世の中には、なかなか否定しにくい言葉があります。例えば「自責であれ」。いくら本当は問題の責任が他者にあったとしても「変えられないのは他人と過去。変えられるのは自分と未来」とか言われては、なかなか反論できません。反論すると「他責な人だ」と低評価を受けることにもなりかねません。
同じような言葉に「現場主義」というものがあります。「真実はすべて現場にある」「事件は会議室ではなく現場で起こっている」などと言われては、現場を軽視することはなかなかできません。ただ、私が一つ思うのは、人事はなんでもかんでも現場に従っていればよいわけではないということです。(人材研究所代表・曽和利光)
「現場の言うことを聞く」は現場主義ではない
現場からのオーダーや意見を検討もせず、議論もせずに鵜呑みにして実行しようとするのは「現場主義」とは呼びません。
現場からの採用要件を丁寧に聞いて、そのまま人材紹介会社に伝える。現場のリーダーや社員が言う組織の問題点を聞いて、拙速に解決しようと動く。言葉は悪いですが、それらは「現場のガキの使い」です。そんなことでは、人事に介在価値はありません。ただのメッセンジャーです。
人事は現場のためにある、というのは事実です。組織のすべては事業をうまく遂行して社会に価値を提供するためにあるので当然です。しかし「現場のためになる」ことと「現場の言うことを聞く」ことは違います。というのも、現場の人が必ずしも現場のことをよく分かっているとは限らないからです。
例えば、多くの会社では採用基準を作るとき、現場のリーダーやハイパフォーマーに意見を聞いて整理します。しかし、私が様々な会社でコンサルティングをさせていただいている際に、そうやって作った採用基準と、標準化されたパーソナリティテストなどで実際のハイパフォーマーの特性を分析した結果とを比べると、結構な割合で異なる部分が出てきます。
現場が「うちには素直な人がいい。そういう人が成功する」と言っているのに、実際のハイパフォーマーには批判精神の強い生意気なタイプが多い、というようなことです。
現場のプロが「言語化」に長けているとは限らない
なぜそのようなことが起こるのか。それはプロと呼ばれるような熟練者は、それまでのトレーニングによって、特定のスキルが無意識でも自動的に縦横無尽に使えるようになっている人だからです。
自分がやっていることをいちいち意識しながら進めているレベルでは、プロとは言えません。何も考えずに自然にできてプロです。
そういうプロに具体的に何をやっているのかを聞いても、うまく説明できないことも多い。私たち日本語ネイティブが、日本語ペラペラでも文法について説明できないようなものです。もちろん言語化に長けたプロもいるでしょうが、すべてを信じてはいけないのです。
間違いのもとは、現場のためにという思いが先走って、現場の「言うこと」を聞こうとすることです。彼らが言うこと、言い換えれば「主観」「意見」「解釈」は事実を歪んで解釈している可能性があり、正確であるとは限りません。
そうではなく、本当に現場主義を貫こうとするのであれば、現場で起こっている「事実」だけを信じるべきです。例えば、ハイパフォーマーが「言っていること」ではなく「やっていること」を見るのです。行動観察をすることで情報収集をして、そこから本当に現場で何が起こっているのか、ハイパフォーマーは実際に何をしているのかを知る。それが本当の現場主義です。
「逆命利君」の気概で臨む
もちろん、頭の中を覗くことはできませんし、現場の外の観察者が現場の人の行動をすべて観察し尽くして、しかも適切な解釈を確実にできるわけではありません。ですから、現場の人の意見を聞くなということでもありません。
要は「鵜呑みにするな」ということなのです。人事ができるのは、現場の人でないからこそできる「客観性」の提供であり、ゆるぎないデータ(観察データやパーソナリティテストなど)の事実(ファクト)から論理的に導き出された仮説を現場にぶつけてみて、そこにギャップがあるなら徹底的に議論する。そういう機会を作り出すことが、介在価値ではないでしょうか。
人事担当者は優しく受容的な人が多いせいか、つい目の前の相手の要望をなんとか満たしてあげようとしがちです。しかし、それが相手のためになるかどうかは別です。時には、要望に対して反対意見を述べたり、違うことをしたりしないといけない場合もあります。
「逆命利君」(命に逆いて、君を利する)という言葉がありますが、まさに現場の当事者の意図に背いてでも、結果として現場の役に立つことを行う。そういう気概が必要です。
そんなことをしていれば、「人事は現場が分かってない」とすぐ言われてしまうそうですが、ある意味、それぐらい言われてようやく一人前なのではないかと思います。
人事は「短期的な評価」を求めるな
人事担当者は、短期的な評価を得ることを求めてはいけないと思います。人事が行うことはすべて、結果が出るのに大変な時間がかかります。
結果が出るまでは、その施策は失敗だったのではないかと言われることがあります。しかしそれを恐れずに、自分の信じることを愚直に実行するべきです。
もちろん、その「信じるところ」とは、人事担当者の自己満足や趣味の好き嫌いではありません。十分に事実を調べ、正確な理論を援用し、論理的に考えた上で得た信念でなくてはなりません。そうして自分が行った施策の結果が花開いたとき、反対したことさえ忘れた人々がもしも評価してくれれば御の字ではありませんか。
【筆者プロフィール】曽和利光
組織人事コンサルタント。京都大学教育学部教育心理学科卒。リクルート人事部ゼネラルマネジャーを経てライフネット生命、オープンハウスと一貫として人事畑を進み、2011年に株式会社人材研究所を設立。近著に『人事と採用のセオリー』(ソシム)、『コミュ障のための面接戦略』(星海社新書)。
■株式会社人材研究所ウェブサイト
http://jinzai-kenkyusho.co.jp/