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『いだてん』中村勘九郎の「さようなら」に込められたもの 四三の物語に一区切り

2019年07月15日 12:31  リアルサウンド

リアルサウンド

 『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)第27回「替り目」が7月14日に放送された。日本人初のオリンピック選手・金栗四三(中村勘九郎)を応援し続けた兄・実次(中村獅童)の死が、走り続けた四三の物語に終止符を打った。


 現役引退後も走り続けていた四三のもとに、兄・実次が訪ねてきた。久方ぶりに四三と顔を合わせた実次が見せる満面の笑みが印象的だ。「オリンピックば3回やったもんなあ!」と話す彼の笑顔は、走ることに向き合い続けた弟への敬意に満ちている。


 実次が東京に訪れたのは、ストックホルムオリンピックの旅費を届けに来たときから17年ぶりのことだった。実次は別れ際「そろそろ、熊本に帰ってこんね」と四三へ伝える。「後進の育成」という夢を抱えていた四三の表情には迷いがあった。だが、実次は四三に無理強いすることなく、しかし、まっすぐ目を見つめてこう言った。


「みんな、待っとるけん」


 その後も東京に残っていた四三に兄の危篤を伝える電報が届いた。四三はすぐに帰郷するも、実次の臨終には間に合わなかった。四三の深いため息が、兄の死に際に立ち会えなかった四三の虚しさを物語る。亡くなった兄の顔を見て、四三は声にならない声をあげて涙を流した。顔をひきつらせ、悲しみに暮れる四三の表情からは、実次の存在がいかに大きなものだったかが伝わってくる。


 かつて四三は父・信彦(田口トモロヲ)の臨終にも間に合わなかった。父は亡くなる直前まで、四三のために「嘉納(役所広司)先生に抱っこしてもらえた」と嘘をつき続けた。父のついてくれた嘘を白状しようとしたとき、「何も言うな!」と叱咤したのは兄の実次だった。そのときから、四三にとって実次は兄であり、父親のような存在だったのだ。


 母・シエ(宮崎美子)は、東京から帰ってきた実次が「嘉納治五郎先生に会うて、四三がお世話になりましたって、きっちり、お礼ば言うてきたけん」と話したことを伝えた。だが四三は、実次が父のように優しい嘘をついたのだと涙ながらに笑う。涙を流しながらも穏やかな表情で「父ちゃんと同じ嘘ばついて」と語る四三。だが、嘘をついてまで自分を熊本に呼び戻したかったのかと思った途端、四三の笑顔は崩れ、その目からは涙が溢れる。


 四三らのもとへやってきた幾江(大竹しのぶ)は、実次に「あんたがのうなったら、張り合いのなかばい」と声をかけた。幾江も早くに息子・重行(髙橋洋)を亡くしており、息子を亡くしたシエの悲しみを誰よりも理解している。幾江は四三にこう告げた。「今晩は仏さんのそばにおれ、死ぬまでお前のために頭下げて回った兄上のそばにおれ」。たまらず上を向き、涙を堪えようとする四三の姿が切ない。


 実次のカラッとした笑顔や、豪快な笑い声、幾江とのやりとりなど、中村獅童の演技は印象強かった。あの力強さが、四三を支えてきたのだとわかる。兄であり、父親のような存在だった実次は、四三の思い出の中で輝いていた。幼き四三を叱る姿。東京へ向かう四三を、涙でぐしゃぐしゃな顔で送り出す姿。四三をオリンピックに出場させるため、何度も頭を下げる姿。資金を渡すためにはるばる東京までやって来た力強い実次の笑顔。どんな表情であっても、弟を思う強い気持ちは変わらない。兄の姿を思い出し、「とつけむにゃあは、兄上のほうじゃったね」と呟く四三。「そろそろ、潮時ばい」と言う四三の表情は、悔いのないように見えた。


 四三は治五郎に熊本へ帰ることを告げる。そこで四三は、実次が治五郎に会っていたことを知った。治五郎に勝負を挑んだ実次は一本背負いで放り投げられてしまうが、「順道制勝の極意、しかとこの身で受けました」と言うと、高らかに笑った。「弟が大変、お世話になり申した」と頭を下げる実次の表情は明るかった。


「嘘じゃなかったとね」


 治五郎から兄の話を聞いた四三は、静かに涙を流しながらも嬉しそうな表情を浮かべた。


 四三は3度オリンピックに参加してきた。日本人初のオリンピック選手として出場したストックホルムオリンピック。マラソン日本代表として2度目の出場となったベルギー・アントワープ大会、そしてパリ大会。いずれも期待された成績を残すことはできなかったが、「走りたい」という四三の思いが途切れることはなかった。四三の思いを知る家族が、彼を支え続けてきたからだ。


 四三の発した「さようなら」の響きが切ない。だが、四三は柔らかな笑顔を見せてその場を去った。3度のオリンピックを駆け抜けた「いだてん」の物語は終わった。しかし四三の情熱が途切れたわけではない。体協を立ち去る四三に、政治は敬意を払い、頭を下げた。新たな「いだてん」に、オリンピックへの情熱が手渡された瞬間だった。(片山香帆)