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フジファブリック 志村正彦の詩はいつでも“あの頃”に引き戻すーー衝動をもった作家性を振り返る

2019年07月31日 11:51  リアルサウンド

リアルサウンド

志村 正彦『志村正彦全詩集 新装版』

 誰もが、少年のまま生き続けることはできないのだなあ。志村正彦という人が制作したフジファブリックの作品を聴くと、そんな当たり前のことをあらためて痛感する。そういう意味で志村は、その瀬戸際で奇しくも少年のままでいることに成功した人、なのかもしれない。


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 ごく個人的な話になってしまうが、自分が十代の終わりの頃は少し上の世代が牽引したパンクロックのムーブメントがあったり、その後、くるりやASIAN KUNG-FU GENERATIONといった日本語詞のギターロックバンドが活躍し始めてもいた。そんななかでのフジファブリックの登場は「まさに自分の気持ちを一致させることのできるぴったり同世代のバンドが出てきたようだ」と、とても心強く感じたし、それゆえ音源だけでなくライブにもよく通った。ゆえ、自分は2009年の12月25日にまさに鈍器で殴られたようなショックを覚えたし、そこから数日間のことは今もちょっとしたトラウマのようであり、いろいろと未だ正確な感情としてはとらえきれていないように思う。しかしまあ、志村正彦とは、この世にもう“いない”ということがあれから10年経っても未だに嘘っぽい人、でもある。それくらい、彼の作品を愛した人の中にずっと“いる”人であり、なんなら2009年12月25日以降に彼の作品に出会った人にとっても、“かつていた人”という感じはあまりしないくらい普遍的な存在としてとらえられているのではなかろうかと思ったりする。そんな感じで、彼が29歳で忽然と現世から姿を消してしまって以来、虚しさとずっと向き合ってきているが、そこで時間の進みとは無縁になった志村正彦のことを、常に少し羨ましく感じたりもしている。


 なかなか彼の“不在”を認めることなくここまで10年過ごしてきてしまった、という自分のような人は少なからずいるのではと思うが、今回『FABBOX III』と『志村正彦全詩集』の新装版が発行されるタイミングとのことで、あらためて彼の作品にじっくり触れるチャンスがやってきたようだ(自分自身もこの振り返りにあたり、2009年6月に収録された『ROCKIN’ON JAPAN』2010年6月号の志村正彦2万字インタビューを再び読み返し、彼の幼少期から学生時代にかけ培われた視線の詩世界への影響があらためてクリアになる部分が大いにあったりした。機会があれば是非フジファブリックファンには読み返してもらいたい記事だ)。


 言葉とリズムと音色がすべてカッチリとはまるポイントが丹念に作り込まれ「歌」としての完成度が非常に高い志村正彦の音楽は、逆に言えば、その詩の意味を深く考えたりせずとも、楽曲に触れた人の心に知らぬ間に入り込み取り憑く力を持っている。ひとたびその歌が心の中なり口ずさむなりで再生されるようになると、誰もが自由に想像を膨らましそれぞれのストーリーを重ね合わせることができるのだ。彼の音楽には、意味の曖昧さと言葉が描き出す情景の明確さが同居していることに気づかされるのだった。


 たとえばよく歌詞にも登場する野球少年の描写は志村自身の幼少期からの自分自身にまつわる記憶そのものなのだろう。彼の歌詞にふれると、彼は身の周りに起きたひとつひとつの出来事を人一倍記憶している人だったのだな、とよくわかる。また、前述のジャパン誌2万字インタビューによれば、彼は勉強も部活もかなりそつなくこなしていたそうで、中学3年生で奥田民生の音楽と出会ったことにより、一気に音楽の表現にのめりこんでいったという。物事の見え方の解像度の高さゆえにナイーブでもあり、だからといってひとりの世界に閉じこもっていたわけでもないという独特のバランス感覚で生きていた、志村正彦。


 高校時代にはすでに“いつか思い出すであろうこの時”を記録しておこうといろいろ録音していた、ともそのインタビューで志村は話している。それゆえか、彼の歌はいつでもそれぞれの“あの頃”に私たちをいやがおうにも引き戻す。「引き戻してくれる」なんていいものでもなく、急に袖を掴まれて「おい、おまえあの時のあれってこういうことじゃないのか」と、自分では完全に忘れていた何かを突きつけられるような唐突さも携えているところが志村の作品の恐ろしさでもある。


 〈路地裏の僕〉(「陽炎」)、〈ほろ苦い僕〉(「TEENAGER」)といった言葉も出てくるが、それは彼にとって昔を懐かしむための郷愁というよりも、その時点の自分まで綿々と続いているものであり、いつでも“あの頃”と“今”を自在に行き来させてしまうのが、志村正彦が生み出した作品の持つ魔力なのだろう。都合よく美化された過去の記憶ではなく、大人から見たらもはや意味不明なほどの少年ならではの衝動性や、「美しい」とか「儚い」とか明確に言語化され絡め取られてしまう以前の「あれが好き・これが好き・これはなんかいやだ」という幼い頃の記憶の断片みたいなものが、彼の詩には端々まで詰まっている。


 情景描写とサウンドメイクでバシッと設定を想像させつつも、細かすぎて完全に忘れてしまっているような情緒のしっぽともいうようなものをむんぎゅと掴まえて徹底的にグツグツ煮詰めた先にポンと出てきた言葉。そういうものが、志村正彦が綴っていた詩なのだと思う。それは、ファンの間で“四季シリーズ”とも呼ばれ、フジファブリックが持つ叙情性を決定的なものにした「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」といった楽曲群からでもよくわかる。


 「自分は学年一、本を読んでいたと思うし、図書委員だった」と前述のインタビューでも志村は話しているのだが、そういうことを踏まえてあらためて四季シリーズの楽曲など聴くと「季節の移り変わりとか、あんた最近しっかり感じ取れているんですか」と問い詰められているような気分にすらなるというものだ。また、彼の詩に出てくる女の子は、強くて、無敵感があって、しかし同時に“エロ”的なものとは全く別枠の妄想の産物でもあったりする。いろいろと急展開を見せつつ広がり続ける志村正彦の思考世界は、今やフジファブリックの代表曲として誰もが知るようになった「若者のすべて」や初期の名曲「茜色の夕日」を聴いただけでは到底理解することもできないような“ネトネトワールド”が表裏一体に存在している。


 今回あらためて彼の詩作品を読み直し、そして実際に曲をかけながら歌詞としての言葉たちもまたとらえ直し、そうすることで何度でも新しい発見が立ち上がってくるという経験をした。フジファブリックの3人が、今また志村正彦のいた時代の映像作品や詩集を率先して世に出そうとしてくれるということは、つまり、今だからこそまたあらためて伝わるものが明確になってきたということなのだろうし、彼ら自身もそれをしっかりととらえ直しつつ、この先も伝え続ける命(めい)を引き受けてくれているのだとわかりありがたい。志村正彦の姿は現世に不在であるが、発信し続けているものたちに今あらためて触れてみることを多くの方におすすめしたい。(鈴木 絵美里)