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『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』、なぜスーパーテクノロジーを“魔法”のように用いた?

2019年08月01日 07:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(c)2019 CTMG.(c)&TM 2019 MARVEL.

「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」


 これは、SF作家アーサー・C・クラークの「クラーク三原則」の一つであるが、現実にこれを実感することが増えてきた。スマホでできることはどんどん多くなり、イーロン・マスクは念じただけでPCへの入力を可能にする脳マシンインターフェイスの開発を発表した。そのうち、人間は大きな乗り物なしで空を飛べるようになるだろうし、ボタンひとつで変身できるようにもなるかもしれない。


 そんな科学技術の発達は、娯楽映画のあり方にも確実に影響を与えている。マーベル映画の新作『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』は、まさに発達したテクノロジーを“魔法”のように用いた作品だ。その“魔法”の仕掛け方に、現実の社会が直面している問題と『スパイダーマン』シリーズの本来持つテーマ性がリンクしており、我々が生きる世界について思いを巡らせる作品となっている。


※次より、ネタバレあり。


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■魔法のようなホログラム映像
 本作は、『アベンジャーズ/エンドゲーム』以後の世界を描く作品だ。サノスによって失われた世界の半分の人口が、ヒーローたちの活躍によって奪還され、世界は平穏を取り戻した。「スパイダーマン」ことピーター・パーカーも普通のティーンエイジャーとして高校に通っている。コミカルさも含めた日常描写が、ヒーローたちが取り戻してくれたもののかけがえのなさを象徴しているようだ。


 ピーターたちは、夏休みを利用してヨーロッパ旅行に出かけるのだが、そこで水や炎、風など自然現象をモチーフにした怪物「エレメンタルズ」に遭遇してしまう。ニック・フューリーと新たなヒーロー「ミステリオ」がこれに対処するのだが、ピーターも協力要請を受け、一緒に立ち向かうことになる。


 自然現象をモチーフにした怪物というと、ファンタジーの世界の生物というイメージだが、実はこれは黒幕がしかけたドローンによる高精細なホログラム映像であることが中盤で判明。まさに高度な科学技術で魔法を実現したのである。


 こうした映像によるトリックは、昔なら映画の中だけのものだったが、今は違う。現実の世界にも「ディープフェイク」と呼ばれる、本物と見紛うデマ映像がたやすく作れる技術が登場した。たとえば、バラク・オバマ前大統領が「トランプは間抜けだ」とらしくない発言をしているこの驚きの動画は、実は『ゲット・アウト』で知られるジョーダン・ピール監督が啓発のために作ったフェイク動画だ。


 本作の黒幕は、ホログラムでディープフェイクを作り、脅威を演出。ヒーローになりすますのだが、その黒幕が吐き捨てる台詞が印象深かった。それはとても現代的で、SNSなどで一度は目にしたことがあるはずだ。「人は自分が信じたいものしか信じない」。


 “捏造”された脅威。そして、それに立ち向かうヒーローの登場。人々は新たなヒーローに熱狂し称賛する。そして、大衆だけでなく、トニー・スターク(アイアンマン)の後を継ぐのは自分には重すぎると感じているピーターにとっても、目の前に現れた新ヒーローは「頼れる大人」だと信じたい存在だった。黒幕は、ある意味、ピーターや人々の欲望を叶えようとしたとも言える。黒幕がピーターに言う。「せっかくヒーローをやめて、普通の高校生に戻らせてやろうというのに」。


 みながそれぞれ“信じたいものしか信じない”社会には、嘘の情報が大変に効果的に機能してしまう。本作は、そんな現代社会の脆弱さを見事に突いているのだ。


■悪いのは技術か、人間か
 技術の発展は世の中に新たな混乱をもたらすが、結局のところそれを使うのは人である。トニー・スタークから受け継いだ技術を(高校生だから致し方ないが)無責任にも黒幕に渡してしまったピーター・パーカーは、「大いなる力には大いなる責任がともなう」ことを思い出し、黒幕に立ち向かう。本シリーズの一つのテーマである“力と責任”の関係について、『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』は特殊なスーパーヒーローの力だけでなく、テクノロジーという側面からも捉えている。危険な技術とは、何もミサイルや精巧なホログラムなどといった特殊なものに限らない。我々の手元にあるスマホで不用意な動画を流せば、誰かの人生を崩壊させることもできる。


 しかし、本作は技術に対して悲観的な態度ばかりを取っているわけではない。フラッシュの動画配信のおかげでスパイダーマンは敵の位置を捕捉できたし、なによりスパイダーマンがアイアンマンの残した技術を取り入れて、敵に立ち向かい、これを打倒する。


 結局、最後は技術を使う人間の責任が問われるのだ。“力と責任”について考えなければならないのは、スーパーヒーローだけではない。スーパーテクノロジーを身近なものとして扱う我々もまた、それを問われているのだと、本作は突きつけたのだ。(文=杉本穂高)