2008年以来11年ぶり、チーム創設二度目となったトロロッソの表彰台は、ホンダと組んでから2年目の大きな成果でもあった。パートナーが始まって以来、ずっとトロロッソのスタッフと苦楽を共にしてきた本橋正充チーフエンジニアは、初めて駆けつけた表彰台の下で、彼らと抱き合いながら獣のような咆哮を上げていた。
――やった~という感じですか。
本橋正充チーフエンジニア(以下、本橋CE):ほんとですね。トロロッソと去年から組み始めて、少しずつ結果は出ていたんですが、今年に入って今ひとつ結果が伴わないレースが続いていました。なので本当に、やった!って感じです。しかもこの難しいコンディションの中を、生き残っての表彰台ですからね。トロロッソもホンダも、うまく噛み合ってこその結果だと思います。
――トロロッソにとってはチーム創設以来、二度目の表彰台。ホンダにとっても、もしあのまま1-2フィニッシュできてたら、1991年のゲルハルト・ベルガー、アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ、1991年の第15戦日本GPでワンツー)でした。
本橋CE:そうですか(笑)。まあ、狙いたかったですけどね。ただフェラーリもかなり速いペースで迫っていたし、ドライバー含め頑張ったんですけど、2位は守れなかったですね。
――(アレクサンダー)アルボンはレース前、「ウエットは得意だけど、前日までの練習なしのぶっつけ本番はきついかな」と言っていました。
本橋CE:アレックスにとってF1のウエットレースは、初体験でした。しかしスタート直後の渋滞も、あの視界がまったくない状況で非常にうまく運転してくれた。セーフティカーが入ったりしましたが、終始いいペースで走ったので、それがあの6位に結びついたかなと。
――本橋さんは以前から、アルボンはいいドライバーだと評価していましたね。
本橋CE:そうですね。今年からF1デビューして、どんなドライバーかなと思っていたんですが、シーズン始めの乗り出しからいいタイムを出してくれた。トラフィックの抜け出し方も、非常に巧い。うれしいサプライズだったし、僕に限らず周囲は皆、いいドライバーだと認めていますね。
――(ダニール)クビアトは真っ先にドライタイヤに換えた、あの決断が功を奏しました。
本橋CE:あれは、難しい決断だったと思います。タイヤの使い方も含め、非常にうまく走ってくれた。クルマのバランス自体も、終始よかったですけどね。なので期待して、このまま行けそうかなと見ていました。
――連戦なのでこのままブダペストに入ると思うんですが、1日ぐらい休んでトロロッソのスタッフと祝勝会をするんですか。
本橋CE:そうしたいところですが、今回シーズン初のウエットレースだったので、学ぶことも多かった。戦略含めてうまく回った部分もあるし、そこからのフィードバックを早急に分析して、次に活かしたいのでずっと、仕事です。
――表彰台は、もちろん行きましたよね。
本橋CE:ええ。トロロッソというチームとやって来て、とうとうやったという思いが込み上げてきましたね。しかもさっきも言ったように、非常に難しいレースでしたし、チーム戦略、マシンとパワーユニット(PU/エンジン)のセットアップ、それをかなりの頻度で換える忙しいレースでした。
その末の表彰台ですから、今までの苦労と今日1日の苦労が報われたと、本当にうれしかったです。それと(ホンダの)Hマークをつけたふたりが表彰台に乗っていることも、感慨深いものがありました。
――(レッドブルの)オーストリアの初優勝も、ホンダのメンバーとして表彰台に駆けつけたと思いますが、
本橋CE:いえ、行っていないです。
――今回はさすがにウルっときましたか?
本橋CE:泣かない派なんで、泣きはしませんでした。でも少し目頭は、熱くなりました。トロロッソのメンバーも当然ながらすごく喜んでて、レース終盤は途中から無線交信がテンション高くなり過ぎちゃって、少しクールダウンしようぜと言い合ったり(笑)。
――それは、残り5周ぐらい?
本橋CE:いえ、10周前ぐらいからです(笑)。「プッシュ、プッシュ!」で、大変でした。一瞬一瞬で気が抜けない状況ながら、その辺りからものすごい興奮状態でした。ただレースは続いていましたから、興奮しながらもしっかりデータを見て、進めて行きましたね。
――(セバスチャン)ベッテルに抜かれたのは仕方ないとして、後続に追い付かれることは心配しませんでしたか?
本橋CE:それは、心配していなかったですね。十分な速さがありました。ウエットコンディションの中、かなりいいバランスで走れていましたから。それが最初から最後まで、続いていた。なので大丈夫だろうと。万一凡ミスで抜かれたとしても、必ず抜き返せると思っていました。