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『サ道』でサウナのお作法と名所を知ろう 全編に流れる『孤独のグルメ』に通じる心地よさ

2019年07月26日 08:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『サ道』(c)「サ道」製作委員会

 まず。冒頭の「全裸のおっさんがひしめき合う」(モノローグより)サウナの中のシーン。その次の、登場人物=主人公「ナカタアツロウ」(原田泰造)と「偶然さん」(三宅弘城)と「イケメン蒸し男」(磯村勇斗)の3人が「ととのい」を求めて休憩しているシーン。そのあとスタッフがマットの交換に来るシーン。それから、子供の頃のぞいたサウナの回想シーン。以上の4つはいい。しかし。


 それ以外の、上野のサウナ北欧のシーンに関しては、ロッカールームにも洗い場にも、登場人物たち以外誰もいないの、不自然! 板橋のみやこ湯で、「ナカタアツロウ」の師である「蒸しZ」(宅麻伸)に出会うシーンも然りで、脱衣所にも風呂場にもサウナにも、「ナカタアツロウ」と「蒸しZ」のふたりしかいない。不自然でしょ、これも。平日の昼間だからとはいえ、そこまで空いてるってこたあないでしょ。エキストラ入れましょうよ、爺さん2、3人でいいから。


 そこだけです、気になったの。それ以外に関しては、とてもよかったのではないでしょうか、テレビ東京金曜深夜「ドラマ25」枠で7月19日に始まった『サ道』の放送第1回目は。全国のサウナの休憩スペースにあたりまえに置いてある、サウナー(サウナ好きのことをこう呼びます)にとっての聖書=タナカカツキの『サ道』の、まさかの実写ドラマ化である。「え、これをドラマに!?」というチャレンジングな作品が多いテレ東深夜枠だが、個人的には大根仁が演出・脚本を手がけた『湯けむりスナイパー』以来の驚きだった。


 なお、『サ道』は、最初にエッセイとして書かれ(2009年~)、そのあと週刊モーニングでマンガ化されて(2015年~)、現在も連載中なのだが、先行のエッセイをそのままマンガにするのではなく、新しい話をマンガで描きながら、その中にエッセイで出てきたネタもちょいちょい入ってくる、みたいな内容になっている。で、このドラマはマンガの方が原作である。


 とにかく、原作が好きでサウナが好きでテレ東深夜ドラマが好きである僕のような者にとっては、大好物の3乗なわけで、ゆえに「でもあんまり期待しすぎないように」と自分を抑えながら放送日を迎えたのだが、杞憂に終わった。なので、どこがよかったのか、考えていきたいと思います。


 まず、もっとも大きいのは、サウナの魅力やサウナの入り方を未経験の方に知らせるガイドとして構成されていながらも、「説明くさい」「マニュアルっぽい」感じに陥ることを絶妙に避けている、その構成の温度だった。


 たとえば。このドラマ(原作も)、実在のサウナを紹介していくガイド的な作りになっているのだが(番組の最後にサウナのデータが出るし、次回はどこを紹介するかがセリフでわかる。一回目のラストで「偶然さん」の口から告げられたのは、錦糸町の名サウナ、ニューウイングだった)、その一回目の舞台として上野の北欧を選ぶことで、本場フィンランドのサウナの説明をできるようにする、とか。その北欧で、「休憩室のいちばん奥に食事処がある」というモノローグと共に、休憩室を通って食事処に行くシーンを作ることで、休憩室の映像も紹介できる、とか。あと、その食事処での会話で、サウナが「ととのう」理由について説明を入れつつ、人気メニューの北欧カレーのガイドもする、とか。


 銭湯のシーンもそうだ。「ナカタアツロウ」が「蒸しZ」を見習って初めてサウナに足を踏み入れるシーンで、「12分計」とか「休憩の前に身体を拭く」とか、「上段の方が熱い」とか「三巡目は長い」などの、サウナ基礎知識を「ナカタアツロウ」が初めて知ることで、視聴者にも伝えていく。そこに「ナカタアツロウ」の「亡き父とサウナ」の思い出をからめることで(もちろんこれも原作にはない)、説明的になりすぎることを防いでもいる。


 というふうに、全編、「サウナの魅力やお作法を解説したい」と、「でもマニュアルじゃなくてドラマが観たい」、ふたつの希望を満たすものになっているのだった。


 もうひとつ言うと、初回で「北欧=いわゆるサウナ」と、「みやこ湯=銭湯のサウナ」の両方を出したところにも、「初回なんだから、ガイドとしての役割を果たすためにはそうでなくてはいかん、両方出さなくてはならん」という意志が見える。これがどちらかじゃあがっかりだし、ふたつでも「いわゆるサウナ」と「スーパー銭湯のサウナ」ではダメだし、「銭湯のサウナ」と「スーパー銭湯のサウナ」ではもっとダメだ……「わからねえよ」と言われて終わりな気がしてきたが、でも、そういうものなのです。


 原作によると、作者のタナカカツキは、いわゆる街のサウナの雰囲気が苦手で足を踏み入れたことがなかったが、近所にできたジムに入会したらそこにサウナがついていた、というきっかけで、はまったそうだ。つまり、ここも原作とは変えているわけだが、なぜ変えたかという必然がはっきりしている、だから気にならない、ということだ。


 話がほぼ「ナカタアツロウ」のモノローグで進んでいくのも『孤独のグルメ』的な感じで心地いいし(ほかにやりようがないからかもしれないが)、音楽もすばらしい温度感だし(主題歌のCorneliusもエンディングのTempalayも劇伴のとくさしけんごも含む)、画の切り取り方や画の質感もきれい。というふうなディティールも、いちいち良い。


 あと、この回の登場人物の4人を観ていて気がついた。これ、身体で役者を選んだ、というところも、大きいんじゃないだろうか。そう、サウナや銭湯に行くたびにつくづく思うのだが、おっさんの裸ってだいたいにおいて見るのがつらい仕上がりじゃないですか。目を背けたくなるじゃないですか。その反動か、鍛えている、いい身体の男が入ってくるとじっと見ちゃったりするもん、俺。あ、自分はもちろん前者です。


 あんまりムキムキなのは不自然、でもあまりにだらしないのはテレビなので避けたい。というわけで、それぞれに差異はあれどいずれも見苦しくない身体つきの、この人たちだったのではないだろうか。


 と、ここまで書いて、ハタと気がつく。冒頭で僕が書いた「風呂場に誰もいなくて不自然」の件。あれ、リアルに現実をトレースして人を増やせば増やすほど、見苦しさが増す、それを避けるためにあえてそうしたのではないか、ということに。なるほどー。


 あと、「偶然さん」の「冷たいなあ。三茶の駒の湯の水風呂ぐらい冷たいなあ」というセリフには、「上野の北欧がホームの人が、三茶の駒の湯も好き? 遠くない? その両方に行く人なんて人いる?」と、疑問が湧いた。が、その次の瞬間、「いるよ! 俺だよ!」と気づき、「失礼しました」という気持ちになりました。


 「偶然さん」、営業マンなので、日々あちこち移動しながら空き時間があるとサッとサウナに入る、なので都内のサウナを把握しておられるのだと思います。「会議まで1時間半空いた!」と、サウナにダッシュするシーンが原作にあります。


 なお、「偶然さん」にそう言われた「イケメン蒸し男」は、「今のはヨコヤマ・ユーランド鶴見の水風呂ぐらいの冷たさですよ」と返した。横浜の鶴見です。この人も広いですね、行動範囲。(文=兵庫慎司)