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少女像展示中止、市長や官房長官の発言は「憲法違反」なのか?京大・曽我部教授に聞く

2019年08月06日 10:31  弁護士ドットコム

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従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」などの展示が波紋を呼んで、愛知県で開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」(津田大介芸術監督)の企画展「表現の不自由展・その後」が、開幕からわずか3日で中止となった。


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この企画展をめぐっては、市民から抗議の電話やメールが事務局に殺到していた。さらに、「撤去をしなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」という内容の脅迫ファックスが届いたことから、芸術祭の実行委員会は展示中止を決定した。



これに先立って、あいちトリエンナーレの開幕日の8月1日、名古屋市の河村たかし市長が展示中止をもとめる発言をおこなっていた。また、菅義偉官房長官は8月2日、文化庁の助成事業であるとして、補助金を交付しない可能性に言及するなどしていた。



こうした状況から、「表現の自由」が侵害されたという声が、インターネット上を中心に多数あがっている。今回の騒動をどのように捉えればいいのだろうか。京都大学大学院法学研究科の曽我部真裕教授(憲法)に聞いた。



●「息苦しさを劇的なかたちで可視化させた」

今回の企画展は、「表現の自由」についてのみならず、何か気に入らないことがあると、他者を攻撃して社会を息苦しくさせていく風潮に問題提起するという意義のあるものでしたが、このようなかたちで早々に中止となったことは残念です。



一方で、この息苦しさを劇的なかたちで可視化する結果となり、期せずして、目的の一端を達成したとも言えます。この問題をしっかり議論して、今後につなげていくべきです。



今回の抗議活動の担い手は、いわゆる「保守派」の市民ですが、ヘイト発言で知られる保守活動家の川崎の市民会館での講演会中止など、リベラル派の市民も似たようなことをしてきた点に注意すべきです。お互い同じようなことをして、「表現の自由」の幅を狭めていることには、反省が必要ではないでしょうか。



あいちトリエンナーレの企画展は閉鎖的な空間でおこなわれる表現活動です。こうした表現活動についてまで、自らの信奉する正義に反することを理由に、度を超えた抗議活動によって潰すことには問題があります。異なる意見が存在することを認める寛容さが求められます。



●「明確に不適切だ」と考えられる意見

今回の中止騒動をめぐっては、さまざまな意見があり、それぞれもっともだと思うものも多くありますが、他方で、明確に不適切だと考えられる意見が散見されますので、今後のための教訓として、確認しておきたい。代表的なものとして、次の(1)~(5)があります。



(1)「今回の展示によって、自治体がその内容に賛成したことになる」「反日的な展示に公金を投入するのはおかしい」



あいちトリエンナーレは、県や市が入った実行委員会が主催し、公立美術館等で開催される芸術祭ですが、一般に、このような展覧会であっても、専門家が芸術的な観点から企画したものであれば、国・自治体はそれを尊重すべきだというのが、表現の自由論の一般的な理解です。公立図書館で、どのような書籍を購入するのかが、専門家である司書に委ねられるのと同じ理屈です。



(2)「政治家が批判するのも『表現の自由』だ」



今回、政治家が展示を批判しましたが、その批判そのものを「表現の自由」であるとして正当化する議論が見られました。しかし、これは不適切です。



もちろん、純粋に一私人としての発言であれば自由ですが、政治家には法令上の権限や事実上の大きな影響力があり、展示に対して大きな圧力となります。一私人としての発言と政治家としての発言を区別することは困難です。



(3)「市長や官房長官の発言は『憲法21条2項』で禁止されている検閲だ」



河村市長や官房長官は中止させる権限を持っているわけではなく、実際にも中止の理由は、市民の抗議が度を越した状態になったということなので、決定的な理由となったわけではなく、憲法でいうところの「検閲」にはあたりません。



ただし、不当な介入だという程度の意味で「検閲」だというのであれば差し支えはありません。実際、市長は実行委員会の主要メンバーでありますし、官房長官は極めて影響力の大きな人物で、その発言は大きな圧力となりえます。本来は大村秀章知事の言うように、展示内容に口を挟む立場にはないはずで、不当な発言でした。



日本ペンクラブ(吉岡忍会長)は「行政の要人によるこうした発言は政治的圧力そのものであり、憲法21条2項が禁じている『検閲』にもつながるものであることは言うまでもない」という声明を出しています。微妙な言い方ですが、少なくともミスリーディング(誤解を招くおそれがある内容)です。



(4)「(展示は)日本人に対するヘイトスピーチだ」



これは、ヘイトスピーチの概念をあまりにも拡大するものです。ヘイトスピーチという用語が独り歩きする危険が、以前より懸念されていましたが、まさにそれにあたると言えるでしょう。



(5)「芸術に政治を持ち込むべきではない」



芸術に、人の生や社会のあり様の根源に切り込む面があるとすれば、時には政治的な論争を引き起こす場合がありうることは当然のことで、芸術に政治を持ち込むべきではない、とか、芸術が政治に立ち入るべきではない、ということは言えません。



●「市民に節度を求めるほかはない」

その他にも気になるポイントが2つあります。まず、芸能人の発言です。



今回、中止決定後のことでしたが、芸能人がテレビの情報番組で、展示に疑問を呈する意見を述べていました。一般に、こうした発言は、抗議活動を助長するおそれがあります(この点は政治家の発言も同様でしょう)。



素朴な市民感覚として、同様の感想をもった視聴者は少なくないでしょうし、それを代弁したにすぎないとも思われます。これが芸能人コメンテーターの役割なのでしょうが、今回のような問題は複雑なものであり、こうした発言があったのであれば、他の出演者が別の観点から発言するなどのことが望ましく、テレビ局にも適切な配慮が求められます。



もう1つは、市民の抗議活動です。



展示中止の直接の引き金は、脅迫的なものも含め、市民の抗議が殺到したことだとされています。脅迫や度を超えた長時間の抗議、フェイクニュースの流布などは論外ですが、抗議活動をすることは市民の自由だというのが基本的な考え方ではあります。



ただし、SNSによって情報が広まる今日では、かつてよりも容易に抗議活動の輪が広がりやすくなっています。1つ1つは穏当な態様・内容のものであっても、多数あつまると大きな圧力になります。この点は、市民に節度を求めるほかはありません。少なくとも、積極的に煽るような行為は控えるべきでしょう。



【編集部追記】ニュース編集部と曽我部教授で協議した結果、「(保守派の)百田尚樹氏の講演会中止や、」という文言を削除しました。(2019年8月7日11時)