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欅坂46が東京ドームで「不協和音」を披露した意義 様々な思いが交差した圧巻のステージを見て

2019年09月22日 14:01  リアルサウンド

リアルサウンド

欅坂46

 まず、どうしてもこの話を避けては通れない。2017年の大晦日、『NHK紅白歌合戦』。あの夜、欅坂46は「不協和音」を2回披露した。その2回目のことである。欅坂46の衣装に身を包んだ総合司会の内村光良が「みなさんも夢を歌いましょう!」と叫んだ次の瞬間、向かって左奥に鈴本美愉が仰け反りながら倒れる姿が画面に映り込んだ。倒れる鈴本に気付きながらも、カメラが切り替わるまでポーズをとり続ける残りのメンバーたち。銀テープがキラキラと舞う会場で、センターを務める平手友梨奈の手は震えていた。


参考:欅坂46 2期生 田村保乃、松田里奈、山﨑天……選抜制導入によって訪れたメンバーの転機


 それ以来、平手が出演するライブで「不協和音」は一度たりとも披露されてこなかった。まるで”封印”されているかのように……。


 時を経て、2019年9月。全国ツアーの最後の会場に選ばれたのは東京ドーム。もちろんグループにとって初めての会場で、デビュー4年目にして到達した晴れの舞台である。メンバーにも並々ならぬ思いがあったことだろう。佐藤詩織もMCで「こんなに大きい場所でライブができるなんて思ってなかったので、なんかすごい感慨深くて……」と涙ながらに話す。


 欅坂46はつい先日、次のシングルの選抜が番組で発表されたばかり。デビューから一貫して選抜制度を取り入れてこなかっただけに、放送後もファンの間では賛否両論が渦巻いていた。しかし、そんなことはお構いなしにとすべてのメンバーが全力で目の前の楽曲に取り組んでいる。


 ライブでは恒例となっている曲も、心なしかいつもより強い思いが込められているように感じた。初ドームとあってさすがに演出も凝っている。十字形に広がった花道の交差点には噴水の出る仕掛けが施されていて、照明によって水が光ることでステージが煌々と輝きだす。


 メンバーは傘を使ったり、気球に乗ったり、自転車を漕いだりとさまざまな方法で会場を盛り上げていく。「アンビバレント」ではさながらCDジャケットの世界に入り込んだかのように、カラフルな巨大風船が会場を舞った。どれも歌詞やMVなど作品に紐付いた演出だ。


「まず詞があって、それを表現するダンスがあって、その世界観を膨らませたMVがあって、そしてそれを人前で披露するライブがある。この創作のリレーの中で、常に元となる表現物に対するリスペクトが軸にあるのが欅坂46というグループなのだ」


 リアルサウンドで初めて欅坂46のライブレポートを書いたとき、筆者はこんなことを書いた。(参考:欅坂46から感じる“表現物へのリスペクト” 『欅共和国 2017』2Daysを観て)まだデビューから1年が経過したばかりの頃、初の野外イベント『欅共和国2017』を観たとき率直に抱いた感想がそれであった。


 あれから2年が経ち、音楽シーンの趨勢も変化し、グループの置かれた状況も変わり、メンバーも徐々に入れ替わりつつある今、東京ドームで見た欅坂46は、もしかしたらあの頃の欅坂46とは違う欅坂46なのかもしれない。だが先日、初期からダンスを頑張っている1期生の齋藤冬優花が公式ブログで、


「私自身、選抜メンバーに入ることや、前に立つということを第一目標とするよりも、曲を伝える、届ける、ということを第一に考えることは、変わりたくないな、、、と思います。欅坂としても、変わっていって欲しくない部分です」


 と書いていたのを見て妙に嬉しくなってしまった。変わっていくものと、変わらないもの。物事は常にそうやって続いていく。それをメンバー自身もよく分かっているのだ。この日のライブは、1期生が築いた欅坂46の精神を、2期生が継承していくその様子を目の当たりにしているようで、なぜだか不思議な気持ちにさせられたのである。


 「欅の曲は強く引っ張っていく曲ももちろんあるけれど、落ち込んだ時とかに一緒にしゃがみ込んでずっと背中をさすってくれる曲が多いなって。(自分にとって欅坂46は)そういう存在だったなって」と話すのは関有美子。選抜に選ばれなかった山﨑天も「エキセントリック」での見せ場のひとつである語り部分を任され、〈もう そういうの勘弁してよ〉と強い口調で言い放つ。「欅坂46に入る前よりも、入った今の方が、欅が好き……」とつぶやく姿には、言葉以上の重みがあった。昨年加入したばかりの2期生も、今ではすっかり欅坂46の一員としてステージに立っていた。


 終盤は「サイレントマジョリティー」から「危なっかしい計画」までキラーチューンを矢継ぎ早に繰り出し、ラストは「太陽は見上げる人を選ばない」で全メンバーが歌って本編終了。


 と同時に、アンコールの大合唱が起こる。会場の興奮冷めやらぬ熱気がさらに上がっていき、ついにピアノのイントロが流れ始めた。まさか、あの曲が……?


 だがここ最近、次曲が「不協和音」であることをほのめかすような演出が何度かあった。昨年7月の富士急ハイランド・コニファーフォレストでは、倒れる平手の俯瞰映像から「ガラスを割れ!」へと突入した。今年の5月の日本武道館では、真っ赤な彼岸花の敷き詰められた舞台で横たわる平手の映像から「黒い羊」がスタートした。いずれも、あたかも「不協和音」のMVの冒頭の再現かのような不穏な始まり方を匂わせつつ、その度に別の楽曲が披露されてきたのだった。


 しかし、この日は違った。


 ステージに照明が当たると「不協和音」の衣装を着たメンバーたちが姿を表す。突然の出来事に会場は驚きと悲鳴と歓声の入り混じる異様な雰囲気に。”あの夜”以来、封印されていたパワーを解放するかのように、ステージからエネルギーがビシバシと伝わってくる。スピーカーからは爆音を遮って悲鳴まで聞こえてくる。スクリーンには今まで見たことのない彼女たちの表情が映っていた。


 筆者は、平手のいる「不協和音」を生で3箇所で経験している。しかし、今までのどの会場よりもこの日の〈僕は嫌だ〉には心を揺さぶられた。否定や拒絶だけではない、痛々しい有り様を嘆くような絶望感があった。スクラップ工場をモチーフにしたというステージセットもまた、その叫びの悲痛さに拍車をかける。


 あるいは、卒業した長濱ねるに代わって抜擢された田村保乃が叫んだ〈僕は嫌だ〉は、この場所に私は立つんだという高らかな宣言にも聞こえた。


 最終日は、その後にダブルアンコールで平手のソロ曲「角を曲がる」(映画『響 -HIBIKI-』主題歌)が披露された。平手の華麗なダンスに会場全体が釘付けになる。最後に彼女は優しく「ありがとうございました」と述べ、深々とお辞儀をした。


 この感謝の言葉は、もちろんライブを観に来ていたファンへ向けてのものであるが、どこか、ここまでの活動を振り返って、離れずに付いてきてくれているすべてのファンへ向けた言葉に思えて、ライブが終わった後もこれについては色々と考えさせられてしまった。


 正直、筆者も長いことこのグループを追ってきたが、これまで道中で何度も心が折れそうになったのも事実である。しかしその度に、だからと言って自分の好みまで押し曲げることはできないなと思い、しぶとく静かに見守ってきたのだ。


 「語るなら未来を…」のバキバキなダンスも、「エキセントリック」のまさに自分を言い当てられたかのような歌詞も、「制服と太陽」で静まる会場の雰囲気も、「もう森へ帰ろうか?」で見せる幻想的なステージングも、「避雷針」の危うい魅力も、どれも心から好きで、何があろうとそこに揺るぎはない。だからこそ東京ドームまで足を運んだのだ。


 同じようにこの会場に居合わせた数万人の”戦友”たちとともに、今回こうした素晴らしい体験をさせていただいたことを、筆者からもありがとうと伝えたい。(荻原 梓)