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岡田惠和が明かす、山田涼介がセミであることの意味 「『セミオトコ』は面白さ勝負の作品」

2019年08月30日 08:11  リアルサウンド

リアルサウンド

岡田惠和

 金曜ナイトドラマ(テレビ朝日系、金曜23時15分~)で放送されている『セミオトコ』は、大川由香(木南晴夏)の元にやってきたセミが変身した少年・セミオ(山田涼介)との7日間を描いたドラマだ。


 優しい美少年のセミオがまたたく間に人気モノとなっていき、由香たちの周囲を明るくしていく中、楽しい日々は終わりが近づいていく……。


 今回、リアルサウンド映画部では『セミオトコ』の脚本を担当した岡田惠和にインタビュー。連続テレビ小説『ひよっこ』(NHK総合)など、数々の名作を世に送り出してきた岡田が久しぶりにテレ朝で手掛けた『セミオトコ』は、90年代に同局の月曜ドラマ・インで執筆した『南くんの恋人』や『イグアナの娘』といった作品を思わせるファンタジーテイスト溢れるドラマである。


 なぜ、岡田は『セミオトコ』のようなファンタジーを描き続けるのか?


【写真】『セミオトコ』シーン写真


ーー現在、第3話まで物語が進んでいますが(編集部注:取材は8月13日に実施)、脚本はもう書き終わりましたか?


岡田惠和(以下、岡田):今、ラストスパートですね。


ーーテレビ朝日で連続ドラマを書かれるのは、久しぶりだったそうですが?


岡田:月曜ドラマ・イン以来ですね。ずっと、テレ朝さんと仕事をしたいと思っていたのですが、9時台だと呼ばれることがなくて。まぁ、呼びようがないと思うんですけど(笑)。


ーーほとんどの作品が刑事ドラマですからね。


岡田:だから、金曜ナイトドラマで書けたことはとても嬉しいです。


ーー企画の発端は、セミですか? それとも山田涼介さんが主演を務めるなら「セミの話で行こう」という感じだったのですか?


岡田:山田くんと仕事してみたいという気持ちがあって、企画を考える時に同時に思いついたという感じですかね。引き受けてもらえるかは、0か100だと思いました。「セミを演じるなんてありえない」と断られるか「面白い」と思って引き受けてもらえるか。共演相手が誰だったらやるとか、こういうセミならOKとか、そういうことじゃないだろうから。そういう中で、ジャニーズ事務所さんが企画を面白がってくれて。


ーータイトルを見た時は驚きました。文字だけ見るとホラーみたいですし。


岡田:金曜ナイトドラマでオリジナル作品を書くということになり、どこかトリッキーな設定が欲しかったんです。ただ、月曜ドラマ・インの時からそういう作品は書いてきたので、そこまで変な企画を出したという気持ちはありません。


ーー最初は『泣くな、はらちゃん』(日本テレビ系)みたいな方向性の作品になるのかなぁと思いました。


岡田:『泣くな、はらちゃん』や『ド根性ガエル』(日本テレビ系)の時は映像の仕掛けが命だったんですよ。対して今回は演劇的で。


ーーシットコム(シチュエーションコメディ)みたいな作品ですよね。


岡田:「セミなんです」と、口で言ってるだけなので。 そういう設定のファンタジーで、一幕モノの舞台劇に近いと思います。


ーー7月に公開された映画『いちごの唄』の主人公も冷凍食品の工場で働いていましたが、岡田さんはずっと、物語の中で工場を書かれていますね。


岡田:人が働いている職場として描きやすいというのがあるんですよ。逆に言うと、自分にはサラリーマン体験がないので、例えばWebデザインの会社がどんな場所か想像できなくて。テレビ局でも、ドラマ制作の人が何をしているのかはわかるんですけど、人事の人が365日、何をしているのかは想像もできない。そういう個人的な経験もあって、仕事を肉体的に書けるので好きなんです。ただ、食品工場を舞台にすると結構不自由もあるんですよ。帽子とマスクで芝居してもらわなければいけなかったり。


ーー映画やドラマに工場が出てくると、消費社会や格差社会の暗部みたいに描かれがちですが、岡田さんはそういう風には描かないですね。


岡田:こういうファンタジックなドラマは子供たちが見るから、キッザニア的に楽しいように見えて欲しいというのはありますね。子供は工場が好きじゃないですか。僕も小学校の時に工場見学に体験授業で行くと、キャラメルを作っているところを見て、凄いなぁって思ったし。そういう工場の楽しい場面って、ドラマではなかなか取り上げられないので。『セミオトコ』は、自分が好きなアパートモノと工場モノを合体させた作品なので、楽しいですね。舞台に設定した国分寺という街も自分の中ですごくしっくりくるんですよ。『最後から二番目の恋』(フジテレビ系)の舞台になった鎌倉ともちょっと違う、程よい郊外という感じが、すごく好きですね。


ーー最初にアニメで始まるのは、岡田さんの指定ですか?


岡田:打ち合わせを進めていくと、セミというだけで「見たくありません」って人が結構いることがわかってきました。「セミ無理」という理由で見ない人もいるんじゃないかと思って。そういう風に嫌われているセミが不憫で切ないんですけど、逆に愛しい感じもあるんですよね。


ーー第3話には、セミに対する愛がにじみ出ていますね(笑)。


岡田:ただまぁ、実際に地中から出てくるところを写真の絵本で見ると、これはちょっと放送しちゃいかんなって(笑)。だから早い段階でアニメとか絵本みたいにしようと話して、「山田くんは好きだけど、セミは嫌い」という人を遠ざけないようにしました。


■リアルとファンタジー


ーー現在、『セミオトコ』と同時期に岡田さんが脚本を書かれた『そして、生きる』がWOWOWで放送されています。この二作を同じ脚本家が書いていると知ったら、みなさんびっくりすると思うんですよね。『そして、生きる』は、映画に近い演出で、震災を背景にしたリアルな話ですよね。逆に『セミオトコ』はファンタジーで抽象度が高い話となっています。なぜ正反対の作品を岡田さんは書けるのでしょうか?


岡田:むしろ、その両方があることでバランスが取れているんだと思います。


ーー書くのはどちらが大変ですか?


岡田:それはもう『セミオトコ』の方が難しいです。おそらく、(打合せでの)プロデューサーの立ち位置が一番違うのだと思います。リアリティ・ベースの作品は個人の経験を根拠に、各シーンの台詞や登場人物の行動について話し合うことができるんですよ。対して『セミオトコ』は誰にもわからない作品を書いているので、自分でも時々頭がおかしくなってくる時があるんです。リアリティというリミッターを振り切っている面白さ勝負の作品で、例えば、木南(晴夏)さんが演じている由香もぶっ飛んだキャラクター。何でもありの話を限られた空間で書いているので、答えを探せないんですよ。


ーー岡田さんの作品は、昔からファンタジーとリアルの両輪で来ていますね。『南くんの恋人』や『イグアナの娘』を書いている時に 『若者のすべて』や『彼女たちの時代』(ともにフジテレビ系)といったリアルな作品を同時に書いていて。


岡田:その両方を90年代から書いていて、そこが自分の居場所かなぁと思っていました。ただ状況が変わってきていて、当時は真ん中に北川悦吏子さんみたいな人が書く恋愛ドラマがあったから、自分は両端で書いて、ど真ん中では勝負しないという立ち位置だったんですよ。


ーー『若者のすべて』や『彼女たちの時代』のような作品も、ど真ん中ではなかったということですか?


岡田:当時はリスキーな企画でしたね。「恋愛とかしないの?」って言われたり、「キラキラしてない」って怒られたりしたので(笑)。だから、自分は変わってないんですけど、周りがどんどん変わっていったのだと思います。


ーー最近はシリアスな社会派テイストのドラマが復活していますよね。『わたし、定時で帰ります』(TBS系)のような職場の労働問題を真面目に取り上げたリアルな作品に注目が集まっている。だから『そして、生きる』の方が、今はど真ん中だと思います。ただ、これは受け手の問題だと思うのですが、リアルな作品ほど、視聴者が現実との答え合わせみたいに見てしまう傾向が強まってると思うんですよ。どれだけ、リアルに作れるかの勝負みたいになっていて、それが個人的には少し息苦しいんですけど、そういう中に『セミオトコ』があると、すごく安心して嬉しくなります。


岡田:ツッコミようがないからね。そういう楽しさはあるんじゃないかなぁと思います。


ーー同時に実はこの二作(『セミオトコ』と『そして、生きる』)で描かれている人間のあり方は、そんなに離れてないとも思うんですよね。


岡田:以前、坂元(裕二)くんと「お互い、なんて地味な人たちの話を毎回書いてるんですかね」と話したことがあるんですよ。そういう意味では、ずっと「特別でない人達」を書いていて、『そして、生きる』も『セミオトコ』も『ひよっこ』も変わらないですね。


ーー由香も、行動は極端だけど、生きていく中でこういう不安は自分の中にもあるよなぁと思いました。


岡田:木南晴夏さんの名前は最初から候補に上がってましたね。山田くんが作品のファンタジーを背負っているのに対して、ドラマの世界と視聴者との橋渡しを1人で背負わなきゃいけない役で、彼女がこの世界を飲み込んでくれないとどうしようもない難しい役でしたが、うまくハマった感じがあります。木南さんとご一緒するのは『銭ゲバ』(日本テレビ系)、『スターマン・この星の恋』(フジテレビ系)に続いて三度目なんですけど、何をやっても嫌な感じにならない独特の好感度があるんですよ。あと、今回は長台詞が多いのですが、彼女の声は、聴いていて気持ちがいいなぁと思います。


ーーキャスティングにおいて、声は重要ですか?


岡田:声と滑舌は重要ですね。由香は勢いだけで演じちゃうとイラっとしちゃうんですよ。相手がいないところで喋って全部伝えないといけないし、言葉だけだから肉体的な声と滑舌が問われるので、ノリとか雰囲気だけではできない。かといって舞台の人が良いというわけでもなくて。


ーー映画とも舞台とも違う、ドラマならではのおもしろい芝居ってありますよね。他のアパートの住人の背景もだんだんわかってきて、目が離せません。


岡田:全員どこか潜っている人たちなんですよね。ヒロインもそうですが、潜っていた人たちの話と潜っていて最後に地上に出てきて輝く蝉の話が、うまく重なればと思って書いています。


ーーひきこもりの話を、蝉の一生に重ねているのかと思いました。


岡田:それはありますね。今回、北村有起哉さんはプロデューサーの服部(宣之)さんのキャスティングで僕は初めてだったんですが、『ちゅらさん』(NHK総合)で北村さんのお父さん(北村和夫)に書いた役(島田大心)と同じだと途中で気づいて。あの人もアパートに引きこもって音楽をずっと聴いている人だったんですよ。全く同じ役を書いているんだって、この間ふと思いましたね。


ーー個人的には、工場の先輩・桜木翔子を演じる佐藤仁美さんと木南さんのやりとりが好きです。


岡田:工場を書くと決めた時からブラックな職場を書くつもりはなかったので、そこは仁美さんに背負ってもらいましたね。僕も二人のやりとりは好きです。


ーー『彼女たちの時代』などの過去作で書いていたギスギスした労働現場の苦しさを、近年はあまり書かなくなりましたね。特に『ひよっこ』で決定的に書き方が変わったように思うのですが?


岡田:今の会社のリアルな感じを書くことにそんなに興味がないというか、ブラックな労働現場をリアルに描く作品がいっぱい出てきたから、自分は書かなくてもいいという気持ちになったのかもしれないですね。僕はどんな仕事の中にも妙なプライドや喜びやこだわりや達成感があると思うんですよ。「妙な」と言うと変ですけど、そういうことを書きたいという気持ちになっていたのかもしれないですね。


■『ひよっこ』の匂い


ーー『ひよっこ』に出演された俳優さんが、別の岡田さんのドラマに出演する機会が最近は多いですね。それが「劇団 ひよっこ」みたいな感じで、すごく楽しいです。


岡田:たぶん『ひよっこ』が、今までで最もキャスティングに口を出した作品だからかもしれないですね。有村(架純)さん以外の若者は全員オーディションで選んでいるので愛情があって、ちょっと子供みたいな感じがあるというか。


ーー『セミオトコ』も、しずちゃん、やついちろうさん、佐藤仁美さんが出演しているので『ひよっこ』の間接的な続編を見ているように感じるというか。『そして、生きる』も有村架純さんが主演ですし、それぞれの作品に『ひよっこ』から派生した何かがあるのかなって思います。


同席した服部宣之プロデューサー:それは、番組スタッフにもあるのかもしれないですね。みんな岡田さんの『ひよっこ』が大好きなので「あの匂い、俺にも嗅がせてくれよ」みたいのはあるんですよ。それがキャスティングに現れてるのかもしれないですね。


■人間に寄り添ってくれる優しい誰か


ーーそれにしても、まだ書き終わっていないというのは、意外でした。


岡田:『セミオトコ』はめっちゃ苦しんでいて、1話書き終わるごとにボロボロになっています。「ちゃちゃっと書いてるでしょ」って思われるのが、ホントに心外なんだけど、気が狂いそうになりながら書いてます。しかも、自分が作った1日1話しか進まないというルールもあって、土日に当たる5~6話は、職場の描写もできないですし。


ーー岡田さんの描くファンタジーって「人間に寄り添ってくれる優しい誰か」の話ですが、それが人間じゃなくてもいいというところが岡田さんのラディカルさだと思うんですよ。今回の『セミオトコ』もそういう話ですけど、なぜ、岡田さんはこういうファンタジーを書き続けているのでしょうか?


岡田:ジャニーズ事務所さんとは、ずっと仕事をしてきたんですけど、好きなんですよね。ジャニーズの男の子のたちのありようとファンの関係が。山田くんが出演すると決まった時に、まず第一にファンに喜んでよろこんでもらいたいとシンプルに思ったんです。これは自分たちのためのドラマだという風に思って欲しいと最初に思って、そこから、山田くん推しじゃない人にも広がっていくようになれたらと思って書いています。


ーーアイドルとファンの関係を肯定したいということですね。


岡田:由香がセミオに抱く気持ちは、ファンがアイドルを推す気持ちに近いと思います。あの二人の仲の良さが、描いていてとっても楽しいんですよね。同時に、ずっと続くものでもないっていう切なさも最初からあるので。それがセミであることの一番大きな意味ですね。


(取材・文=成馬零一/撮影=大和田茉椰)