきっかけは?

齊田::もともとフリーのアニメーターの田畑(壽之)さんが『ゆゆ式』のオープニングの原画で誘ってくれて、それがきっかけでキネマとつながりました。
その後もちょこちょこ仕事をもらって、その流れで「『くまみこ』のキャラデ、やってみないか」と声をかけていただきました。

――若い子がいま「アニメーターになるんだ。キャラクターデザインを目指すんだ」って言ったら、それは積極的に応援してあげる感じですか? それとも「やめろよ、やめろ」みたいな。

齊田::好きならどんどんチャレンジしていったほうがいいと思います。

――実際にどういう人が伸びるのですか?

齊田::よく分かんない(笑)。最初は全然うまくない子とかも、数年でめちゃくちゃうまくなったりとかもします。何がきっかけでうまくなるかは全然分からなくて。


――お二人ともお若いですが、社員の方、契約でやられる方もいると思いますが、全体としても若いスタジオなんでしょうか?

齊田::作画で言うと、ほぼ20代ですね。

原田:齊田さんでも、だいぶ上のほうですもんね。制作も僕が今年4月で32歳になったんですけどだいぶ上です。
もちろん40~50代のベテランさんもいますけど、大体は20代前半、半ばぐらいなので、だいぶ若いスタジオなんじゃないかな。

――それが特徴になって、いいところはありますか?

齊田::いい意味で言うと、みんなチャレンジしてくれる。頑張って挑戦する感じが、すごい画面に出るんじゃないですかね。

■キネマシトラスのここが見逃せない


――作品についても伺わせてください。キネマシトラスさんは『メイドインアビス』『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』『盾の勇者の成り上がり』と、今イケてる作品がそろっています。これはなぜなのですか?どうやって選んだのか、当然選ばれているとも思いますが。

原田:クオリティーに対しては、誰よりも守らなきゃいけないっていう意識が高い。
代表取締役の小笠原(宗紀)が今までのキャリアの中で培ってきた部分が今フィルムに結実し始めているのがイケイケ感なんじゃないですか、恐らく(笑)。

齊田::やっぱり若い人の熱量が。みんな1本1本頑張って作っている感じがありますね。

――キネマシトラスでぜひおすすめ作品がありましたら。

原田:困ったな。僕は最初は『くまみこ』以外知らない状態だったんです(笑)。あとはかなり初期ですが『東京マグニチュード8.0』。

齊田::リアルタイムで見ていました。

原田:僕は結構いい話が苦手でして。泣いちゃうんです(笑)。『東京マグニチュード8.0』は刺さってしまって、今でも好きですね。

――キネマシトラスの原点でもありますよね。

原田:精神的な部分はあそこにあったんじゃないかな。小笠原に聞いたら「いや、ちげーよ」とか言われるかもしれないですけど(笑)。
その後に『ばらかもん』とかがあって。今はもうちょっとバラエティー豊かな感じです。最初の頃のイメージとまた違うのは、人が変わっていっての変化だと思います。

『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(C)Project Revue Starlight

――齊田さんはどうですか?

齊田::個人的には自分がやった作品の『レヴュースタァライト』の、レヴューシーンっていうバトルシーン。キネマのはえぬきの小出君っていうスーパーアニメーターの担当です。
全体的に小出君が手を入れているんですけど、すごいクオリティーです。

『盾の勇者の成り上がり』(C)2019 アネコユサギ/KADOKAWA/盾の勇者の製作委員会
――最近のヒット作で『盾の勇者の成り上がり』、国内でも海外でもすごい人気です。このヒットをどう捉えていますか? そして今後の展望があれば。

原田:僕から言っていいのかな? どうなんだろう(笑)。続けていきたい作品です。今回の放送では、原作の全部やっていませんし。その先の話がある。頑張って作っているのでその先は続けられるのでは。続けますと言っちゃいます(笑)。

人気は海外のほうが大きいのかな。もともと戦略的に目指したと聞いているので、そこは達成できているのでないかと思います。
テンプレどおりでなく意図的に外しているところがあって、「なろう」の部分をうまくかわして、キネマなりの作品になっている手応えはありますね。真っ当にドラマをやっている感じです。

ホワイトボードにはスタジオならではという落書きも。キャラクターへの愛を感じる一幕
■デジタル作画導入も進む、キネマシトラスの制作最前線
――社内の体制は、今大体何人ぐらいで作られているのですか。

原田:ここ(荻窪本社)以外に西荻窪にもスタジオがあって2ライン。だいぶ充実してきて、社内で色彩設計、仕上げまでやれます。
動画も動検さんとか中核になるセクションは社内です。動画さんは10人ぐらいかな。

撮影は有限会社T2studio(高橋プロダクション)さんが基本です。色彩設計は作品によって半々。
作画は齊田さんと、さっき話に出た小出さん、数名で作画監督やキャラクターデザインまでできる人。

齊田::そうですね。他に演出や原画。

原田:演出や原画が出来る人は出てきたんですけど、まだ片手で数えられるぐらいかなって。

齊田::5人ぐらいですか。

原田:今いる子や、これから入ってきてくれる人たちが育ってきて、増えてくれば、社内だけで1話を作るのが見えてくると思います。今はそこを目指しています。制作はラインのプロデューサーを含めて全部で20人。


――まだまだ大きくなりそうな感じですね。

原田:大きくしていかないと。もうちょっと先の話かもしれないけど、5年~10年かけてラインを増やしていくかたちになってきたかな。

――男女比はどんな感じですか?

齊田::制作だと男性のほうが多いですか?

原田:若干。でも、女性はだいぶ増えました。去年、一昨年ぐらいは女性が多くて。去年はほとんど。

――紙と鉛筆でなく、デジタルタブレットで絵を描くデジタル作画に取り組まれていると聞きました。いまどのくらい取り入れているのですか?

原田:僕が入る前から小笠原はやりたかったみたいなんです。ただ、なかなか思い切ってやれなくて。
僕が『メイドインアビス』を担当していたときに、アニメーターの森賢さんが岐阜でぎふとアニメーションというデジタルをメインとした作画スタジオを運営していました。僕もそこに便乗しました。

最初は「素材を送んなくていいや」とか、「外回りが少なくて済むな」とか、楽しようと思っていたんです。
けれどふたを開けると、制作進行という仕事があまりにも複雑化・激務化していてデジタル化をやらなければ続けられない状態でした。

ただメリットもあるので進めていきたい。森さんとどういう作り方をすればいいかをいろいろ試しました。
『メイドインアビス』の13話の原画をある程度の規模でデジタルでやってみました。

問題は山のように出たけれども、その経験が蓄積され『盾の勇者の成り上がり』の第3話は半分から6割ぐらいがデジタル作画です。


――実際に描くアニメーターさんからの反応はどうですか?

原田:キネマシトラスでも同じようにデジタル作画を進めようとした時は難しい問題がありました。会議の話し合いで「難しい部分がいっぱいある」って言ってくれたのが齊田さんでした。

齊田::キネマシトラスでフルデジタルとの話になったとき、キネマ側で機材とソフトを提供するとして、今まで使っていた人は使えるけど、使ったことがない人は用語とかは分かるもののどうやったら効率良くできるかが全然分からなくて。
ファイル構成もバラバラだったり、チェックするのも大変だったり。それをどうしようかという話になりました。ルール決めしようという段階です。

原田:少しずつ描いて、問題があったら戻して。今ようやくそこに入れた感じですよね。

齊田::ある程度ルールが決まって、やっとスタート地点に立った(笑)。

原田:最初に齊田さんが「キネマでやるからにはクオリティーを出して、かつ1日の作業量が紙だったときと変わらずできるような仕組みを作らなきゃいけない」と言ったのがもっともでした。
これからもいろいろ問題が出てきて、それを解決して、次につながるといいですね。

僕は制作で齊田さんは作画ですけど、ちゃんと集まって問題を話し合ってから作業に落とし込んでいく。キネマのいいところは何かあったらきちんとかたちがつくれるところです。


――チームとしてうまく回っている感じですね。

原田:今ようやくその体制が出来たところです。あとは10年、20年先のキネマを考えると、離職率を下げたい。人が辞めてしまえば1からやり直しになってしまいます。
結局、デジタル作画も長い間積み上げてようやく完成するので、人が離れてしまうとそこから作り直しなんです。いつまでたっても完成しない。

残ってもらうには、待遇の面や仕事の仕方だったり、新しいアニメの作り方を考えていかないと。今までのアニメのやり方では、フリーランスの方に頼んできました。
けれども僕らの先の世代ではそれは立ち行かなくなるんじゃないかな。デジタルになると、機材を会社で維持しなきゃいけない、そのコストもかかるし、それを有効に使うには、社内に常にいい仕事をしてくれる人がいないといけない。

アニメの作り方を変えるのと、人を残す両方を確実にやっていかないといけない。

■Twitterがきっかけで海外から『レヴュースタァライト』の原画に参加も!


――キネマシトラスに海外からの方が働かれたりはしてますか?

齊田::今年入ってきました。

原田:アジア圏がほとんどですけど、働いている人がいます。制作にも中国出身の子が1人。専門学校を出ての入社です。

齊田::去年はフランスの女性がインターンシップで作画の研修に来ましたね。

――機会があれば積極的に海外のかたにも「仕事をお願いします」といった感じですか?

原田:国籍で縛る必要はなくて、言葉の問題はありますけどアニメーターだとあまり問題になりません。

齊田::制作になると、たぶんコミュニケーションがメインになるので言葉は結構大変かもしれないです。
作画はそんなに関係ないんじゃないですか。海外の動画マンで台湾の子に1回教えたことはありますが、全然日本の子と変わんない感じですね。
多少言葉はカタコトですけど、やる気は変わらないし。むしろ海外の子のほうがやる気があったりとか(笑)。

原田:自分の国を出てわざわざ日本でやるってなると、覚悟はやっぱり違うなって。

齊田::それだけ本気っていう。

――いま海外でも日本のアニメはよく見られていますが、海外の人から作品の反応はありますか?

原田:Twitterを出すとすごいバーッと来るじゃないですか。

齊田::そうですね。『レヴュースタァライト』とかも小笠原さんのTwitterに結構反応がありました。海外からファンレターが届いたりとかも。『メイドインアビス』とかが、海外ですごい人気で。

『メイドインアビス』(C)2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会
――海外のファンを意識して作ることはありますか?

齊田::ないですね。

原田:僕もないんですよね。むしろ国と言うよりもアニメ好きな層。
誰に向けてより、見てくれる人、興味を持ってくれる人が1人でも多く見てくれればそれでいい。「どこからでも来いよ」って(笑)。「世界のどこからでも勝負するぜ」って。

――海外から仕事の依頼があったら?「キャラクターデザインをぜひやってください」って言ったら?

齊田::それはもうぜひ。海外で日本の絵柄のアニメが受けるのか分かんないですけど。

――アジア圏だと全然大丈夫だと思います。

齊田::Twitterとかで海外のイラストレーターさんの絵とか流れてきますけど、日本のイラストレーターの絵とかと全然変わんないような絵が流れてくるんで「すごいな」って。いまは海外のアニメーターさんも原画をやってくれたりしますよね。

原田:『レヴュースタァライト』も何人か海外でやってくれた人もいるんです。小笠原さんがTwitterで原画を募集してました。

――海外の方に対するメッセージをいただけますか。

齊田::ぜひ『メイドインアビス』を見てほしいですね。

原田:期待値も大きい作品ですがそれに応えられると思います。アニメの作り方としてもう一歩進んでいます。ちょっと期待してください。

■いろんな作品をやれる、キネマシトラスの未来


――今後の方向性も伺っていいですか?

齊田::1つヒットするものを作りたいです(笑)。「代表作はこれだ」みたいなのが。

原田:僕も同じです。これをやっていると会社が続くような、柱になる作品ですね。

齊田::東映アニメは『ドラゴンボール』がありますし、サンライズだと『ガンダム』。

原田:それだけで安定させられれば、その間に人を育てることもできます。僕はアニメの作る環境の中でよく言われる暗い話みたいなのは一切取り除きたい。
それをやる原資が必要なので、それには会社を支えてくれるビッグタイトル。今も十分いい作品がありますが、もう一歩上を出さないといけない。

――大きな話も聞いていいですか? 日本のアニメってこれからどうなると思います? 作品の傾向とか。

齊田::何が来るんですかね。知りたいです。分かればそれを作って、ヒットさせたいんですけど。


――絵はどうですか?一時、線がとても増えた時代があったんですけど、最近はまたちょっとスラッと。

齊田::最近はよく動く作品が多いんで、それもあってたぶん線がシンプルになってきてると思います。僕は美少女アニメが好きで育ってきたんで、線は多めになっちゃうんです(笑)。

原田:僕は映画・ドラマを見て育ってきた人間なので骨のある作品、丁寧なドラマを乗せられる作品にお客さんが戻ってくるんじゃないかなって。予測半分、期待半分みたいなところです。

齊田::最近、昔のリメイクがはやったりしてます。あとは絵柄も昔にちょっと戻って。流行って繰り返すじゃないですか。
ただキネマは作品の特色みたいなのはないですね。いろんなものが出来る。ファンタジーもあるし、なんでもござれ。

原田:いろんな幅があるから、いろんな作品をやれる。多様性は維持していけるといいな。いろんな毛色の作品をやって、経験値が増えていくと思います。
視野の広い会社、アニメーターさんもオールラウンダーになってもらえるといいですね。

――ありがとうございました。

原田:あと今年の新卒の採用も始めていて、こちらを告知させてください。今年初めて会社の説明会をやります。採用も制作、アニメーターさんと強化しています。

国籍を問わず、年齢も問いません。エッジの効いた作品を作りたい、自分で切り開いていくのがいいというタイプの人は一度門を叩いていただいて、一緒にお仕事をしてくれたらうれしいです。

これから大きくなっていくので、受け身よりはちょっと攻めるほうが得意な人が、ありがたいのかもしれないです。


ここまでは、現在のキネマシトラスの現場を支える若いふたりにお話を聞いてきた。しかし、なぜ? どうやってキネマシトラスは誕生したのか? その答えはスタジオの設立者である代表取締役・小笠原宗紀さんの胸の内にある。
そこであらためて小笠原さんに、キネマシトラス設立前後について伺った。そこからはプロダクションI.G、ボンズとの意外な関係も! そして創業当社には並ならぬ苦労があったことも明らかに。


次のページ:代表取締役・小笠原宗紀さんが語る、スタジオ設立秘話

■創業期に助けられた人とのつながり
――先ほど、原田さんと齊田さんのお二人にキネマシトラスについていろいろ伺ったのですが、会社の草創期については、やはり小笠原さんに聞かないと判らないかなと思いまして。そもそもキネマシトラスの立上げのきっかけは?

小笠原:『エウレカセブン』のTVシリーズの終わり頃、体調を悪くしたこともあり、ボンズさんを退職しました。
その時はもうアニメ業界に戻るつもりはなかったです。

そこから半年ほど経った時、プロダクションIG時代の先輩から『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』のお誘いをいただきまして……、『Air/まごころを、君に』が好きだったので、うっかり戻ってきてしまいましたが、今思うとちょっと軽率でしたね。
色々な想いが募って、キネマシトラスをつくりました。そこから12年目です。

――キネマシトラスは設立の頃、たしか劇場映画『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』をやっていました。

小笠原:キネマシトラスの設立の準備をしていたころにボンズの動画検査の岩長(幸一)さんから電話がかかってきて、「劇場版『エウレカセブン』の制作が足りないので、おまえ、ちょっと戻ってこいよ」と言われて。ちょうど会社設立するにあたって、ボンズの南(雅彦)さんに報告に行こうと思っていたところだったんです。

ボンズを辞める時、南さんに、「漁師になりたいです。マグロを釣りたいんです」って話して辞めていましたから。

――それだと止めようがない(笑)。

小笠原:南さんは恩人なので、また、そこから始めるのもいいかな……と。それで「劇場の制作、俺がやりましょうか。でも、会社設立してからがいいです!」と話したら、「いや、ダメだ!すぐ来い!」って言われて、会社設立の準備をしながら制作をやっていました。

――比較的すっと立ち上がったようなイメージがありました。

小笠原:南さんがいろいろ助けてくれました。ラインの都合、『ポケットが虹でいっぱい』を担当したのは南さん的にちょっと助かったと思ってくれたのかもしれなくて、終わったときにボンズに来た企画から、元請けのきっかけをつくってくれました。

それが『東京マグニチュード8.0』につながるんです。今思うと南さんが会社のプロデュースもしてくれたのかなって思います。

――すると当初から順調なかたちで?

小笠原:いや、会社をつくって1~2年の間は「もうダメだ」みたいなトラブルがたくさんあったんです。それを、南さんとプロダクションI.Gの石川(光久)さんが守ってくれたので、本当に感謝しています。

ルーツって大事だな、俺は育ててもらったことを絶対忘れちゃいけないんだなって感じました。


――キネマシトラスのスタジオの名前の由来は何ですか?

小笠原:最初はネクライムっていう名前だったんです。

――(笑)。

小笠原:けれど「明日登記するけどいいよね」って時に反対があって、緊急会議で決まった。シネマじゃなくて、古い呼び名のキネマなのは100年のこるフィルムを作りたい、時代が変わっても変わらない価値観が入っているドラマを作りたいという、前からあったアイディアでしたが、小笠原宗紀のムネキをひっくり返してからキネ、松家のマ、橘のシトラス。
立ち上げメンバーの4人のうちの3人の名前が含まれていたし、『シト』って入っているのがいいよね(笑)って。
そんな理由で決まっています。そんなもんです。

■スタジオ立て直しを目指した『.hack//Quantum』3部作
――新設のスタジオはどこも大変だと思いますが、クオリティーを落とすことなく続けるのはすごいですよね。

小笠原:僕がボンズに出向していた時に、残ったチームがある作品をグロス請けで担当したんです。立ち上げのバタバタもあったけど、出来上がったフィルムが厳しい出来上がりで、ショックを受けました。

でも『エウレカ』はきちんとしたクオリティーが出ているし……、新設だったカラーでもすごい作品が作れた……。
そこで初めて、自分がそれまでプロダクションアイジー、ボンズ、庵野さんの『ブランド』で仕事をしていたんだと気づきました。

確かに知り合いにうまい人は沢山いますが、いろんな事情があって、キネマの作品になかなか参加してくれなかったんです。
そこから考えるようになったことは、会社がスタッフに対してどれだけ長く高い給料を払えるのか、安定した働き方を何年も提示することで人は初めて仕事をしてくれるんだ、ということです。

プロダクションアイジーやボンズには、やりがいや将来性があって、たとえば「自分はここにいたらキャラデになれるかも」と思える環境がある。
そういう期待値を示せていないから、このフィルムができたんだなと思いました。そこから自分の思い上がりを捨てて、仕事に対する考え方の立て直しに入ったんです。

――『ポケットが虹でいっぱい』の後が『東京マグニチュード8.0』ですね。

小笠原:『東京マグニチュード』は、橘君の初監督作品ですが、信念と若さが相まって、追い詰められた時もあったんです。
それを村田和也さんとライターの(高橋)ナツコさんが寄り添い、守って一緒に走ってくれた感じです。この二人もキネマシトラスの育ての親だと思っています。

ドラマに関しては本当に満足していますが、作画のクオリティーには決して満足はしてない。人が集まらない中でもがいて、クオリティーをちゃんと出せたのは2~3本ぐらいじゃないかな。
最終回は演出の野村和也さんが自らアニメーターさんを集めてくれて、すごい表現力……。自分の力不足が悔しいな、監督や作品のために、やっぱり高いクオリティーを目指さなきゃって思いましたね。会社経営的には厳しいですけど……。

それで1回テレビから撤退しようと思ったんです。「ダメだ、勝てねぇ」って。
それでバンダイビジュアル(バンダイナムコアーツ)の湯川さんに「OAVの仕事をもらえませんか」と無理やり頼みに行ったんですよね。
『.hack//Quantum』は3部作で時間をかけて作らせてもらったから、ちゃんと満足出来るフィルムが生まれて。これを見た別のメーカーさんからも、仕事をもらえるようになりました。

――経歴が積み上がっていくとで「信頼できるね」となりますよね。

小笠原:そうですね。今みたいに仕事が来ることはなかったですよ。世の中は「仕事をください」と頭を下げに来るやつには冷たいですよね(笑)。むしろ仕事は自分からお願いしにいくほうが価値があるものと思うみたいです。

今と全然対応が違って、会議室でお茶だけ出されて帰ることはザラでした。でも『.hack//Quantum』以降は、僕は営業らしい営業はしてないですね。若手のプロデューサーさん達が仕事をくれることが多かったです。

僕はプロデューサー気質というよりデスク気質で、求められた仕事に応えよう、これをどうやってアニメにするんだ、どうすれば面白くするんだ?から着想を得てます。
それはあまり苦にならないし、苦手なジャンルも特にないので、意外と使いやすいと思ってくれたのかもしれませんね。

――今後はどうですか?

小笠原:自分が0から1にするオリジナル作品をまだやったことがなくて、引退作で1本だけやってやろうと今、仕込んでいます。

――まだまだ先ですね(笑)。

小笠原:いやいや、そうでもないですよ。アニメは視聴者と感性が近い若手を手がかりにして作るべきだと思うので。
今後は若手のチャレンジと未熟な部分をフォローする側に回りたいと思っています。

スタジオ設立者である代表取締役・小笠原宗紀さん(御本人のtwitterより)

――本日はありがとうございました。
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