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『ダークナイト』ジョーカーの純粋さが問う善悪と正義の危うさ

2019年09月28日 19:20  CINRA.NET

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『ダークナイト』 ©Warner Bros. Entertainment Inc.
■「純粋なカオス」であろうとするジョーカーの圧倒的存在感

いくつも存在するバットマン映画のなかで、人気の高いクリストファー・ノーラン監督による『ダークナイト』三部作。その中でさらに圧倒的に評価されている作品といえば、宿敵ジョーカーとバットマンの戦いが描かれる、2008年公開の2作目『ダークナイト』である。

本作が支持を集める最大の理由は、ジョーカーの圧倒的な存在感にあるといえよう。映画やテレビドラマ、アニメやゲーム作品において、ジャック・ニコルソンやマーク・ハミルなど、様々な俳優がジョーカー役を演じているが、ヒース・レジャー版は、裂けた口や乱雑で剥げかけたメイク、振り乱した髪の毛、疲弊しているように見えながら切迫した態度でいることなど、その鬼気迫る印象は、コミック風の悪役キャラクターを演じているというより、生(なま)の人間のリアリティを感じさせる。くわえて、ヒース・レジャーが映画の完成を待たずして急死した事実も、この役柄にさらなる影を落としているといえるだろう。

本作でジョーカーは、自身が語るように純粋なカオス(混沌)であろうとしている。命をかけてまでバットマンや警察、果てはマフィアなどの善悪全方位をおちょくり、苦心して手に入れた札束の山を躊躇なく燃やしてしまう。決まった目的がないからこそ、その神出鬼没な行動は読みがたく、バットマンや警察は常に先手をとられ、ついには最悪の事態が起きてしまう……。

■9.11以降、ブッシュ政権下のアメリカの「正義」を問う

内容を追っていくと、ジョーカーには目的がないとはいえ、実はテーマのなかでは「人々の真の姿を暴き出す」という役割があるということが、次第に分かってくる。本作には、ゴッサム・シティを守るふたりの正義のヒーローが登場する。クリスチャン・ベール演じるバットマンと、アーロン・エッカート演じるハービー・デント地方検事だ。高潔な姿勢によって悪を駆逐しようと奮闘するデントの姿を見て、正義とはいいながら不法な自警活動によって悪と戦っていたバットマンは引退を考えるようになる。

だがジョーカーの出現は、このふたりの「正義」を危ういものにしていく。街を救うはずのバットマンは他国まで出向いて戦闘を行ない、密かに街の全域に住む人々を最新のレーダーで監視するという違法な手段に出るし、ハービー・デントもまた、事件関係者を私的に尋問し、銃を向けて脅すという、おそろしい行動に出てしまう。

これは、製作当時のアメリカの状況を映し出す風刺でもある。9.11テロ事件以降、アメリカ政府は他国に軍事攻撃を行ない、CIAがテロ容疑者を拷問したという疑惑が持たれたり、軍の兵士が捕虜を虐待する事件が起こった。そして、ブッシュ政権下で国民のメールや電話などを監視するというのも、実際に起こったことである。だから本作は、そんなアメリカの狂態をバットマンやハービー・デントというかたちに置き換えて描いた、アメリカの是非を問う映画として見ることもできる。

ジョーカーはたしかに狂っているのに違いない。だが、コウモリのコスチュームに身を包み、夜な夜な悪人を成敗していくバットマンもまた、正常である保証はない。そしてここで新たに出現するのは、ものごとのふたつの面を象徴するような、狂気にさいなまれていったキャラクターであるハービー・デントだ。市民にとってもバットマンにとっても「正義」の象徴であった人間が、個人的な理由によりその行動を変えていく光景は、人々の善悪の判断基準に本質的な問いを投げかける。正義か悪か、正常か異常か。アメリカの「正義」がそうであるように、それは見る人物の立場や角度によって異なってしまうものだ。

■ジョーカーはバットマンの矛盾をあざ笑い、存在価値をも揺るがす

力が強いわけでも、傑出した技を持っているわけでもないジョーカーが、バットマンにとって真の宿敵たり得るのは、正義を拠りどころとするバットマンの矛盾をあざ笑い、根源的な意味で存在価値そのものも揺るがす部分があるからだ。バットマンの考える正義、そしてハービー・デントの考える正義は果たして本物なのか? その答えは、本作を見る者の判断にゆだねられている。

クライマックスでは、そんな構図を象徴するかのように、ゴッサムの市民たちの正義や良識も試されることになる。自分や自分の周りの人のために他者を犠牲にすることをいたしかたない行為として「正義」とするのか、広い視点で誰かを犠牲にすること自体を「悪」とするのか、世界の運命は、最終的には一般の人々個人の人間性に集約されるのである。

■時代によって変化する正義と悪の描かれ方。新たなジョーカー映画が公開間近

この度、劇場で公開されるホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』は、その名の通りジョーカーが主人公として、善良だった市民が弱者に酷薄な社会に押しつぶされて狂気を帯びて凶行に走ってしまうという内容だ。

『ダークナイト』シリーズの3作目である『ダークナイト ライジング』公開当時、アメリカの劇場で上映されている最中に武装した男が侵入し、一般の観客に向けて銃を乱射、12人が死亡、58人が負傷するという大事件が起きた。このような銃乱射事件は近年、アメリカ各地で多発し、深刻な社会問題として取りざたされている。

『ジョーカー』でも、このような無差別殺人同様、社会に不満を持った一般市民がテロリスト化してしまうという問題が投影されているように感じられる。『ダークナイト』が、イラク戦争にまつわるアメリカの正義が問われるという時事性を持っていたように、時代によってバットマンやジョーカー、そして正義と悪の描かれ方は変化しているのだ。

『ダークナイト』はヒーロー映画の枠を超えて、映画史的な名作として評価が定まってきたが、『ジョーカー』もまた『第76回ヴェネチア国際映画祭』で、ヒーロー映画として初めて最高賞の栄誉に輝いた作品。両作におけるジョーカーの変遷を通し、社会の姿や善悪の問題をあらためて考えてみるのもよいだろう。

(文/小野寺系)