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テーマは重いが、後味は爽快 『ブラインドスポッティング』の新しさ

2019年08月28日 17:02  リアルサウンド

リアルサウンド

『ブラインドスポッティング』(c)2018 OAKLAND MOVING PICTURES LLC ALL RIGHTS RESERVED

 『ブラインドスポッティング』はオークランド映画である。オークランドはカリフォルニア州のベイエリア、サンフランシスコからベイブリッジを挟んで東に位置する港湾都市。アメリカで最も人種的に多様な街の一つで、1960年代から長いことその犯罪率の高さでも知られてきた「西のブルックリン」。『ブラインドスポッティング』の登場人物たちは作品の最初から最後までそのオークランドを一歩も出ることがない(主人公に関しては法的な拘束もある)ばかりか、作中で主人公は街の名前のロゴ(OAK)の中に街の写真をあしらったTシャツを誇らしげに着ている。例えば川崎を舞台にした映画で主人公が「KAWASAKI」とロゴの入ったTシャツを着ているのと同じような感じと言えば、本作がどれほど濃い「オークランド映画」かがわかるだろう。


 主人公のコリンは黒人だが、黒人にとってオークランドは「1966年にブラックパンサー党が結成された街」として特別な意味を持つ。昨年、歴史的大ヒット作となった映画『ブラックパンサー』(その名称とブラックパンサー党は直接の繋がりはないが)の物語が1992年のオークランドのストリートで始まり、最後にワカンダ(劇中に出てくるアフリカの超先進国)が現代のオークランドに国外拠点を設立したのも、もちろんその史実に由来する。また、ヒップホップのリスナーにとっては、あの2パックがデジタル・アンダーグラウンドのメンバーとしてラッパーとしてのキャリアをスタートさせた街であることもよく知られているだろう。


 警察官による黒人への暴力や人種間の緊張が描かれるシーンもある『ブラインドスポッティング』だが、実は劇中にブラックパンサー党への直接の言及はないし、そこで鳴り響いているラップミュージックはヒップホップのリスナーなら誰もが知るようなオークランド・クラシックではなく、現在進行形でオークランドのシーンで活動しているアーティストが中心だ。ブラックパンサー党やベイエリア・ヒップホップの歴史は当たり前のように街や登場人物たちの血や肉となっていて、そのことをことさら強調する必要などない。『ブラインドスポッティング』はオークランド映画ではあるが、オークランドの「現在」や「日常」を描いた作品であり、(広義の)観光映画ではないのだ。


 過去の記憶に残るプロテスト映画がそうであるように、『ブラインドスポッティング』のストーリーとメッセージは直喩や暗喩や映画的美学を経由することなく、ダイレクトに観客に届けられる。何しろ、作品のテーマがそのままタイトルになっていて、しかもそれが劇中のセリフでも繰り返し説明されるのだ。ブラインドスポッティング=盲点とは、同じ事実や出来事を目にしても、立場の違いによって見えているものは違うということ。フランク・オーシャンは「Chanel」で《I see both sides like Chanel》(シャネルのロゴのように両方側からものを見るんだ)と歌ったが、現実では我々は往々にして自分の立場からしかものを見ることができない。


 『ブラインドスポッティング』が観客に突きつけるのは、二種類の立場の違いだ。一つは人種の違い。主人公コリンには地元の仲間マイルズがいて、二人は無二の親友としてずっと同じ街で同じものを見てきた。しかし、日常で何かアクシンデントやトラブルが起こる度に、嫌でも自分が黒人であり、マイルズが白人であることを意識させられてきた。人種の対比はバディとして行動するメインロールの二人だけでなく、コリンとインド系の元恋人との関係、マイルズと黒人の妻との関係、そして白人警察官との対立においても鍵となる。その点においても、本作は「アメリカで最も人種的に多様な街の一つ」であるオークランド映画なのだ。


 もっとも、本作が真にユニークかつ2010年代的なのは、もしかしたらそんな人種の違い以上に現代のアメリカにおいては深刻なもう一種類の違い、経済格差についても射程に収めているところだ。大都市サンフランシスコからの流入に加えて、IT企業の首都シリコンバレーのすぐ北に位置するオークランドには、近年、多くの裕福な新住民が居を構えるようになった。それにともない、街の治安は改善されて、カロリーの高いジャンクフードに変わってビーガンフードやグリーンジュースが街に溢れることに。そんな街の変化に対する、黒人のコリンと白人のマイルズの態度は対照的だ。「人種」は違っても「貧しさ」においてコリンたち黒人と平等だと思い込んできたマイルズの足元は、新住民(もちろん白人も黒人いる)との経済格差というもう一つの視点によって、揺るがされることになる。


 『ブラインドスポッティング』のダイレクトさは、そんなコリンとマイルズがこよなく愛する地元オークランドで従事している仕事が「引越し屋」であるところにも顕著に表れている。そして、ブラック・ライブス・マター運動の象徴的作品となった大ヒット・ミュージカル『ハミルトン』で一躍注目を浴びたダヴィード・ディグス演じる主人公コリンは、クライマックスで思いのたけをラップでぶちまけてみせる。まさに深読みは不要、真っ正面から思いっきり食らうタイプの映画。語られているテーマは「重い」が、観た後にこんな爽快な気持ちになる作品もなかなかない。(宇野維正)