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欅坂46 平手友梨奈ソロ曲「角を曲がる」は挑戦的なサウンドに? ナスカの音楽的特徴を分析

2019年09月25日 13:01  リアルサウンド

リアルサウンド

欅坂46『黒い羊』(TYPEA)

 欅坂46の「角を曲がる」のMVが先日公開された。同曲は映画『響 -HIBIKI-』の主題歌で、これまで未音源化の楽曲であったが、先日開催された東京ドーム公演(『夏の全国アリーナツアー2019』追加公演)のダブルアンコールにてパフォーマンスされ話題となった。作詞は秋元康、作曲はナスカ。


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 ナスカは欅坂46とは縁が深く、これまでに「エキセントリック」「危なっかしい計画」「避雷針」「黒い羊」といった作品に曲を提供してきた。どれもファンに人気でライブでも恒例となっており、「サイレントマジョリティー」や「不協和音」を作曲したバグベアと並び、欅坂46の重要な楽曲に携わる作家として親しまれている。


 歌唱は平手友梨奈。平手ソロはこれまでに「山手線」「渋谷からPARCOが消えた日」「自分の棺」といった楽曲が制作され、今回は「夜明けの孤独」(『ガラスを割れ!』収録)以来となる5曲目。いずれも心の葛藤や孤独といったテーマを扱い、ちょうど平手友梨奈自身の人物像と合わさることで魅力が増幅する歌詞になっている。


 オルガンやストリングスの織り交ぜられたピアノ主体のゆったりとしたバンド演奏は、主人公の悲痛な叫びを浮き立たせつつ、優しく包み込むようなムードを持っている。しかしながら、YouTubeにて公開されている映像の音質が非常に悪いため、サウンドについて注意深く聴き込むことは困難だ(執筆にあたり繰り返し聴いたがヘッドホンが壊れたのかと勘違いしてしまった)。


 むしろ、あえてこのローファイなサウンドプロダクションを選んでいるのだとすれば、歌詞にある〈フォーカスの合ってない被写体〉や〈まるで何かの景色みたいに映っているんだろうな〉といったように、歌い手の存在感がぼやけているように感じられるのは、曲の意味としては筋が通っているかもしれない。


 全体的に古いラジオカセットのような音像で、ボーカルが近くで歌っているようにミックスされていながらも、声を荒げる箇所では音割れが激しく、それによって主人公の苦しさや悲痛さが演出される。加えて、後半につれてそれが増していく様子は、まるで画面の解像度が徐々に下がっていくかのようだ。ラストで〈ここにいるのに気づいてもらえない〉と歌うのにも繋がっていくのだろう。


 ローファイな音楽というのはインディーズのシーンでも常に一定のファンが必ずいるが、こうしたメジャー音楽ど真ん中で見られることはあまりない。ある意味、音質至上主義的なものへ楔を打ち込む一曲として捉えるのもアリだ(音源化される際には改善される可能性もあるが)。


 一方で歌は、リズムや音程に縛られず自在に動く主旋律を特徴としている。欅坂46に多くみられる「歌と語りとラップの中間」くらいの、ポエティックで非メロディアスなA~Bメロをここでも発揮。特に、歌い出しの〈みんながおかしいんじゃないのか〉~〈あるわけもなくて〉あたりの不安定な運びは、さながら人混みを避けて通り抜ける人のごとく、単純なリズムをことごとく回避して歌われる。


 これが、ダムが決壊したかのように言葉を詰め込むBメロへの契機となって、主人公の剥き出しの感情が表現されていく。こうした楽曲構造は「避雷針」や「黒い羊」でも見せていたナスカ作品の特徴だ。


 以上から、今回は作家の音楽的特徴がメンバーのソロ作品にも表れた一曲と言えるだろう。さらに、詞の世界を印象的なサウンドによって描き出した挑戦的作品だ。(荻原 梓)