2019年F1第10戦イギリスGPは、メルセデスのルイス・ハミルトンが地元イギリスGP最多6勝目を飾った。F1ジャーナリストの今宮純氏が週末のレースを振り返る。
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すべてのコーナーで『バトル・オブ・シルバーストーン』が見られた第70回目のイギリスGP。マゴッツ~ベケッツ~チャペルで、コプスで、ストウで、クラブで、ブルックランズで……。
各コーナー・スタンド席、芝生・自由席は老若男女でいっぱい。新記録35万1000人の大観衆が盛り上げ、メルセデスのルイス・ハミルトンがさらに活気づけた第10戦、これぞ伝統のグランプリ――。
コーナーごとにポジションが入れ替わり、順位がめまぐるしく変わった。「空力(乱流)の影響で接近戦ができない」、「オーバーテイクはDRSがあっても難しい」、「パワーユニット(PU/エンジン)時代になってペースをセーブしなくてはならなくなった」、「だからF1は退屈なパレード」……。そうした意見や批判、見方をくつがえすような、スピーディーでハードなレーシングが戻ってきた。
コース上でやってもいいプレー、やってはいけないプレー。それは最高峰F1なのだから本来、卓越したグランプリ・ドライバーたちのコクピットでの判断にゆだねられていた。カナダGPから続いて起きたペナルティ問題、競技後のスチュワートのジャッジをめぐる論議からひとまず、新たな方向性が示されたようだ。オーストリアGPでの首位攻防“フェルスタッペン対ルクレール戦”の後、21歳のふたりはこう言った。
「あのプレーが許されないのなら、F1でレースする意味はない」とフェルスタッペン。
「一貫性に欠ける裁定が問題なんだ。これからは自分のやり方でレースを戦うことにする」とルクレール。
弱冠21歳のふたりはいわば大学生世代でも、カート時代からの『レース人生経験』は長い。きっぱりとした発言は傾聴に値するもので、F1界をしきる大人たちへのメッセージと個人的に受けとめた。すぐ近い未来にきっとふたりがこのスポーツを担うことになるだろう。
シルバーストーンに話を戻そう。実際にふたりはオーストリアGPの延長戦のような、迫真のサイド・バイ・サイドをここで見せ続けた。コース全域でコース幅を使い、ぎりぎりの攻撃とぎりぎりの防御を、ときには“タッチ”してもダーティーではなくフェアに。レーシング・バトルのお手本みたいだった(それにくらべ黒い2台マシン同士のスタート直後の接触プレーはいかがなものか)。
先頭で競うボッタス対ハミルトンから上位グループも中団も後方集団も、隙あれば狙い察知すれば防ぎ、超高速コーナリング・コースでお互いがスキルを発揮。コーナーで観戦するファンはコクピットにいる気分になり、「いくぞッ」とか「きてるぞッ」と叫びながら引きずり込まれていった……にちがいない。
ときどきTVカメラに映し出される観客のリアクションもアグレッシブ、1秒たりと目を離せない緊張感が客席から伝わった。
この日は同じころにウインブルドン・テニス男子シングルス決勝「ジョコビッチ対フェデラー」、「クリケット・ワールドカップ戦イングランド対ニュージーランド」が行われていた。F1かテニスかクリケットか――。大観衆が見つめ興奮するイベントこそが、そのスポーツの格式や伝統や価値などを我々に知らしめるのだ。
今年前半ここまでで、シルバーストーンが『ベストグランプリ』に値すると思う。いいレースになった理由――。
1:充分にコース幅が広いレイアウト(クロスラインが可能)
2:いくつもあるブレーキング・エリア(減速のがまんくらべ)
3:燃費的にシビアでなく“リフト&コースト”の要求度は低い(パワーコード走行可能)
4:ハードタイヤが低温条件にマッチ(熱ダレなどケアする配慮が減る)
5:セーフティカー導入がレース戦略にバリエーションを与えた(ハミルトンにとってはジャストタイミング)
6:新舗装路面のグリップが向上(最速ラップなんと3.327秒アップ!)
7:ブリティッシュ・ウェザーがアクセントに(変わる風向きと降りそうで降らない雨)
8:そしてなにより超満員の熱気と声援(下手なことはできない)――。
いいレースをするのはもちろんドライバーでも、素晴らしいグランプリを創り上げるのはファンたちだ。たぶん1950年5月13日、最初のシルバーストーン戦もそうだったのではないかと想像する。