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「65日連勤」テレビ制作会社でのブラック労働体験談 月400時間働いても上司から「今の若手は楽だね~」

2019年09月07日 09:10  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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働き方改革が本格的にスタートした今、「仕事漬けのスタイル」はもはや過去の話になろうとしている。筆者は現在、フリーの在宅ライターをしているが、もともとはマスコミ業界でADやディレクター、記者として10年以上勤務していた。当時はブラック企業そのものの無茶苦茶なシフトをこなしていたが、この10年でマスコミの働き方も随分変わったように思う。

新卒採用で映像制作会社に入社した筆者は、都内某局の番組に配属となった。新人ADとして先輩ADやディレクターにつき、取材やオンエア業務などを学ぶことから仕事が始まった。

当時は長時間労働が当たり前。上司や先輩たちもイケイケの「ザ・業界人」で、「面白い番組を作るためなら無理してでも働く!」といった雰囲気があった。「泊まりで働く」「先輩が帰るまでは帰らない」のは暗黙のルールで、徹夜も当たり前。筆者が初出勤したとき、帰宅できたのは2日後だった。

5日連続徹夜も 立ったまま、もしくは床に段ボールを強いて仮眠

番組の放送までは、オンエアの2日前から動き、必ず徹夜するサイクルで働いた。放送前々日に取材ネタの会議と準備、前日に取材、映像素材集め、許諾取りなどに奔走する。そのまま徹夜で編集・オンエアになり、反省会。その後はまた次のオンエアの準備に追われていた。やり始めると意外とあっという間だった。

企画や特集、特番などが入ると、シフトはさらにタイトになる。帰れない日数が3日、4日と次第に延びていった。

筆者は最長で5日間徹夜したことがある。仮眠室もあるが、年末など特に忙しい時期に使っている余裕はなく、立ったまま、または床にダンボールを敷いて仮眠をとった。連続勤務でいうと65日連勤したこともあった。

今思うと異常だが、当時は同僚も先輩も上司もみんな長時間労働だったため、違和感は持たなかった。周りには月400時間近く働く人や、家族に2週間会っていない人もいたのだ。それでも当時の上司達は「今のADや若手は楽だね?」と言い。それ以前は一体どんな超人的な働き方をしていたのだろうか?

毎日が文化祭 ハイテンションで感動や楽しさがしんどさを上回る

労働時間だけでなく、仕事内容もなかなかえぐかった。上司や先輩から、廃盤になっている商品を「明日の朝までに用意しろ」と前日の夕方に言われたり、発注に何日もかかる巨大セットを前日に作るように言われたり。街中探しまわって、いろいろな所に頭を下げてお願いし、不可能を可能にするために動き回った。

幸い、人間関係には恵まれていた。「無茶を言うけれど情熱のある人達」に囲まれ、毎日が文化祭のようで、感動や楽しさがしんどさを上回っていた。今思うと、ずっとハイテンション状態が続いていたのだろう。通常では入れない場所に取材で行けたり、芸能人に会えたり、珍しいこと尽くしで感覚が麻痺していたのかもしれない。

今、「当時のような働き方ができるか?」と問われたら、無理だ。気力はなんとか奮い立つかもしれないが、体力は絶対についていかない。また、在宅ライターという身になってみて、私生活とバランスの取れる柔軟で自由なこの働き方に心地よさを感じている。働き方改革がスタートした今、長時間労働はもとより、出勤や雇用形態にこだわらない働き方がもっと増えてもいいと思う。

働き方改革で残業抑制が浸透「早く帰れ」という指示が飛び交う職場に

マスコミ業界の多くは裁量労働制をとっているため、長時間労働になりやすい。これまでは、「やる気」や「情熱」の名のもとに薄給で長時間勤務を強いられていた。しかし、時代の流れとともに、そんな環境も変わりつつある。

数年前からマスコミ業界の労働時間に規制がかけられるようになった。さらに働き方改革の影響で、2018年頃から残業の取り締まりも厳しくなっている。とあるローカル局に勤めている知人は、以前は深夜まで働いていたが、残業を月40時間に抑えるために強制的に休みを取らされるという。チーフDやプロデューサーになっている私の当時の仲間達も、今は上層部から「早く帰れ」「しっかり休め」と頻繁にお達しがあるようだ。徹夜や連続勤務をしても、その分の休みを代わりに取らねばならず、若手のADも先輩を待つことなく帰宅できるという。

それで現場がまわっているかは別問題だが、それでもマスコミ業界の意識が少しずつ変化していることは確かだ。今後は、さらに働きやすい環境に改善されるかもしれない。