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『引っ越し大名!』お仕事ムービーとしての面白さ 原作者自ら手がけた大胆な改変とは

2019年09月09日 06:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『引っ越し大名!』(c)2019「引っ越し大名!」製作委員会

 現在公開中の『引っ越し大名!』はそのシンプルなタイトル通り、引っ越しに苦労する大名と配下の藩士たちを描いた物語だ。


参考:高畑充希が振り返る、初めて尽くしの『引っ越し大名!』の経験 「必死になって撮影をしていた」


 原作は2014年、2016年に映画化された『超高速!参勤交代』シリーズを手がけた土橋章宏の『引越し大名三千里』。 江戸時代、実在した大名の松平直矩が生涯で7度もの国替えを経験したという理不尽な史実を描いている。


 国替えとは幕府の命により、各藩を収めている藩主及びその配下の藩士たちが統治する藩を移転させられるというもの。おまけに移動先も時期も幕府が決めてしまうという理不尽な制度だ。今作では直矩の5度目の国替えにあたる、天和2年(1682年)の播磨姫路藩(現在の兵庫県)から豊後日田藩(現在の大分県)への引っ越しが描かれる。


 自宅の引越しや、職場の事務所移転などを経験された方ならわかると思うが、引越しはその規模の大小を問わず日数や費用などかなりの労力がかかる。それが藩丸ごとの移転、しかも今作のように兵庫から大分まで何千人も住まいを移すとなれば、その費用は恐ろしい額になってしまう。


 土橋が『超高速!参勤交代』でも描いていたように各大名の参勤交代や国替えなどの移動は、各藩の財力を減退し幕府に逆らわないようにするための措置だった。当然、その命令で実際に苦労するのはその大名の家臣たち、下級武士を含めた藩士たちだ。


 現代に照らし合わせれば、大企業の下請け会社に降ってきた事業のために、中間管理職が部下たちに無理をさせてしまうという構図に似ている。基本的に拒否権はない。さらに、突出したリーダーシップを発揮する人物が少ない組織では、誰しもが責任を取ることを嫌がり、どうでもいい人物に名ばかりの要職を任せてしまうというのもよくあること。そんな現代に通じる社会構造の理不尽さに振り回されるのが、本作の主人公、星野源演じる片桐春之介だ。


 人付き合いも武道も苦手でずっと書庫番(城の蔵書室の管理と警備のお役目)だった彼が、無理やり引越し奉行を任されてしまうも、長年本の虫だった故の知識と予想外の行動力を見せて、難局を乗り切る。立場が人を育てるというように、体よく使い捨てられるはずだった名ばかり管理職の春之介が成長して、引っ越しを取り仕切っていく様に痛快さを覚える人も多いのではないか。


 上からの理不尽な命令に反発するのではなく、その要求に十二分に答えたうえで、上司に向かって「私に権限を与えた以上、あなたにも従ってもらいます」と有無を言わさぬ要求で鼻を明かす場面もあり、時代劇という枠を超えてお仕事ムービーとしての側面もある。


 原作では、ひたすら引っ越しのノウハウを学んで実践していく手順と、気弱で心配性な春之介の心情描写と成長にページが割かれている。その一方で、映画ではプロットは大きく変えずに、原作者の土屋本人が脚本を手がけ、大胆な改変をも施し、映画ならではの手法を多く取り込んでいる。


 春之介の幼馴染である脳筋侍・鷹村(高橋一生)は武芸には秀でているが頭を使うのは苦手。原作においては、春之介を奉行に推薦するきっかけを作った後は主にコメディを担当するキャラクターだったが、映画では時代劇ならではのチャンバラの見せ場を与えられる。


 また高畑充希演じる於蘭も、原作では内助の功で業務で疲れた春之介を癒す存在だったのに対し、映画版では直接馬で城にやってきて、春之介を救い、引越しのノウハウを教える役割を果たしている。


 立場としても原作ではお嫁に行っていない30才近い女性であったのに対し、映画では離縁で出戻りしてきた1児のシングルマザーに変更され、たくましく物語を引っ張っていく。この於蘭の積極的な協力により、原作よりも引越しの準備も春之介の成長もテンポ良く進むだけでなく、現代的な内容になっているのもクレバーな改変と言えるだろう。主人公・春之介以外のキャラクターにもしっかりと見せ場を作り、物語に厚みを与えている。


 そのほかにも、野村萬斎が監修した「引っ越し唄」をみんなで歌いながら作業したり、道中を旅する愉快なミュージカル描写も。アクションにミュージカルと、まさに画面映えする要素をふんだんに取り込んでいる。


 そんな映画的な場面を作りつつも、監督の犬童一心もこの映画には「サラリーマンものとしての要素がある」と語っている。それを強く表しているのが、終盤における一度藩をクビになった武士たちの扱いに関する描き方だ。


 幕府の命によって石高を大幅に減らされた上での国替えにおいては、雇いきれなくなった藩士たちにリストラを言い渡さなければならなくなる状況もある。逃げることなく真摯に一人ひとりと向き合い、今は藩をやめてもらうが、いずれ石高が復活する際に必ず迎えに行くと誓う春之介。


 原作では終盤に、幕府の直矩に対する理不尽な国替え要求を春之介発案のとある逆転の発想でやめさせるという描写があり、根本原因を取り除いて藩の経営が安定するが、映画ではその場面はない。


 しかし、春之介は愚直に約束を果たそうとする。この先も経営は不安定かもしれないが、それでも誰ひとり切り捨てず守りぬく。そんな経済的な合理性よりも人的資源を尊重する姿は、現代社会に通づるメッセージだ。パッケージはいかにも軽妙なコメディ時代劇だが、求められるリーダー像や組織の論理に向き合った誠実な映画といえる。


■シライシ
会社員との兼業ライター。1991年生まれ。CinemarcheやシネマズPLUSで執筆中。評判良ければ何でも見る派です。