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戸次重幸の術中にハマること間違いなし! 『MONSTER MATES』が描く“人間のリアル”

2019年10月04日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『MONSTER MATES』(c)CREATIVE OFFICE CUE / AMUSE

 ヴァンパイアにフランケンシュタイン。古くから語り継がれる伝説の中には、多数のモンスターたちが存在している。けれど、本当に「化け物」なのは誰なのか。「化け物」を定義づけるものがあるとすれば、それは異形の見た目なのか、人並み外れた能力なのか、あるいは心なのか。


参考:TEAM NACSの真髄がここに! 『PARAMUSHIR ~信じ続けた士魂の旗を掲げて』に込められた夢


 舞台『MONSTER MATES』を観ていると、頭の中にそんな疑問が渦巻いてくる。


 同作は、TEAM NACS・戸次重幸が手がけるソロプロジェクト第4弾。2019年2月から3月にかけて全国4都市で上演された。登場人物は、精神科医の坂上寛人(青柳翔)。その居候である三波秀和(本郷奏多)。同じマンションに住む鮮魚店店主の今野正志(前野朋哉)。ヤクザの桐谷憲次(戸次重幸)。そして、謎の男・Q(吉沢悠)の5人。坂上と三波の暮らすマンションの一室を舞台に、あることから醜くおぞましい「人間の本性」が暴かれていく密室スリラーだ。


●「あなたは不老不死になりました」その言葉が、男たちを「化け物」に変えた


 5年前の交通事故が原因で足に障害を負い、以来、定職に就かず、アルバイトを転々としながら友人の坂上のマンションで生活をしている三波。家族ともソリが合わず、動かない足に悲観し、すっかり厭世的な態度だ。賭けごとばかりが上手くなり、そんな三波の競馬予想を目当てに、同じマンションに住む今野が入り浸る。今野はうつ病を患い、かつて精神科医の坂上のもとへ通院していたが、今はすっかり快復し、陽気そのもの。妻が3人目を出産し、現在は里帰り中らしい。


 三波と坂上と今野。3人が鍋をつつこうと準備をしていると、招かれざる客が訪れる。ヤクザの桐谷だ。悪徳な金融業を営む桐谷に今野が金を借り、その額はあっという間に利子が膨らんで、300万円を超えていた。桐谷は、その取り立てにやってきたのだ。必死に頭を下げる今野に、容赦なく暴力をふるう桐谷。のどかだったはずの晩餐に、たちまち緊張感が漂う。


 しかし、訪問客はそれだけでは終わらなかった。今にも今野が桐谷に拉致されようとする中、突然、謎の男が入ってくる。黒いボーラーハットに、首元を赤いスカーフで飾った紳士風の男は自らを「Mr.Q」と名乗り、慇懃無礼な口調でこう告げる、「三波さん、あなたは不老不死になりました」とーー。


 脚本・演出は、戸次重幸。戸次の戯曲の妙は、大きく分けると2つ。ひとつは、絶妙な“抜け感”だ。5人の登場人物が揃い、いよいよ物語が動き出そうという高揚感で観客を痺れさせたと思ったら、次の瞬間、場面は転じて5人がのんきに鍋を囲んでいる。借金の取り立てに来たヤクザから、自らを不老不死だと言う正体不明の男が一緒に鍋をつつく、その構図が何ともおかしい。何ならQはやたらまめにアクをとる。そして三波が不老不死になったいきさつをQが説明する傍ら、今野はマロニーや春菊の煮え具合を気にかける。その細かいやりとりが笑いを誘う。


 当たり前だけれど、こんな大事な話をするときに、わざわざ鍋をつつかなくてもいい。けれど、あえてギャップのあるシチュエーションを放り込むことでズレや気まずさを生み、説明的になりがちな導入部に笑いをもたらす。ベースは緊迫のSFサスペンスだが、そこに適度な緩和を挟むあたりが、サービス精神旺盛な戸次らしい。


●群れをなすことで安心し、弱い者を見つけて残虐化する人間心理


 さらに、もうひとつの魅力が、二転三転する巧妙なストーリーテリングだ。突然、自分が不老不死だと知らされるというオカルト的SFの世界から、話が進むにつれて事態は思わぬ方向へ。まるで化かし合いのように、キャラクターの見え方も、事の真相も姿を変えていく。観客は、急流に翻弄されるように、先の読めない展開に身を任せるだけ。しかもそれがエンタメ的なハラハラ感ではなく、じっとりと喉の奥に苦味が広がるような不穏さとむごたらしさを通奏低音にしているところがたまらない。


 この『MONSTER MATES』は決して奇想天外なSF作品というだけではない。むしろフィクション性の高い題材を借りながら、描いているのは人間のリアル。特殊な状況下に置かれたとき、人はどれだけ強欲になるのか。人はどれだけ身勝手になるのか。問いという名の銃口を突きつけられているのは、観客の方なのかもしれない。


 劇中、ヤクザの桐谷のことを「弱い人間が弱いまま群れをつくり、強さを装っている。まるで大きな魚に食べられまいと群れをつくる小魚だ」とQが指摘する。けれど、「小魚」なのは、桐谷だけだろうか。自分ひとりでは何もできないのに、集団になると気が大きくなり、凶暴性を増す。どれだけ自分がみじめで浅ましくても、自分と同じような人間がいると安心し、何なら自分より弱い人間を見ると優越感を覚え、残虐な気持ちになる。自分のことを、そんな人間じゃないと言い切れる人が、どれくらいいるだろうか。少なくとも、僕は言えない。「化け物」は、そんな人間の狡さや愚かさのことを言うのかもしれない。


 タイトルに含まれている「MATES」は「仲間」。その愛らしい響きと、温かい意味合いとは対照的に、この作品の中で用いられる「仲間」はどこまでも利己的で悪辣だ。その皮肉さに、この作品の面白さを見た。


 戸次の演出は、観劇慣れしていない層にも楽しんでもらえるよう、場面の雰囲気ごとに照明を変え、視覚的に飽きさせず、見どころを明確にしている。また、映像のようにアップを使えない舞台の弱点を逆手にとり、劇中使用されるスマホの画面や写真などは映像で表示するなど、どこまでも見やすいつくりを貫いている。「演劇はちょっと難しそう」というイメージはいまだに根強く残っているが、戸次のつくる舞台は決して観客を置き去りにしない。戸次と、そしてTEAM NACSの舞台がこれだけたくさんの人に愛されているのは、こうしたホスピタリティも理由のひとつだろう。


 人間の持つ悪意の禍々しさにぞくりとするラストを経て、もう一度、DVDを冒頭から再生した。すると、序盤に鮮魚店店主の今野が楽しそうに魚をさばいている姿が目にとまった。最初に観たときは何とも思わなかったこの何でもない日常の様子に肌が粟立つのは、戸次の術中にはめられた証拠。狂気は、いつも日常にある。僕たちは、ある日突然「化け物」になり得るのだ。(横川良明)