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『いだてん』制作の裏側は“もうひとつのオリンピック”だったーーチーフ演出・井上剛の挑戦

2019年09月29日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『いだてん』写真提供=NHK

 明治から昭和にかけてオリンピックに関わった日本人の姿を描いた大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)は、そのスケールの大きさや斬新な映像表現において、テレビドラマ史上かつてない前人未到の大プロジェクトだ。


 この度、リアルサウンド映画部は『いだてん』チーフ演出の井上剛にインタビュー。ドラマ史上かつてないこの巨大プロジェクトは、一体どのようにして生まれ、進められてきたのか? 膨大な取材のもとで紡ぎ出されたかつてない物語と、スポーツを見せるための斬新な映像表現を次々と産み出してきた『いだてん』制作の背後には、もう一つのオリンピックとでも言うような、果敢な挑戦の連続があった。(成馬零一)


●緻密な取材によって生まれた物語


――もうそろそろ、終わりが見えたという感じでしょうか?


井上剛(以下、井上):いえいえ。スケジュール的に終わりが見えているはずなんですけれど、仕掛けが多く、大規模なロケーションもあるので、撮り切ることができるかどうか……。


――チーフ演出の井上さんが、どんな仕事をされているのか教えてください。


井上:基本的に全ての事柄に関わっています。企画が形になる前から携わり、企画から派生した物語を作り、物語の素材を取材するために、スタッフに調べてもらうことを振り分けます。同時に今後の展開に沿った牽引の仕方を考え、同時に俳優のキャスティングのアイデアと座組みを考えていく。


――井上さんがすべてを決めていくということですか?


井上:アイデアをもらって膨らませて、撮影方法等をプランニングしていくという感じですね。目指しているイメージのフラグを立てて、仕事の方向性を提示していきます。例えば、『いだてん』序盤は陸上の話ですが、うかうかしていると次は「水泳の話」になるので、水泳の準備をしなければならない。そして「水泳の話」と同時に戦争の話がはじまるので戦時中のことも調べなくてはいけません。ですので、それぞれを担当するチームのプロジェクトが同時に走っている状態です。一日の仕事で言うと、撮影もあれば編集もあり、各プロジェクトごとに膨大な打ち合わせがあり。それを毎日毎日積み上げていくという感じですね。


――『いだてん』を作ろうと思ったきっかけについて教えてください。


井上:「歴史」をやってみたいと思ったのが最初のきっかけです。戦時中の歴史に興味がありますか?という話を宮藤(官九郎)さんに話したら『円生と志ん生』(集英社)という井上ひさしさんの小説にある(古今亭)志ん生の満州時代の話とかいいですよね、と宮藤さんがおっしゃって。つまり、ドンパチやっている戦争ではなくて、笑いもありペーソスもあるというような話をやりたい。そういうざっくりしたイメージが最初にあって、そこから一度冷却期間を置いて取材している間に、オリンピックと戦争をつなげると歴史ドラマとして成立するんじゃないかと。そこから大河ドラマの企画として動いていきました。だから、オリンピックの話というよりは、志ん生という語り部が先にあったという感じですね。


――取材の過程で、金栗四三さんのことを知ったそうですが。


井上:最初にオリンピックに出場した日本人についてスタッフは誰も知らなかったんです。それで探していくと金栗四三さんというユニークな人がいたことがわかった。じゃあ、金栗さんが生まれた時期から1964年の東京オリンピックまでを取材してみようと思いました。それが膨大な取材量で、どこにも専門家みたいな人はいなかったので、我がチームの取材に全てかかってくるというか。雑誌から何から昔のことを徹底的に調べました。


――ドラマでは毎回、取材から入るのですか?


井上:基本的にはそうですね。ただ今回は、自分たちの想像を越えて大変でしたが。例えば、金栗さんの資料はほとんどなかったので、まず熊本に行ってご遺族に話を伺ったのですが、ご遺族の方もほとんど知らないんですよね。もう関係者の方も生きていない。ですので、戒名を見せていただいて家系図を作って関係者を当たっていきました。


――その取材過程だけでドキュメンタリー作品が作れそうですね。


井上:大変でしたね。今も田畑政治さんを筆頭とする登場人物のご遺族の方に、プロデューサーチームが毎回取材して、お話を伺っています。その中で作られていったキャラクターたちなんですよね。その取材内容を元に宮藤さんがキャラクタライズしていくのですが、あながち間違っていなかったりして。例えば勝地涼さんが演じた美川秀信くんは一般の方なので資料なんてないですからね。


――劇中のキャラクターは、実在した方と架空の人物がいるのでしょうか。


井上:ほとんどの登場人物は実在した方です。8~9割、忠実どおりだと思います。史実合わせをしていかないといけないので大変なんですけどね。一見、突飛に思われるかもしれませんがそうそう、嘘は書けないんですよ。


――天狗倶楽部は、クドカンドラマのキャラクターっぽいなと思っていたら、実在したと知って、とても驚きました。


井上:痛快で朗らかな人たちって本当にいたんですよね。そういう人たちのエピソードを掘り起こしてドラマのイメージを共有するまでに、ものすごく時間がかかりました。ですので、スタッフが共有できるように(イメージの)レールを敷くという作業ですね。同時に追加取材も並行しておこなっています。撮る段階になると、わからないことが新たに出てくるので。ロサンゼルスの描写もそうでした。日系人の街だとか彼らが食べにいったお店が今も残ってるんですよ。そうなると美術にも反映させないといけない。だから、調べ物はずっと続いています。脚本を作る上でのネタ探しとしての取材と、キャラクターを深める上での取材、更に彼らの生活環境だったり、時代背景についての取材を深めていかないといけない。そんな取材を繰り返して、スタッフやキャストの目に見える形になって、やっと演じることができるんですよね。


――脚本になるまで、どのくらいの時間がかかったのでしょうか?


井上:取材は3年ぐらいですね。だから、調べ物をずっと担当しているスタッフもいます。2014年の冬からやってます。


――足掛け5年ですね。2014年だと『64』(2015年)や『トットてれび』(2016年)の前ですね。


井上:そうですね。他のドラマを撮りながら、『いだてん』の取材に戻るという感じで、実は『あまちゃん』が終わった後、最初に立ち上がった企画がこれなんですよ。


●歴史と個人の関係


――井上さんは『その街のこども』(2010年)では阪神・淡路大震災、『あまちゃん』(2013年)では東日本大震災、『LIVE!LOVE!SING! 生きて愛して歌うこと』(2015年)では阪神・淡路大震災と東日本大震災をテーマとして扱っています。今回の『いだてん』では関東大震災を劇中で描いていますが、震災を描くにあたって、どこか重なるものはありましたか?


井上:劇中で震災を描いた意図は、作品によって違いますね。例えば『あまちゃん』は震災を描きたくて作ったわけではなくて、2011年の物語を作る上で避けて通れないものとして表現しました。ですが、僕たちは東北の地震を体験直接体験したわけではないんですよね。当時、僕は大阪にいたし宮藤さんも東京にいたので、離れている場所で、東北のことを想像するような表現として、模型だったりとか、東京にいる主人公たちの心情を描いた。そういう見せ方でした。


 一方、『いだてん』の関東大震災は、まさに東京の話だったので、これはもう知っている知らないのレベルではなく、真正面から描かないといけなかった。実際に金栗さんは、関東大震災の時に東京に物資を運んだんですよ。そのことを「すごいなぁ」と思ったので、まずはそのシーンをやらなければならないと思いました。志ん生がお酒を飲んでいた話、あれも実話なんです。この2つのエピソードがあって、一方は自分を取り戻すために、落語をするしかなかった姿を、プロジェクションマッピングを使って描きました。一方で金栗さんは走って何かを取り戻そうとしている。東京のど真ん中で浅草を舞台にしているので、凌雲閣(十二階)が崩壊することも念頭にありました。


――『いだてん』の関東大震災が他の作品と違うのは、物語のターニングポイントで起こっていることですよね。『あまちゃん』では震災からの復興がクライマックスだったのに対して、『いだてん』では、むしろここからが大変なことになっていくというか。だから、第二部は毎回感動して爽快なんだけど、どこか不穏な感じがありますね。


井上:当初から「お国のために」といった言葉を、わざと使っています。ストックホルム五輪に向かう金栗さんを「万歳」で送り出すシーンもそうですが、そういった言葉や行為が今後、どのような見え方に変化していくのかを、見てほしいです。その象徴が明治神宮外苑競技場、つまり後の国立競技場だと思うんですよ。震災の時には避難所になりましたが、1940年に東京オリンピックが来ると思っていたら、戦争が起こってしまい、学徒出陣をおこなう場所になってしまう。スポーツを追っかけていくと震災や戦争といった避けられないものにぶち当たってしまうんです。その時に選手たちスポーツ関係者がどのように立ち上がっていったのかは、調べていくと素直に感動することがたくさんありますので、そこは盛り込んでいます。


――感動すると同時に困惑するみたいな、妙な気持ちになります。


井上:そこは狙っているところですね。


――熱狂とか感動それ自体に疑問が浮かんでくる。感動しながらも、いいのだろうかとモヤモヤしてしまいます。


井上:スポーツで盛り上がりたいという気持ちは理解できるじゃないですか。でもそれがナチスの熱狂になると、これでいいのだろうか? となってしまう。大友良英さんの音楽もそうで、初期の頃にヒロイックに盛り上げた音楽が、180度、位相が変わって聞こえるようになり、スポーツの熱狂と、疑問を感じる熱狂が、同じ音楽で綴られます。なんで人間はそうなってしまうのかを、自分たちも知りたくて作品を作っているところはありますね。


●スポーツと落語


――落語の語り口を持ってきた理由を教えてください。


井上:一つは志ん生の話をやろうとしていたからというのがありますね。同時にナレーションだけになっちゃうとお勉強みたいになって正解だけを語っているようになるので、もっと同時代の人たちの気分を語りたかったんです。もう一つはスポーツ実況のイメージですね。今の視点で語っても醒めちゃうので、スポーツ実況みたいな感じで落語を捉えられないかというのが狙いですね。


――基本的には誰かが喋った話ということですか?


井上:そうですね。タイトルに「~噺~」と付いているのは、そういうことだと思います。だからたまには本当か嘘かわからない怪しいものもありますね。


――劇中では様々な映像が登場します。オリンピックやスポーツの見せ方もバリエーション豊かですね。


井上:第1クールでは本気で走ってもらっています。そうじゃないと臨場感が出ないので。「昔はこれぐらい走るってバカなことだったんだよ」ってことを見せないといけなかったので。マラソンなんて認知されないし、走るって「何それって?」という時代の話なので本当に走らないといけなかった。それが慣れてきた第2クール(ストックホルム・オリンピック以降)からは、スタジオでルームランナーを使った撮影が増えていきます。肉体のアップだとかスローモーションを使って臨場感を出すというスタイルをやってみたりとか、説明で走る場面を見せる時は地図の上をグラフィックで走ったりとか。


――スポーツの撮り方はその都度、考えていったのですか?


井上:映像のパターンが何種類も必要だというのは、カメラテストをしたときに思いました。自分たちで撮影方法をブックマークしていき、撮影で使っているところです。そうでなければ毎週毎週、間に合わないので、準備期間の時に試行錯誤しました。


――今回、演出には大根仁さんが参加しています。NHKのドラマが、外部のディレクターを起用したことには驚きました。


井上:大河では初めてですね。大根さんの他にもVFXの尾上克郎さんや、衣装の宮本まさ江さんといった方々の力をお借りしています。台本ができてない時点で、みなさんに集まってもらって、企画の趣旨を話したのですが、みなさんポカンとしてるんですよ。金栗さんや当時の風景の写真を部屋中に貼って1964年までのキービジュアルを見てもらったのですが、「ベルリンのスタジアムはどうするんだ?」「前畑がんばれ、どうするんだ」「箱根駅伝どうするんだ」と、どうやって映像化すればいいのかわからなくて、みんな途方に暮れていましたね。だから最初は東京高等師範学校のある、文京区大塚近辺をみんなで歩きました。浅草までどのくらいの距離感なのか知るために『いだてん』に登場するエリアをつぶさに歩いてみたんです。その時に気づいたのですが、東京はどこに行っても工事をしてるんですよね。必ず何かを壊したり作ったり。だから、戦争や震災だけじゃないんだとそこでわかって。市川崑監督の記録映画『東京オリンピック』でも、いきなり鉄球でぶっ壊すところからはじまるのですが、『いだてん』でも、オリンピックのために日本橋で工事をしているシーンからはじまります。


――東京の話でもあるんですね。


井上:東京を舞台にしたドラマはあまり作ったことがないので、今回はじっくり描いてみようと思いました。そうやって見えてきた山積みの課題を一つずつみんなの知恵と頓智で乗り切っている感じですね。


――水泳のシーンはカメラのバリエーションがいろいろあって面白いですね。毎回一つ一つ発明があるというか。


井上:スポーツを撮っていて面白いのは、スポーツが発展することってそれを見たいという事で映像技術が発展してきたことを追体験できたことです。泳いでいる場面を真下からとってみたり、スローモーションが生まれたり画面がカラーになったのもスポーツのおかげなので、そういう映像の変化も見えたらいいなと思ってやっています。初期はローテクの撮り方をして、アスリートの能力が上がって、人見絹枝さんが登場する頃くらいからは、かっこいい取り方を導入しています。


●演出家との連携「ワンチームで作りたかった」


――複数の演出家さんが参加されていますが、各演出家の連携はどんな形で?


井上:プロジェクトごとにリーダーを決めて動いています。第1クールは僕が引っ張り、第2クールの脚本は一木正惠が殿になって取材をした内容を宮藤さんに投げて、終わり頃に僕が参加するみたいな感じですね。一方、第2クールの肝となるところは大根さんが撮るみたいに、役割が期間ごとに変わっていくんですよ。ある時期には、大根さんに第3クールの脚本の取材に力を注いでもらっている間に僕がたくさん撮っていたり。


――決まった場面、たとえば寄席のシーンは一人の演出家が担当するということでしょうか?


井上:そういう時もありました。普通は一話につき、演出家が一人で担当するのですが、それでやっていると今回は終わらないというのが直感的にわかっていたので、横割りにして「寄席」は誰々が担当、嘉納治五郎さんのシーンは誰々が担当という感じで進めています。


――シーンやキャラクターごとに得意とする演出家が担当するという感じですか?


井上:完全に分けているわけではないですけど、例えばオリンピックの盛り上がる場面では西村(武五郎)に担当してもらいました。オリンピックのシーンは立ち上げるのが大変で、大きなプロジェクトになるので、そこにもう一人プロデューサーに入ってもらい、西村にリードしてもらって、その間に他の演出家には別のことをやってもらいます。


――クレジットでは演出家の名前は1人ですが、実は複数の人が細かく割り当てられてるんですね。


井上:メインは1人ですが、他の誰かが撮っていたりもします。2009~11年に『坂の上の雲』というドラマがありましたけれど、あのような大規模なドラマは、普通は3チームぐらいで撮ります。1年ごとにスタッフが変わっていき、役者は変わらないという形で、そういうやり方もあるのですが、今回はワンチームでやりたかったんですよね。ワンチームの中で役割を変えながらやっていく中で僕ら自身も変化しています。1年半以上撮っていますので何とかで長丁場を楽しめる体制を作ろうと思いました。


――長丁場だと毎回、全力疾走はできないですよね。


井上:ただ、全力疾走させなきゃいけない時もあるので、全力疾走させている間は他の人がバトンを引き取って手伝うという感じですね。手を抜くことができない連中が集まっているので、そういった連携には注意を払っています。


●まずは「知りたい」と思った


――今後、物語は戦争へと向かっていきますが、どのように描かれるのでしょうか?


井上:そのものズバリというよりは、スポーツ選手や市井の人々の話を追いかけていたら、そこに戦争が来たという感じですね。シビアな展開が続きます。ベルリンオリンピックで活躍した日本選手たちが1940年の東京オリンピックのために頑張ってたのに、招致がだめになって、戦争に行かされる人もいるという時代になっていくのですが、それも事実を単純に追いかけるだけではなく、これまで積み上げてきたキャラクターたちの関係性の中で描きました。志ん生も満州に渡り、そこで彼が見た戦争も描かれます。同時に五りんくんたちフィクションの人たちが、今までこういう風に描かれてきたが何故かがわかるようになります。そして戦後になり、1964年の東京オリンピックへと向かっていくのですが、田畑がなんでこんなにエネルギッシュに「オリンピック」にこだわってきたのかも理解できて、来年のオリンピックの見方も変わると思います。


――『いだてん』は極力その当時の再現をめざしつつ、当時の人々の気持ちに寄り添っているように見えます。


井上:「知らなかった」というところから始まっている企画なので、現代に生きる自分たちの気持ちを投影するのではなく、まずは「知ろう」とする態度のほうが大事だと考えています。宮藤さんも今風の感じで書かれはいますけれど、メンタリティーとしては現代の視点を被せないような作りになっていると思います。


――近年、史実を基にしたノンフィクション的なアプローチのドラマが増えていると思うのですが、その際に井上さんはどのように、史実と向き合うべきだと思いますか?


井上:それは難しいですね。毎回難しいと思いながら作っています。正解がないですね。これがドキュメンタリーだったらまた違うと思うんですよ。そういう意味でも歴史ドラマをやりたかったんじゃないかなぁと思います。


――一度、歴史と向き合いたかったということですか?


井上:「正しさとは何か」が必要だったわけじゃなくて、まずは知りたかったんです。そして「こんなに面白かったことがあったんですよ」ということを届けたかったんですよね。


――撮影はもうまもなく終わりますが、今、どのようなお気持ちですか?


井上:今はあまり考えないようにしていますね。あと一ヶ月で終わりだと思うと、「やばい」という感じの気持ちの方が大きいですね。


――一番、しんどかったのは、いつ頃ですか?


井上:それは今です。常に今です。これまでもしんどかったですけど、なかなか楽にならないですね。


――やっぱり、『メイキング・オブ・いだてん』が見たいですね。


井上:こういうプロジェクトは二度とないでしょうね。キャストもスタッフもノリが良くて前のめりなので、終わる気がしないですよね。自分でも今までやったことがない長さと密度でドラマを作っています。


(取材・文=成馬零一)