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『凪のお暇』実は似た者同士だった黒木華と高橋一生 “母”の存在を前に、2人は変われるのか

2019年09月07日 13:21  リアルサウンド

リアルサウンド

『凪のお暇』(c)TBS

 「子どもって学習するよな。母親に笑ってもらうためには、何言ったらいいかって。んで、空気読んで。相手にとって都合のいい酸素になって、んで、いつのまにか自分が消える」


参考:『凪のお暇』高橋一生がついに素直な気持ちを明かす それぞれの“WISH”と向き合うということ


 『凪のお暇』(TBS系)第8話。仕事も恋人もSNSも捨てて、自分自身を取り戻そうとお暇中の凪(黒木華)は、ひょんなきっかけから龍子(市川実日子)と共にコインランドリー経営という新たな夢を見つける。契約の日は、次の大安。龍子と共に貯金の大半である50万円を入金して、晴れてオーナーになるところまでこぎつけた。


 また、モラハラキャラだった元恋人・慎二(高橋一生)も、実は自分のことが泣くほど好きだったのだと、ようやく気づく。凪と同じように空気を読み、読みすぎた結果同じように空気が吸えなくなった慎二。周りに気を使いすぎて、自分自身に向けた認識が“ひねくれ&ねじまがり“の似たもの同士だったのだ、と。


 なぜ、ふたりが“空気を読む“ことに、こんなにも過剰になってしまったのか。それは、冒頭にある慎二の言葉が強く影響している。慎二の母親も世間体を守るために、夫の浮気に目をつぶり、動画クリエイターの長男を海外赴任していると隠し、仮面を被りながら生活を続けている。そして、凪の母親・夕(片平なぎさ)のコミュニケーションは、いつも凪に罪悪感を煽ることで、凪の行動をコントロールしようとするものだった。


 凪が手をつけないトウモロコシを、有無を言わさずゴミ箱に捨て「かわいそう。凪が食べないからトウモロコシ、死んじゃった」と言い放ち、じっと見つめる。客観的に見れば捨てた(死なせた)のは母親なのに、凪は“自分のせいだ“と思い込む。


 おそらく母親にとってみれば、凪をしつけているつもりなのかもしれない。周囲から「みっともない」と後ろ指をさされないように。だが、凪の中には意思を表に出せば、自分のせいで嫌な空気になるという印象だけが残る。


 食べたくないトウモロコシをおいしそうにかぶりつく姿を見て、母親はしつけに成功したと思うかもしれない。ところが、そのしつけと称したものは、目の前の人に同調することで、それを回避できるのなら……と意思を消し、同調するクセがつくだけのことだ。


 もしかしたら、母親自身もこの小さな村で空気を読んで生きてきたのかもしれない。人生ゲームで子どもはいらないと言っていた夕にとって、すごろくのように結婚・出産を語る人たちの中で息苦しい思いをしていなかったはずがない。


 だが、そこから逃げる術もなく、パートナーは蒸発し、凪という娘だけが残った。凪が慎二にのっかって幸せを手にできると思っていたのと同様に、夕も凪にのっかろうとしていたのだろう。


 凪は母親から逃げ、さらに会社という世間からも逃げることで、ようやく自分の「したいこと」、新しい幸せを見つけた。自分なりに新たな人生をリスタートさせるはずだった。だが、できなかった。


 母親のリフォーム話に対して「今やりたいことがあるから」と話し、「いつか資金はちゃんと用意する」とまで交渉したのは、凪の成長。しかし、母親の醸し出す罪悪感を煽る空気をひっくり返すことまではできず、作り笑顔でトウモロコシをかじり、契約資金にするはずだった貯金を母親の口座に振り込んでしまう。


 考えれば、方法はいろいろあったはずだ。龍子に相談して、資金を調達するめどを立て、契約の日取りを変えることだってできたかもしれない。だが、それができなかったのだ。母親の出す空気に対する反射的な行動。龍子の信頼を失うかもしれないと考えられないほど、凪にとって母親のその眼差しが怖いのだ。心が支配されるというのは、思考が回らなくなるということ。


 そこで思い出されるのが、みすず(吉田羊)・うらら(白鳥玉季)母娘とのドライブシーンだ。凪は免許を持っているにもかかわらず、助手席に座るのが当たり前だと思っていた。それは、彼女自身の生き様を表すような言葉。自分が人生のハンドルを握る資格があるにもかかわらず、周囲=母親の視線というナビのままに進むのを見ているしかできない。本当は自分の力で、行きたいところに行けるはずなのに。


 会社を辞めたこと。モジャモジャのヘアスタイルで過ごしていること。都心のマンションを引き払ったこと。自慢だった恋人と別れたこと……母親から見たら「みっともない」と言われるような生活を、一時的に隠す嘘をつくのも、自分の「したい」を実現するための手段であれば致し方ない。実際に、その嘘のおかげで“「したい」を見つけたい“という願いは叶ったのだから。


 大事なのは、何が目的で、そのためのどんな手段を取るのか、自分自身でコントロールしていくということ。自分でハンドリングできるのであれば、嘘も方便となる。だが、その冷静な判断をするためにも、人との距離感が大切だということまで、凪はまだ気づけていない。


 人には、その人とうまくやっていくのに適した車間距離ならぬ人間距離がある。それは、どれも一定である必要はないし、他人の親子の距離と、自分のそれが同じである必要もない。だが、どこかで私たちは“普通“という言葉で、同じものを求めてしまいそうになるし、求められてしまうことが多い。


 そして親子のみならず、恋人でも、友人でも、同僚でも、すべての人間関係に、それぞれの適正距離をとること。それを見誤った人たちが「メンヘラ製造機」や「毒親」と呼ばれてしまうのではないだろうか。


 人は個であること。たとえ、血を分けた親と子であっても。「あなたの幸せがお母さんの幸せ」は聞こえはいいが、心のあおり運転になる可能性もあるのだ。そんな母親が、まさに“暴走“と言わんばかりの勢いでエレガンスパレスに乗り込んできた。


 とっさに慎二が、またも空気を読んで取り繕うが、事態は思わぬ方向へ。さらに、ゴン(中村倫也)の中には初めて嫉妬が生まれ、行き場のない感情がクラクションと共鳴する。それぞれが自分の人生を、どう動かしていくのか。もがく登場人物たちを見届けながら、私たちも自分自身の人生のドライバーであるのだと身が引き締まる。


(文=佐藤結衣)