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ジャニー喜多川の“個人の成長を信じる”という哲学 男性アイドルの礎築いた功績を振り返る

2019年07月10日 05:11  リアルサウンド

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 ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川が7月9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため東京都内の病院で死去した。87歳だった。多くの男性アイドルを育成し、「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」「最も多くのチャート1位アーティストを生み出したプロデューサー」としてギネス認定を受けるなど、エンターテインメントシーンの黎明期を支えてきた、日本でもっとも著名なプロデューサーの一人でもあった。


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 『テレビとジャニーズ 』や『ジャニーズの正体』などを著書に持つ社会学者の太田省一氏は、改めてジャニー氏の歩みとジャニーズ事務所の設立について以下のように振り返る。


「ジャニーさんは戦前に生まれ、アメリカと日本を行き来する中で第二次世界大戦を経験しました。年若い頃からショービジネスに関心を持ち、戦後はアメリカの高校に通いながら音楽やショーの勉強をし、実際に仕事をするようになります。その間、真言密教の導師だった父親が作った会堂での美空ひばりさんなどのアメリカ公演で裏方として仕事をしたことも、日本の芸能界へ進むきっかけだったと言われています。また朝鮮戦争の際には、アメリカ国籍だったジャニーさんは従軍して韓国に渡り戦災孤児となった子供達に英語の勉強を教える仕事に就きました。その時に強く感じたのが、少年の可能性を引き出すことの大切さだったようです。そのことが、日本に戻り、在日米軍関係者が住んでいた宿舎・ワシントンハウスにて始めた「ジャニーズ」と冠した少年野球チームにつながっていきます。その中に元祖ジャニーズとなる真家ひろみさん、飯野おさみさん、中谷良さん、あおい輝彦さんの4人がいました。そして彼らはジャニーさんとともに観た映画『ウエスト・サイド物語』に感銘を受け、グループを結成。1962年に設立されたのがジャニーズ事務所です」


 太田氏はそのような背景から「ジャニー氏にはアメリカと日本の両方にアイデンティティがあった」と考え、アメリカのショービジネスの代表であるミュージカルを日本オリジナルでやること自体が自らのアイデンティティとなっていったのではないかと推察する。


「戦争の記憶がまだ生々しく残る日本の少年たちにいかに希望を与えるか。それをエンターテインメントの力で成し遂げようとしていたようにも思います。今年映画化された『少年たち』は、ジャニーズの伝統的な舞台の演目でもありますが、その「少年たち」こそがジャニーズ事務所の根底にあるものです」


 設立以降、男性アイドルに特化し、日本の芸能界/エンターテインメントシーンに多大な影響を与えてきたジャニーズ事務所。同事務所およびジャニー氏の功績とはどのようなものなのか。


「ジャニーズ事務所の大きな功績の一つは、歌って踊るグループのスタイルを定着させ、アイドルは歌って踊るものという原型を形作ったこと。ただ、歌って踊ることに積極的に取り組んでいたのはアイドルを育てるためではなく、当初はあくまでミュージカルスターを育て、ショービジネスで成功しようという志向が強かった。元祖ジャニーズは『NHK紅白歌合戦』に出るまでの人気者になりますが、レッスンに専念するため人気絶頂の中アメリカへ渡り、しばらく日本の芸能界から姿を消してしまいます。その影響もあり、ジャニーズ人気は落ちていきました。その教訓を生かすように、その後出てきたフォーリーブスはテレビ出演を積極的に行い、お茶の間に受け入れられていきます。それが1960年代終わりから70年代前半のことです。その頃には『スター誕生!』(1971年~1983年)などの番組が注目を集め、テレビとアイドルの時代が始まります。その流れの中に最初からジャニーズ事務所のタレントも存在することができ、男性アイドルシーンでジャニーズが存在感を増していくようになりました。タレントの活躍の場が舞台だけでも、またテレビだけでも、今のような事務所の力を得ることにはならなかったでしょう。それぞれで活路を見出したということは、ジャニーさんの功績だと言えるのではないでしょうか」


 また、太田氏は、以前、『蜷川幸雄のクロスオーバートーク』(2015年/NHK第一)にジャニー氏が出演した際に話していた“成長しない子はいない”という言葉が特に心に残っていると語る。


「ジャニーさんは必ず誰もが成長して個性を発揮できるものなのだと信じ、その個性を見出すことが自分の役割だと感じていたように思います。ジャニーさんの審美眼、タレントを見る目が天才的だったということはもちろんありますが、個人の成長を信じるということがジャニーさんの哲学であり、信念だったのだと。また、成長を見届けるというのは私たちがアイドルを応援する喜びとも一致します。テレビでアイドルたちが活躍し始める1970年代以降の時代の流れと、ジャニーさんが送り出すタレントの魅力がマッチした。だからこそ、ジャニーズ事務所は男性アイドルグループの一大事務所となっていったのでしょう。中でもSMAPはテレビを通してグループが成長する姿を視聴者に見せてくれた筆頭であり、その後デビューしたグループもその道を辿っている。そう考えると、先ほどお話させていただいた「少年たち」は、成長する姿の美しさのシンボルでもあるのかもしれません」


 ジャニー氏が社長として一時代を築いてきたジャニーズ事務所だが、今年1月にはジャニーズJr.の育成や公演プロデュースを手がけるジャニーズアイランドを子会社として設立。2018年いっぱいで芸能界を引退した滝沢秀明を社長に据え、新たなスタートをきったばかりだ。


「新たなメディア展開には慎重なジャニーズ事務所でしたが、ここ数年でネット進出にも積極的になっています。特にジャニーズJr.世代はいわゆるデジタルネイティブ。YouTubeやVTuberなどの活動も抵抗なくできる世代です。ジャニーズJr.のメンバー、グループの適材適所をみつけることは、間口を広げるという意味でも必要なこと。テレビでもネットでも、それぞれにあった成長の見せ方がある。こうした新たな取り組みにもジャニーさんの精神は受け継がれていくのではないでしょうか」


 最後に、ジャニー氏と言えば、グループのネーミングセンスや、「YOU、◯◯しちゃいなよ」という独特な言い回しが注目されるなど、メディアに登場せずとも常に存在感を放っていた印象もある。


「グループのネーミングにはそれぞれ不思議な説得力とインパクトがありますよね。また、テレビなどのメディアを通してタレントたちが語るエピソードのおかげで、ジャニーさんのことを身近に感じることができていた。裏方でありながら、ジャニーさん自身もエンターテイナーとして私たちを楽しませてくれました。プロデューサーとして名を馳せた人はたくさんいるけれど、そういった意味でもジャニーさんは日本の芸能史上とても稀有な存在でした」(リアルサウンド編集部)