フェラーリのシャルル・ルクレールは、2014年に彼のメンターであり親友であったジュール・ビアンキに悲劇的な事故が降りかかった後も、F1でレースをする夢を捨てることはなかったと述べている。
ビアンキはルクレールより8歳年上で、ルクレールの教師役だった。ルクレールはカートに参戦していた頃からビアンキの揺るぎないサポートを受けて、タイトルを獲得するなどの結果を残した。
そのビアンキはモータースポーツの階段を順調に上がっていった。彼はフェラーリ・ドライバー・アカデミーに加入し、F1における育成期間の1年目をマルシャF1チームで過ごした。
しかし、2014年の日本GPでビアンキは頭部に重傷を負い昏睡状態となった。そしてビアンキは、9カ月後の2015年7月17日にこの世を去った。
『BBC』のF1特派員アンドリュー・ベンソンの独占インタビューに応じたルクレールは、「どんな時も、彼の事故のせいで自分のキャリアをやめようと考えたことは決してない」と語った。
「このスポーツの世界に入った当初から、これがいかに危険なことかは分かっている。安全なスポーツになることはないんだ」
「もちろんマシンの安全性は日に日に高まっている。でも時速340kmで走ることが安全になることは決してない」
「初めからそのことは分かっていた。それに僕は彼に報いたかった。彼はたくさんのことを教えてくれたからね」
「彼はいつも僕の背中を押してくれたし、上達するように助けてくれた。この事故が起きた時に考えた唯一のことは、彼に誇りに思ってもらえるように、彼のために良い結果を出したいということだけだった」
天国ではビアンキと、2017年に急逝したルクレールの父エルベが、シャルルの素晴らしいキャリアが展開しているのを見て、誇りに思っているに違いない。
このふたりはルクレールが夢を追うように勇気づけたが、彼らはまたルクレールの人格から自然に謙虚さが発揮されるように導いた。彼らはルクレールに才能があると言ったが、それはハードワークなしでは開花しないと教え込んだのだ。
『足を地につけて、トレーニングを続けろ』というのが、チャンピオンになろうとするルクレールへの彼らのメッセージだった。
「確かに、僕の謙虚さは彼らの教えによるものだ」
「これまで傲慢になったりしたことはないと思う。それはどちらかというと自然なことなんだ」
「僕は心からこれが進むべき道だと信じている。また、彼らが僕にそう教え続けてくれたということが、僕の助けになっていると思う」