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津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』が面白い。早川書房の編集者に取材

2019年08月02日 20:00  CINRA.NET

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津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』ハヤカワ文庫版表紙
「この本が売れなかったら、私は編集者を辞めます。」

そんな思い切ったコピーが帯に付された文庫が6月に店頭に並んでから、約2か月が経った。ハヤカワ文庫から刊行された津原泰水の長編小説『ヒッキーヒッキーシェイク』がその一冊だ。帯文を綴ったのは、早川書房の編集者・塩澤快浩。『S-Fマガジン』の編集長であり、伊藤計劃、円城塔、飛浩隆らの著書を世に送り出してきた。日本のSF界に多大な功績を残してきた名編集者に、そこまで言わせる作品とはいったいどんなものなのか。気にならないわけがない。塩澤氏にメール取材を行なった。

■「ある本がきっかけで早川書房に入社した人間がいるなら、逆に辞める人間がいてもいいだろうと」
もともと『ヒッキーヒッキーシェイク』は2016年に幻冬舎から単行本が刊行されていたもの。文庫化の話も具体的なところまで進んでいたそうだが、すんでのところで中止となった。著者の津原泰水と幻冬舎社長・見城徹によるTwitter上の応酬が議論を呼んだ。単行本の実売部数暴露という「禁じ手」を繰り出した見城社長は、作家たちや出版界から反発を受け、その後SNS上で該当ツイートを削除し、謝罪するに至った。

そういった騒動のさなかに、『ヒッキーヒッキーシェイク』が早川書房から文庫化されることが発表。この記事の冒頭に掲げた塩澤氏の帯文が注目を集めることになった。帯文を決めるにあたっての想いを、改めて塩澤氏に聞いた。

<一部では炎上商法とか言われていますが、もともと幻冬舎と津原さんとの問題が公になる前から、この帯文にすることを決めていました。といいますか、公にならない前提でこの本を売るにはどうしたらよいか、を考えた末でのことです。

お読みになった方ならおわかりのように、その面白さを具体的に伝えるのはなかなか難しい本です。幻冬舎の単行本版のカバーや帯も、よく内容を伝えているとは思うのですが、これではなかなか売りにくいかなと思ってしまうのも確かです。

そんなときに思い出したのが、一昨年文庫化を担当して10万部近い実績をあげることができた早瀬耕さんの『未必のマクベス』でした。その帯で、弊社の営業の人間が「本書を読んで、早川書房に転職しました。」というコメントを寄せています。ある本がきっかけで早川書房に入社した人間がいるなら、逆に辞める人間がいてもいいだろうと。というのはまあ、ある意味、験を担いだところもあるのですが、僕の文芸編集者としての20年で少しでも読者の方に信頼感を持ってもらえているなら、それを販促のカードとして切るには、このタイミングしかないだろうと考えたのです。さすがに一度も重版しなかったら編集を辞めざるを得ないかなとは思っていましたが、実はそれほど心配していませんでした。素晴らしい小説であることは間違いないですから。

事前に社内で許可を求めましたが、特に反対はありませんでした。ただ僕も妻子がある身ですから会社を辞めるわけにもいかず、他部署で使ってもらえるよう根回しはしておきました。社長からは、その帯文で本当に売れるんだったら、君の担当本はすべてその帯にしたらどうか、と言われました。それはさすがに身体が保ちません。>

■津原泰水の小説『ヒッキーヒッキーシェイク』はどんな作品? 引きこもりたちは「不気味の谷」を越えるか
『ヒッキーヒッキーシェイク』の著者、津原泰水は「津原やすみ」名義で1989年に少女小説家としてデビュー。2006年刊行のベストセラー『ブラバン』や、2011年に刊行されて『第2回Twitter文学賞』国内部門1位に輝いた『11 eleven』などの著書で知られている。

物語は4人の「引きこもり」と、怪しげなカウンセラーが巻き起こす奇想天外な騒動を中心に展開。「人間創りに参加してほしい。不気味の谷を越えたい」という、引きこもり支援のカウンセラー・JJの口説き文句に引き寄せられた引きこもりたちが、どうやら何かを企んでいるらしいJJの荒唐無稽な言動に振り回されながらも、それぞれの特技を活かしてプロジェクトに関わっていく様を三人称視点で描く。

ハヤカワ文庫版はすでに版を重ねており、売れ行きは好調のようだ。反響はどのようなものだったのだろう?

<こちらで思っていた以上に大きく展開してくださる書店さんが多く、読者の方も、久しぶりに小説を手に取った、夫から紹介されて、娘にも薦めてみよう、といった声が多く、本当にありがたいと思っています。

自分の身の回りでも、担当作家さんや同業の編集者と会うと必ず自然に本書の話が出て、びっくりすると同時に、いやもっと他の担当本もどんどん買って読んでくださいよ、という気持ちになります(冗談です)。もちろん、このように編集者が前面に出ることについての厳しい声も数多くいただいています。それは覚悟のうえで、今回だけはご容赦くださいと腹をくくっていました。>

■「フィクションであることの小説の技術が、最高レベルで駆使された作品」
実際、この作品は面白いのだろうか? 読んだ感想を率直にいうと、かなり面白く読ませてもらった。登場人物たちの内面描写や「引きこもり」になるに至ったエピソードなどを随所に織り交ぜながら、二転三転するダイナミックな展開で一気に読ませる。なにしろストーリーの着地点がわからない。ろくに知識もないくせに「不気味の谷を越えたい」などとのたまうJJに翻弄される登場人物たちと同様に、読者もまた右往左往させられる。それが不思議と心地よい。ハヤカワ文庫版では丹地陽子がカバーイラストを描き下ろした。作中に登場する様々な事物が「渦」に巻き込まれていくようなイラストが印象的だ。

塩澤氏に同作の魅力について聞いた。

<フィクションであることの小説の技術が、最高レベルで駆使された作品だと思います。物語の展開がすべて説明され、登場人物の内面が懇切丁寧に提示されるような作品ではないかもしれません。その意味では、どうもピンとこない読者の方も一定数いるのではないかと思います。でも、もしこの作品を気に入ってもらえたら、新しい世界が広がると思います。>

明確な目的がわからない。先も見えない。そんな一寸先は闇の中で、なにかに巻き込まれ、あるいは巻き込みながら必死で何かを成し遂げようとする、何かを形にしようとする。その「先のわからなさ」は、私たちが生きるこの人生と相似ではないか。塩澤氏に「これから本書を手に取る読者にメッセージを」と請うと、次のように返ってきた。

<きっかけは何でもいいです。新たな世界や環境に飛び込もうとしている人、いや飛び込むのを躊躇っている人、そんな人たちを迎えようとしている人――あなたの背中を少しだけ押してくれる、少しだけ優しい気持ちにさせてくれる小説です。>

■「人にこのような美しい感情を抱いてもらうことにこそ、文芸の価値はある」
この作品について、塩澤氏がTwitterに投稿した言葉も印象的だった。「僕の文芸編集者生活20年の中でも指折りの作品であると確信しています」と前置きしつつ、「人にこのような美しい感情を抱いてもらうことにこそ、文芸の価値はあるのだと」と綴っていた。

騒動と自身のツイートについて、改めて考えを伺った。

<今回の件にかぎらず、SNSなどネットの世界を覆っている本当に汚い言葉の応酬にはうんざりしているところもあって、そうした世界に向けてこの小説を差し出したいという想いはありました。だからこその「人にこのような美しい感情を抱いてもらうためにこそ、文芸の価値はある」というツイートでしたが、文芸の価値はそれだけじゃないぞというご批判もいただきました。もちろんそうなのですが、今回だけは、あえて。>

実際そのような「美しい感情」を抱かされる作品であるかどうか、それはこの文庫を手に取った人それぞれに委ねられている。本稿の筆者にとっては、そのような作品だった。まだまだ、もっと読まれてほしい。