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平野紫耀×橋本環奈の最強実写コンビだけじゃない! 『かぐや様は告らせたい』若手俳優が躍進

2019年09月10日 08:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2019 映画「かぐや様は告らせたい」製作委員会 (c)赤坂アカ/集英社

 好きになる/なられるとはパワーバランスの関係であり、告白をするとは、魂の隷属であるーーそんな、ちょっとばかりひねくれた恋愛観を展開させては観客の笑いを引き出しながら、多少なり教訓めいたものを提示してくれる作品が、『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』である。


 本作は赤坂アカによる同名マンガを、『チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』(2017年)や『ニセコイ』(2018年)などの河合勇人監督が実写化したもので、「恋愛頭脳戦」に名乗りを上げる“天才”の男女に、マンガ実写界の新たなプリンスとして昨年から頭角を現している平野紫耀と、同じくマンガ実写化作品で次々とポテンシャルを開花させている橋本環奈がそれぞれ扮している。


【写真】白銀演じる平野紫耀


 恋愛に関する映画作品は、この世の中に無数にある。それもまるで、“恋愛とはゲームだ”とでも言わんばかりの作品も数多く存在する。人間的な感情のぶつかり合いなどではなく、恋愛の対象となる両者が、互いに互いを冷静に俯瞰して観察し合い、計算高く向き合おうという攻防を捉えたものだ。本作の劇中でも語られるように、恋愛とは、「知略と技術」が重要なのだという。はてさて。


 物語の舞台は、将来を期待されたエリートたちが集う私立・秀知院学園。この学園の生徒会長・白銀御行(平野)と副会長・四宮かぐや(橋本)は、互いに好意を抱きながらも、両者ともども高すぎる知能とプライドが邪魔をして、すれ違いを繰り返してしまっている。


 マンガのひとコマを取り出したようなオーバーなやり取りに、テロップやアニメーションが挿入され、ひじょうに分かりやすいつくりの作品となっているが、じっくりと観ていると、緻密な計算を思わせるシーンがいくつも目にとまる。まるで演劇的に展開する物語の中には、それこそ“恋愛ゲーム”らしく、遊戯性が見て取れるのだ。


 佐野勇斗、池間夏海、浅川梨奈、ゆうたろう、堀田真由といった若手俳優のホープが顔を揃えて主体となる男女の頭脳戦に絡み合い、合戦の様相を呈しているというのが本作の大きな魅力である。俳優たちの動きは相互作用し合い、ピタゴラスイッチよろしく、有機性のあるシーンをいくつも作り出している。それはたとえば単純に、Aの言動がBに影響を与え、その影響を受けたBの思いがけない反応が、たまたまそこに居合わせたCに影響を与え、思いがけず影響を受けてしまったCが……といったぐあいにである。


 これは、一筋縄ではいかない当事者間の恋愛というものと、その外側の世界との連関を思い起こさせ、笑いとともに、このとうぜんの事柄と関係性を再認識させてくれるだろう。計算された脚本・演出、若手俳優陣の共同作業から生み出された、演技の妙である。


 本作は、全編にわたってモノローグ(独白)が多用されている。それは物語の主体となる、白銀御行と四宮かぐやの“心の声”だ。恋愛にかぎらず、私たちは生きている以上、おそらくほとんどの者が、この“心の声”というものをもっている。ふつう、他者のそれを知ることは叶わないし、自分の中のそれを他者に知られることもない。万が一にもそんなことが可能となれば(たとえば、スピリチュアル的な何かの力をもってして!)、恋愛のスリルは完全に消失してしまうし、そればかりか、人間関係そのものにも支障をきたすこととなるだろう。だから私たちは、自分の心のうちをその厚い表情の下に隠してしまうのであるし、相手の“心の声”に耳を傾けるよう努めることが、“思いやり”につながることを知っている。


 しかしこうやって作品を通してみることで、他者の心の中に渦巻く感情、思考、思想を知り、共感したり、ひるがえって観客自身の内面を俯瞰的に整理してみたりできるようになるかもしれない。そこには思いがけず、独自の哲学とも呼べるものが生まれる可能性だってあるだろう。


 若手俳優陣の躍動する姿が魅力的な本作だが、ここに展開される「恋愛頭脳戦」はただ楽しいばかりでなく、青春時代から時を経た方々も、何かしらの教訓を得られるかもしれない(と、大いに願う!)。


(折田侑駿)