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アウディ、フェルディナント・ピエヒ博士の死を悼む。「情熱と忍耐強さをもっていた」

2019年08月29日 17:41  AUTOSPORT web

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アウディ・クワトロのミニカーとフェルディナント・ピエヒ博士
アウディAGは、8月27日付けで逝去した1988~92年の取締役会長、フェルディナント・ピエヒ博士の逝去を悼み、世界中の工場で半旗を掲げるとともに、現取締役会長のブラム・ショット、ペーター・モッシュ総労使協議会議長からの追悼の言葉を寄せた。

 オーストリア出身のフェルディナント・ピエヒは、ポルシェ創業者のフェルディナント・ポルシェの娘であるルイーゼの子として生まれ、技術者、経営者として活躍。1972年にアウディに加わり、WRC世界ラリー選手権での技術革新を生んだ『アウディ・クワトロ』の技術担当責任者を務め、1988~92年にはアウディの取締役会長を務めた。

 アウディAGのショット取締役会会長は「フェルディナント・ピエヒの最大の功績のひとつは、アウディブランドのために献身的に尽くしたことだ。アウディはラテン語で“聞く”という意味だ。彼は常に、お客様と従業員の声に耳を傾けていた」と述べた。

「彼は、自動車という夢に一生を捧げ、革新の原動力となった。彼はアウディをプレミアムブランドへと発展させ、革新的な技術で自動車業界をリードした」

「これらの技術には、5気筒ガソリンエンジン、クワトロフルタイム4輪駆動、プロコン-テン安全システム、フル亜鉛メッキされたオールスチールボディ、軽量アルミニウム構造のアウディ・スペースフレーム(ASF)が含まる」

「フェルディナント・ピエヒの記憶は、私たちの心に永遠に刻まれるだろう。彼は、発明の才能だけでなく、情熱と忍耐強さをあわせもっていた」

 また、モッシュ総労使協議会議長は「フェルディナント・ピエヒは自動車産業の偉大な指導者だった。企業家として、彼は最先端の技術に、優れた経営手腕と社会的責任を結びつけた。彼はグループが成功を収めるための共同決定の重要性を認識していた。アウディがプレミアムブレンドへと進化を遂げることができたのは、彼の功績によるものだ」と語っている。