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ピーター・バラカンが解説、“ブルーノート・レコード”が唯一無二のレーベルとなった理由

2019年09月04日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

ピーター・バラカン/写真=服部健太郎

 老舗ジャズレーベルのブルーノート・レコードが今年で創立から80周年をむかえた。その歴史を描いたドキュメンタリー映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』が9月6日より公開される。


 劇中ではハービー・ハンコックやウェイン・ショーターをはじめとしたレジェンド、若手のロバート・グラスパーやノラ・ジョーンズ、そしてケンドリック・ラマーらの証言を交えながら、レーベルの過去と現在がリンク。レーベルの功績を再認識できるこの映像は必見だ。


 そこで今回はブロードキャスターのピーター・バラカン氏にインタビュー。ブルーノートとは90年代に1万枚を超える大ヒットとなったコンピレイション制作から縁がある。その彼に映画から感じたことや、レーベルと日本の強い関係性、今昔のジャズとヒップホップについてなど、幅広い角度から話を訊いた。(小池直也)


●伝説のレーベル「ブルーノート・レコード」


――まずは映画をご覧になって、いかがでしたか。


ピーター・バラカン(以下、バラカン):完全な初心者向けではないかもしれません。でも説明し出したら切りがないんですよね(笑)。それでもブルーノートがどういうことをやってきた会社だったかということは大体わかると思います。


 ブルーノート・レコードは伝説のレーベルになっていますが、最初はアルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフというアメリカに来たドイツ人難民2人が道楽に近い形ではじめたんです。


 映画を観た方は当初はほとんど売れてなかったことにおどろくかもしれませんが、それでも相当なレコードを発表している。若い人だったらヒップホップ経由のサンプリングネタから遡って聴く人も多いですね。


――アートワークにも絶大な人気がありますよね。


バラカン:いやあ、50~60年代のブルーノートに限りますよ。リード・マイルズのデザインとフランシス・ウルフの写真の組み合わせは何ものにも勝ります。あそこまでかっこよくてレーベルとしての個性を打ち出せたレコード会社は他にないですから。


 CTIにもグラフィックの統一感はありましたけど、どれも似たデザインなんです。ブルーノートは同じ人が作ったのはわかるけど、ひとつひとつがすごく個性的です。文字のフォントやレイアウトの仕方とかがものすごくかっこいいです。現代のデザイナーも参考にしているんじゃないですか。かっこよさとしては究極ですね。


――音、アートワーク全方位的にこだわりを持って作っていたと。


バラカン:やはり創立者の2人が「自分たちが聴きたいレコードを作っている」という点に尽きると思います。僕はレコード・プロデューサーになったことはないですが、コンピレイションを作るとき、まずは自分が聴いて気持ちいいものを目指します。ラジオでの選曲もそうですね。この尺度しかないんじゃないですか。もちろん聴き手がそれに共鳴するか、しないかというのはありますけど(笑)。


●日本におけるブルーノート


――改めてになりますが、バラカンさんとブルーノートとの出会いについても教えてください。


バラカン:ブルーノートを最初に意識したのは大学を卒業した直後、ロンドンのレコード店で働いていた時、ジャケットがえらくカッコよかったトランペット奏者・ドナルド・バードの『BLACK BYRD』(1973年)という、わりとポップなアルバムを聴いたのがきっかけだったと思います。でもそこから掘っていったかというと、そういうわけでもなかったんです。


 大きな出来事は1990年頃にプロデューサーの行方均さんから連絡をいただいて「ハモンド・オルガンがフィーチャーされている曲のコンピレイションを作らないか?」と誘われたことですね。僕もハモンド・オルガンは大好きだったので「ぜひやりたい」と返答しました。でも当時、奏者といえばジミー・スミス、ジャック・マクダフくらいしか知らなかったです。


――約30年前はそれだけ情報がなかったんですね。


バラカン:なのでブルーノートのカタログを取り寄せて、CDを50枚ほど選んで資料としてリクエストしたんです。結局その半分くらいのマスター・テープのコピーをアメリカから取り寄せてくれて、それをカセットに落としたものを半年くらい車で聴きました。


 その中から選曲したものがコンピレイション『ソウル・フィンガーズ~ピーター・バラカン編』です。1曲を除いてすべてがブルーノートの音源でした。ちょうどその時期っていうのはロンドンのクラブでジャズをかけて踊る、レア・グルーヴの流行が起こる少し前。僕はそういう流れは知らなかったんですけど、たまたまタイミングが合ってた。1500枚くらいしかプレスしなかったのに1万枚くらい売れちゃったんです。続編はぜんぜん売れなかったですけどね(笑)。だから付き合いは深いですよ。


――他のレーベルとブルーノートの違いはなんだと思いますか。


バラカン:映画にもあったように録音のクオリティが良いです。さらにアルフレッド・ライオンはリハーサルにもギャラを払って、しっかり打ち合わせをさせるんですよ。バックのミュージシャンの人選もしっかりしている。知らなくてもていねいに作っているのがわかるので、聴きごたえがあるんですよね。「このくらいでいいや」を感じない。


 これを今やろうと思ってもできないですよ。ちゃんとしたレコーディング・スタジオでやろうとしたら、今の世の中はそんなに甘くないからなあ(笑)。レコード業界の規模やメディアの在り方も大きく変わりましたし。


――ブルーノート自体も倒産を経て、1967年以降はリバティーやEMIなどに身売りされていきます。


バラカン:70年代の後半以降は新作も出さなくなって、旧作の復刻もなかったと思います。84年にブルース・ルンドヴァルが新社長になって復活し、復刻プログラムが開始されるんですよ。復刻や未発表音源の発掘は映画にも出てくるマイケル・カスクーナがやっていました。ノーラ・ジョーンズなどの新人を紹介するのはそれから10年以上あとの話ですね。


 1985~6年頃はアメリカよりも日本の方が積極的に復刻作を出していました。山中湖でおこなわれた『マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル・ウィズ・ブルーノート』というフェスにもかなりお金を出していたはずです。日本はブルーノートが大好きな評論家の影響力もあって、60年代以降のジャズの熱狂的なファンがどの国よりもおそらく多い。だから日本向けにこの映画を作ればもっと違うストーリーになるかもしれません。


――現社長のドン・ウォズも映画の要所で印象的なコメントを残していました。


バラカン:彼があれだけブルーノートの中身を知っていることにはおどろきでした。80年代に『Was (Not Was)』というディスコみたいなダンス・シーンから出てきた人ですよね。そのあとベーシストとして他の人のレコードで弾いたりしてから、プロデューサーになっていったんです。最近だとローリング・ストーンズの仕事もやっていますね。プロデューサーの役割は良いメンツを集めること、和やかに録音できる雰囲気を整えることだと思ってます。彼はそういうことに長けているみたいですね。


●時代を超えて共鳴するメッセージ


――また映画では60年代から一気にヒップホップにつながっていきます。いわゆるジャズ史的にその間にあるフリー・ジャズやファンク、フュージョンも大きなトピックですが、大胆にジャンプした印象です。


バラカン:その前半と後半を結ぶのは「インナー・シティの音楽表現」ですね。要するに昔はジャズが黒人のゲットーを表現した音楽でしたし、それが80年代以降はヒップホップになったと。同じ表現としてヒップホップの人たちがジャズをどの様に取り入れたかという話を接着材にしています。それを象徴しているのがハービー・ハンコックとウェイン・ショーターの存在。


――そのふたりと、現代ジャズの若手で結成されたブルーノート・オールスターズのセッションの模様は映画のハイライトですね。


バラカン:特にハービーは何でもできる人なんです。頭脳派でもあるけど、めちゃくちゃファンキーな曲も作るし、誰よりも早くターンテーブルを取り入れました。どのジャズ・ミュージシャンにも尊敬されていますし、映画を観てもレベルの高さがわかると思います。ただブルーノート・オールスターズは上手なんですけど、グループとしての魅力はぼくにはちょっと物足りないんです。


――どこが物足りなかったのでしょう。


バラカン:ハービーやウェインと比べて、物足りないのは作曲じゃないですかね。ヒップホップの時代ってグルーヴがすべてなので、曲作りの考え方が昔とは違うんです。だから印象に残るようなコード進行やメロディ、編曲は少ない。それを期待するのも間違いかもしれないんですけど、そういう意味で今のジャズは昔とかなり変わりました。これはポピュラー音楽全体に関して言えることかもしれません。


 シンプルなコード進行で、下手したら3つの音くらいでできているメロディもあります。そういう音楽を聴いて育った人はそれが当たり前ですし、否定はしないんですけど昔のポップ・ミュージックを知っている僕の世代にとっては少し物足りないんです。


 50年、60年代には「モーニン」、「ウォーターメロン・マン」、「ザ・サイドワインダー」や「ソング・フォー・マイ・ファーザー」など皆が知っている曲がありました。それ以降だと演奏技術は素晴らしいですが、好きな曲を答えるのは難しい。ジャズのミュージシャンが必ずしも印象に残る曲を作らなきゃいけないわけではありませんが、昔のブルーノートには良い曲があった気がします。


――ほかに印象に残っているシーンがあれば教えてください。


バラカン:最初はブギウギとかディキシーランドみたいな40年代にしては古いスタイルの音楽を録音していたのに、はじめて手を付けたモダン・ジャズのプレイヤーがセロニアス・モンクだったことに改めて驚きました。初期のモダン・ジャズのなかで最も実験的でユニークな存在ですよ。「下手くそ」「ぜんぜん弾けない」とさんざん言われて、認められるようになったのは60年代ですからね。


 そんな彼にお金を出して、5年間ずっとレコードを作ったのがブルーノートなんです。ほかのアーティスの作品を出したのは少しあとだったようで、初期はひたすらモンク。いきなり難解なピアニストに目を付けるのはすごい感覚だなと思いました。


――自分を貫くモンクやレーベルの姿勢とヒップホップの典型的な「自分自身であれ」というメッセージが時代を超えて共鳴するんですよね。


バラカン:あの世代の人たちがブルーノートの作品からインスピレイションを受けるのはとても理解できますよ。モンクの初期のレコードはもう70年前です。いきなり若い人に聴けといっても聴かないだろうけど(笑)。でも本作で好奇心がわいて、手に取るきっかけになったら素敵ですね。


(取材・文=小池直也/写真=服部健太郎)