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『なつぞら』だけじゃない!? 「バックステージもの」が描く、アニメ業界ならではのドラマの数々

2019年08月26日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『ハケンアニメ!』(著・辻村深月)

 アニメや漫画が日本を代表する文化になりつつある。未だに毀誉褒貶があるにはあるのだが、大英博物館で漫画の展覧会が開催されるなど、国内だけでなく、様々な場所で評価を受けるようになってきた。NHK連続テレビ小説(朝ドラ)で、アニメーション業界の黎明期を題材にした『なつぞら』が登場したことも、アニメに対する世間の注目度の変化の現れだろう。少し前には、漫画家を目指す女性を主人公にした『半分、青い。』(NHK総合)などもあった。テレビの視聴率は1%で100万人が観ていると言われた時代もあるが、朝ドラの視聴率は平均20%近くを取る。2000万人がアニメ業界や漫画家のあれこれを毎朝観ているのかもしれないと考えると、オタクバッシングが吹き荒れ、アニメが「危ない趣味」だと言われていた時代とは隔世の感もある。


参考:『なつぞら』から「女性と仕事」の今昔を考える 「小田部問題」の現代に通ずるテーマ性


 『なつぞら』以外にも、2014年には、アニメ制作会社P.A.WORKSによるアニメ業界を描いたTVアニメ『SHIROBAKO』が放送され、来年2020年には劇場版の公開も予定されている。同じ頃、小説家の辻村深月が小説『ハケンアニメ!』を刊行しており、こちらは今年舞台化が決定している。先行事例として『アニメーション制作進行くろみちゃん』という作品もあったし、さらに遡れば、押井守監督の実写映画『Talking Head』にもアニメ制作会社が登場する。


 こうした制作の裏側を描く作品のジャンルを「バックステージ」ものと呼ぶが、アニメーション業界のバックステージものがたくさん作られている国は日本ぐらいだろう。端的に、机に向かってカリカリと鉛筆を走らせている姿は、あまり面白い画ではない。アニメの制作現場に『雨に唄えば』のような華やかさはないし、今話題の『全裸監督』で描かれているAV業界の裏側のような、ぶっ飛んだ逸話も生まれにくそうだ。にもかかわらず、これだけアニメのバックステージものが作られているのは、アニメに関心が深い日本だからこそだろう。


 そんな地味な現場を面白おかしく、エンターテイメントとして見せるものにするにはかなりの工夫を要することだろう。しかし、そんな地味な作業の現場にも実写の現場と変わらぬ愛がある。その愛を表現するためにはどんな工夫をして描いているだろうか。


・無から有を生み出すアニメ現場の苦しみ
 朝ドラのような国民的番組で、アニメーターが主人公として取り上げられた意義は大きい。映像作品で注目されるのは、出演者と監督ばかりのなか、裏方のアニメーターという職業にスポットを当てている。例えば、実写のバックステージもので撮影監督を主人公にする作品はかなりレアだ。筆者も観たことない。


 『なつぞら』の制作統括、磯智明氏も「世界で注目されるアニメを裏側で支える人々の歴史を紐解く作品を作りたった」と語っているが(参照:朝ドラ『なつぞら』 アニメ業界を舞台にした理由)、その注目されざる裏方の、さらに当時少ない存在だった女性アニメーターを取り上げたことが『なつぞら』をさらに意義深いものにしている。結婚、出産、子育てをしながら働く女性として主人公を描き、数々の差別的待遇や女性への偏見を打ち破ろうと努めるその姿勢は、アニメ業界を超えて現代の働く女性たちへエールを送りたいという意図が見える。「女性が働くこと」に対する今日的な課題を強く意識した作品で、アニメ業界特有の問題に強くフォーカスした作品ではない。


 しかし、そこで描かれる作業風景は、業界を知らない人にとって新鮮だろう。原画と動画の違い、監督や演出家と原画マンたちがどう接するのか、どういったこだわりを持って各パートの職人たちが仕事しているのかが生き生きと描かれている。とりわけ、『太陽の王子ホルスの大冒険』をモデルにしたと思われる『神をつかんだ少年クリフ』制作のエピソードは、日本アニメの歴史において重要な作品であるため、制作内部の濃厚なドラマが展開されていた。本作は原作のないオリジナル作品であることで、ヒロインのキャラクターデザインが決まらずに制作が進まない様子などがドラマで描かれていたが、実際の『ホルス』の制作も同様のことがあった。ドラマ内では仲努(井浦新)がデザインしたものが採用されたことで、制作が一気に動き出すように描かれていたが、『ホルス』においても、仲のモデルと言われる森康二氏がデザインしたヒルダが決まったことで、「混沌とした」制作現場が動き出したことを奥山氏が証言している(『日本のアニメーションを築いた人々』叶精二著 若草書房刊、P101)。


 アニメは絵を描かなくては何も生まれない。無から有を生み出す作業であり、とりわけオリジナル作品は監督の頭の中にしかイメージがない。それを具体化してゆくアニメ制作の難しさの一旦を垣間見ることができるエピソードだった。オリジナルアニメを作るというのは、行き先不明の海原に羅針盤なしで繰り出すような途方も無い作業なのだ。


・分業ならではの苦労
 NHK制作の実写ドラマである『なつぞら』に対して、アニメ制作会社によってアニメ業界の内幕を描いた作品が『SHIROBAKO』だ。当事者たちが、自らの業界を愛情たっぷりに描くこの作品は、勝手知ったる世界を描いているからこそのディテールのリアリティと、アニメ現場で起きうるトラブルや独特の人間模様などが多岐にわたって詰め込まれた作品だった。主人公の宮守あおいは、制作進行という役職で、彼女を中心に、アニメの現場で働く様々なポジションの人間が登場し、それぞれの悩みや葛藤、仕事内容をわかりやすく見せてくれる。アニメ作品ならではのカリカチュアで地味な作業をダイナミックに描く工夫もしていて、監督の水島努氏のセンスも相まって、荒唐無稽なコミカルシーンもあれば、感動を呼ぶシーンもありエンターテイメント作品として完成度が高い作品だ。


 アニメ制作に詳しくない人にとって、制作進行というポジションの重要性はよくわからないかもしれない。絵を描くわけでもないし、物語を作るわけでもない制作進行という地味な役職を主人公にしているのは、それがアニメ制作において極めて重要だからだ。制作進行は文字通り、アニメ制作の進行を管理するのが仕事だ。アニメは原画、動画、音響、色彩、背景などの美術にCGなど、様々なポジションが存在するが、それらのセクションを駆け回り、進捗スケジュールを管理してゆくのだ。こうした、様々な人の間に入る調整役はどんな業種にも存在するので、宮森の仕事ぶりと大変さに親近感を覚える人も多いのではないか。


 アニメ制作は細かく分業されている。そんなアニメ制作現場の分業という特徴を端的に示した注目すべきエピソードが、2話と3話にまたがる作画のリテイク(修正)のエピソードだ。話は、アフレコ現場から始まる。ヒロインの女の子が本音を吐露するシーンのアフレコ作業中、監督が何かが足りないと言い出す。同席していた演出担当が、自分の演出プランに間違いがあるのかと問いただす。しかし、そうではないと監督がいう。スケジュールが詰まっていることを重々承知の上で、監督はモゴモゴと絵がキャラクターとずれているので直したいと言い出す。


 そこで、作画監督や演出を集めて、改めてキャラクター認識に関する会議を行い、修正の方向で決まる。作画担当が「絵が負けている」という表現をしているが、声優の芝居の熱量が想定以上に高かったのだ。実写作品の現場では、最低限監督と役者がキャラクターを理解していればなんとかなるものだが、アニメでは一つのキャラを何人ものアニメーターが描くことになるので、キャラクターの理解を統一させなくてはならない。また、声と身体の芝居が別々に作られるアニメの芝居だからこそ、声優の芝居に引っ張られて絵の芝居の質を高めようという発想も生まれてくる。エピソードの最後にリテイクされた原画が流されるのだが、見事に声優の熱量に負けない絵の芝居を示して幕を閉じる。アニメの分業の特徴をよく捉えた上で、良いものを作りたいという情熱とスケジュール調整の難しさと、原画マンの絵一つにどんな魂が込められているのかが込められており、アニメの現場ならではのドラマがこのエピソードには詰まっている。


 辻村深月の『ハケンアニメ!』はアニメ業界で働く3人の女性、プロデューサー、監督、原画マンのそれぞれの葛藤を描いている。それぞれが主人公となる3つのエピソードで構成され、すべてのエピソードの冒頭は「どうしてアニメ業界に入ったんですか」という質問から始まるこの作品は、トラブルやつらい作業を通じてその問いに答える物語だ。わがままな監督に振り回されるプロデューサー、若手女性監督という立場でなめられながらも才能を認めさせてやろうと戦う監督、根暗な性格だが「神原画」を仕上げる天才原画マンの恋と仕事などを通じて、このつらい仕事に敢えて就く人々の想いを代弁する。


「この業界周りで働く人たちは、皆、総じて“愛”に弱い。愛だけじゃどうにもならないお金の問題が発生して揉めたり、地味な作業に地獄のように追われることになっても。この業界の人は、やっぱり、皆、総じて、愛の人だ」(『ハケンアニメ!』マガジンハウス刊、辻村深月著)


 この、“愛”という当たり前すぎるテーマは、バックステージものにおいて極めて重要だ。自分たちのやっていること、自分たちの業界と作品に対する愛があること、結局のところ、人がアニメや映画などという面倒くさいものをたいして儲かりもしないのに作り続ける原動力は、なんだかんだ言って愛なのだ。これは映画もアニメでも同じことだろう。


・愛の裏返し? ダークサイドを描くバックステージものは出現するか
 バックステージものには、愛を表明するタイプの作品の他、シニカルな態度で業界を批判的に描く作品もある。それもある種、愛ゆえの鞭という面もあるが、例えば、ロバート・アルトマン監督の『ザ・プレイヤー』は、敏腕プロデューサーの起こした殺人事件の顛末を通して、儲かりさえすればなんでもありのハリウッドの金満体質を批判する内容だったし、デビッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』もハリウッドのダークサイドを描く趣旨の作品だった。


 アニメ業界が成熟し、認知が拡大するにつれて、内からも外からも様々な視線にさらされる。愛で動く業界とはいえ、美しい話ばかりではないので、今後はダークサイドを描くアニメのバックステージものも出現してゆくのかもしれない。『スモーク』などで知られる映画プロデューサーの井関さとる氏は、1本の映画制作で一生分の体験をすることがあると語っていたことがあるのだが、本当にそれぐらい映画やアニメの制作の裏側ではいろんなことが起こっている。ネタには事欠かない世界なので、いろいろなタイプのバックステージものが生まれることを筆者は期待している。  (文=杉本穂高)