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中村倫也が提示する様々な幸せの形 『凪のお暇』が描く“持つ者と持たざる者“

2019年07月27日 15:21  リアルサウンド

リアルサウンド

『凪のお暇』(c)TBS

 「何もないなら、何もないなりに、楽しんじゃおうよ」


 安定した仕事も、「いいね」を押し合う人間関係も、都心の部屋も、女子力の高い服も、そしてハイスペックな恋人も……すべてを断捨離して郊外の古いアパートへと転がり込んだ大島凪(黒木華)。相棒は、拾ってきた扇風機だけ。貯金を切り崩しながらの生活は、不安しかない。だが、凪の顔は晴れやかで、少しずつ“自分らしく生きる“のコツを掴んでいるようだ。


 金曜ドラマ『凪のお暇』(TBS系)第2話で描かれたのは、“持つ者と持たざる者“。凪の住むアパート“エレガンスパレス“の住人たちは、一見すると“持っていない者“の集まりに見える。パン屋でパンの耳をもらって、自動販売機の下に手をのばす“おつり漁りババア“の吉永緑(三田佳子)も、友だちに「大きなマンションに暮らしていて、いつも帰りを待つママがいる」と嘘をついているカギっ子の小学5年生・白石うらら(白鳥玉季)も。


 凪は、うららが友だちに嘘をついている場面に遭遇。そしてベランダで明かされた、うららの思いに思わず共感。「友だちと比べちゃう」といううららの言葉は、そのまま輪からはみださないようにと、必死に空気を読んでいた自分の姿を重なってしまったからだ。まわりはいろんな物を“持っている“。優しいママも、おいしいおやつも、ふわふわのワンちゃんも……「なんでうちにはないの?」うららのまっすぐなボヤキは、きっと大人にも通じるものがある。


 大人になっても、「よそはよそ。うちはうち」なんて割り切れないのが、人間だ。SNSで回ってくる豊かな生活の断片たち。美味しそうな食事も、輝かしいキャリアも、温かい家族や仲間……当たり前のように“持っている者“に対して、自分は何も“持っていない“と感じた瞬間、モヤモヤとした感情が立ち込めるものだ。


 凪も、その感情に支配されていた1人だった。だが、“エレガンスパレス“に来て、少しずつその支配から解き放たれていく。無職&独身で孤独死まっしぐらに見えた緑も、彼女の部屋に一歩入ってみたら、質素ながらも趣味を大切にした生活を楽しんでいるのだとわかった。隣に住む怪しげな男・安良城ゴン(中村倫也)は、イベントオーガナイザーという仕事で充実した日々を過ごしている。モノやお金を“持っていない“=幸せも手にしていない、と勝手に思い込んでいたのは、凪の方だったと気づき、その思い込みを捨て始めた。


 ゆっくり飲むコーヒー、ワンコインでできるバーベキュー、青空の下で寝転ぶ贅沢な時間……ゴンから、そんな新しい楽しみ方を教わり、次第に惹かれていく凪。自分が今まで見ていた幸せの形は、たくさんあるもののなかの一つに過ぎなかったのだ。そうして、出てきた言葉が「何もないなら、何もないなりに、楽しんじゃおうよ」なのだろう。“持っていない“に支配されず、その“持っていない“状況をいかに楽しめるか。いつものビスケットを「おいしくない」と言いながら食べ続けるか、牛乳をかけてより自分の好みに近づくかを試していくか。


 きっと生きるとは、そういうことなのだ。生まれながらに境遇の違いはあれど、どんなに恵まれた境遇の中であっても「持っている」「持っていない」という差は生まれるもの。その差があるからこそ、人は努力していろんな物を手に入れようとする。だが、そのイタチごっこだけが、人生の全てではない。周りと比べて、持っていないものばかりを求めても満足できなければ幸せではないし、自分が持っているモノを大切にできなければ意味がない。ときには、立ち止まって抱え込みすぎたモノを捨てるほうが気持ちよかったりもする。


 自分は、何を持っていたら幸せなのか。その優先順位が明確になれば、あれもこれも「持っていない」と自分を卑下せずに済む。うららの場合は、大好きなお母さんと一緒にいたいという思いが一番だった。それが見えれば、その他の持ってないモノは、とりあえずあるもので代用して楽しめる。ワンちゃんは飼えないけれど、代わりに凪のフワフワ頭をなでて楽しむのもその工夫のひとつだ。そして、本当に手に入れたい優先順位が上がったら、その実現に向けて作戦を立てればいいのだ。


 しかし、大人だってそれができる人は難しい。ハローワークで知り合った坂本龍子(市川実日子)も、自分の中で何が大切なのかを見失いがちだ。ラッキーアイテムも、友だちを失うほどのめり込んで、孤独を悲しんでいるのだとしたら本末転倒。だが、多くの友人は去ったけれど、凪だけがちゃんと向き合ってくれた、そんな友だちができたのはやはりラッキーアイテムのおかげだと思うのだろうか。龍子ならではの幸せの形も気になるところだ。


 そして、やはり注目なのが、凪の元恋人・我聞慎二(高橋一生)のこじらせっぷりだ。自分と同じように「空気を読まなきゃ」といつもその場を取り繕っていた凪が可愛かったのに……と慎二の行動はさらに“好きな子をいじめる“少年のようになっていく。ババ抜きで負け続ける凪に“集団野中で最も傷つきやすく、いじめやすそうな人が敗者になるように決まっている“というホットポテト理論を持ち出して、再び凪の心を支配しようと目論む。だが、ゴンの「俺ならポテト食っちゃう」の一言で台無しに。


 そして緑の「男女の悲劇はいつだって言葉足らず」のアドバイスを受けて、ただ「好き」と凪に伝えようとするも、「好き? なんだろ、俺のこと」と、またもや口が勝手に滑り出す。凪を「彼女だ」と友人に紹介したかったのにできなかったバーベキューも、凪に立ち聞きされてしまった同僚との「体の相性」発言も、振り返ってみたら慎二こそホットポテト理論に当てはまるのではないか。


 何も“持っていない“人は、何からも支配されない。一方、手放したくないと抱え込む人こそ、ぎゅうぎゅうに詰め込んだクローゼットのように、心がいっぱいいっぱいになりやすい。このドラマを見て、私たちの心のクローゼットはどうだろうか、と振り返りたくなる。失うのが怖いと怯えたり、あれもこれもまだ手にしていないと必死になったり、もともと何を持っているのかわからなくなってはいないだろうか。しかし、仮に失ったとしても、凪のように持っていない分、新しいものを受け入れられたり、「何もないを楽しむ」ことができれば何も怖くない。


(文=佐藤結衣)