2019年08月29日 16:02 弁護士ドットコム
京都アニメーション(京アニ)のスタジオが放火された事件をめぐり、京都府警は8月27日、亡くなった35人のうち、これまで非公表だった25人の身元を公表した。これを受けて、NHKなど一部メディアは、25人全員の実名を報道した。しかし、インターネット上では、批判の声が高まっている。
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報道によると、京都府警は8月2日、遺族の了承が得られたとして、亡くなった10人の身元を公表していた。残りの25人については、公表のタイミングを慎重に検討していた。一方、京都府内の報道機関12社でつくる「在洛新聞放送編集責任者会議」は8月20日、残り25人の身元を速やかに公表するよう申し入れていた。
今回の公表・報道を受けて、京アニの代理人は、ツイッター上に「度重なる要請及び一部ご遺族の意向に関わらず、本日被害者の実名が公表、一部報道されたことは大変遺憾です」「京都府警及び関連報道機関に対し、改めて故人及びご家族のプライバシーとご意向の尊重につき、お願い申し上げます」と投稿した。
これまでも、大きな事件・事故が起きたとき、被害者の実名報道はすべきかどうか、という大きな命題が問われてきた。今回のケースについては、どう考えればいいのか。犯罪被害者の支援に取り組んでいる上平加奈子弁護士に聞いた。
――京アニのケースについて、どう考えますか?
京都府警の公表と、その情報をもとにした報道機関の報道は分けて考える必要があります。
国家権力による戦前の情報統制などの例もあることから、国家権力の濫用を防ぐためには、国民の知る権利を守るためにも、国が持っている情報を公開させて、きちんと検証する必要があります。
報道機関には、実名を含めた身元の発表を受けて、その情報が正しいかどうかチェックし、真実を報道する役割が求められています。そういう意味で、警察に身元の公表を求めること自体は問題ないと思います。ただし、警察が発表した情報の必要性を検討せず、そのまま報道してしまうことは問題です。
――遺族が京都府警や報道機関に対して法的な責任を問うことはできないのでしょうか?
むずかしいでしょう。
京都府警は、報道機関に対して、犠牲者の身元を公表する責務があると思います。身元公表が違法であるとまではいえないので、国家賠償法上の責任を負うことはないと思います。
公表を受けて、報道機関が実名報道したことについても、報道の自由がありますので、プライバシー侵害に問うことは難しいと思われます。
――社会的な責任は問われないのでしょうか?
それについては、大いにあると思います。「事件を風化させない」「社会全体で痛みを共有する」など、どんなに立派な大義名分があったとしても、犠牲者や遺族のプライバシーが暴力的に奪われて良い理由とはなりません。
――実名報道されないことの弊害については?
たとえば、誤った憶測があったり、知り合いが亡くなったんじゃないかという心配が先走ったりすることがあります。だから、大きな事件・事故が発生したとき、たとえば飛行機事故の犠牲者の実名を発表するのは、当然のことです。
報道機関は、実名報道する意味があり、必要だと考えるのであれば、報道すればいいと思います。仕方ないことです。京アニのケースでいえば、警察が公表するかしないかにかかわらず、報道すべきと判断したのであれば実名報道すればいいのです。
それなのに、報道したいのに報道できないのは警察のせい、と言っているように感じました。また、公表しないでほしいというご遺族の要望も無視されたままです。このような報道のされ方には、とても違和感がありました。
実名を報じることが「報道」ではありません。そもそも、実名報道が原則というきまりはありません。報道機関ではそれが原則だと考えて、現場の記者が「実名をとってこい」と言われているわけですが、本当に実名じゃないといけないのか、ということは考えてほしいです。
「すべて匿名にすべき」という意見もありますが、それも極端な話だと思います。それぞれの報道機関が判断すべきであり、今回の報道においても、きちんと検討して、実名報道をしないと決定した報道機関もあります。とても評価すべきだと思います。報道の必要性もわかるので、だからこそ、報道の原則に立ち返って考えてほしいと思います。
今回のケースについては、私としては、実名報道は事実の伝達としてやむを得ず必要だったとも思っています。
たくさんの方が亡くなられていますし、会社の従業員か、外部からの来訪者なのか、たまたま通りかかって巻き込まれた方などがいないのかといったところも含め、氏名や大まかな住所地、年齢といった事実の報道は仕方ないのかもしれないと思います。
ただ、繰り返しになりますが、ご遺族の要望を無視したことは問題ですし、「やっと公表された」とか「公表されるべきなのに警察が発表しないのでなかなか報道できなかった」という文脈で報道するのにも違和感があります。
報道機関は、何を報道すべきかをしっかりと検討し、こういうときにこそ、軸足をしっかり置いた報道をして、信頼をとりもどすべきではないでしょうか。「信念があるのか」が問われていると思います。