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「親には感謝するべき」という考えは親の身勝手でしかない 悲惨な虐待事件を受けて考える

2019年07月09日 17:00  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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千葉県野田市で小学4年生が虐待死した事件で、父親の暴行を制止しなかった母親に求刑超えの異例判決が、6月下旬にでました。虐待の事件をみるたびに思うことがあります。それは「親には感謝すべき」は本当なのか?ということ。

子どもの頃に「親には感謝しなさいよ」と親や近所の人、先生に言われたこともあれば、大人になって読んだ自己啓発本にも書いてあることもあります。それでも、こんな事件があると必ず親に感謝すべきなのかと思うのです。

僕自身が親になって感じたことは「親に感謝すべき」という言葉は、もっと別の次元の問題でした。(文:ちばつかさ)

むしろ、親が子どもに感謝するべき

親という立場の人間は"勝手に"子どもを産みます。当たり前ですが子どもは生まれたいか生まれたくないかの選択はできません。物心ついた時には知らぬ間に"親"みたいな人がそこにいる(「みたいな」と書いたのは、親がいない人もいれば育ての親の人もいれば生き方は様々だから)。

それを踏まえると「親には感謝しなさい」が身勝手な言葉に聞こえます。自分が親になって気づいたのは、むしろ"親が子どもに感謝すべき"ということです。

望まなかった出産ではそう思えないときもあるでしょう。育てている間に「ありがとう」に変わるかもしれないけど、虐待やネグレクトに繋がるかもしれない。それでも、子どもは「産んだのなら愛してほしい」と思うのは当たり前です。

僕には3人の娘がいます。先日、長女と次女が習っているドラムとピアノを姉妹で演奏する場がありました。観ていて「こんなにも楽しませてくれてありがとう」という気持ちが自然と湧いてきました。

もし「親に感謝すべき」という目線でいたら、もしかしたら「できて当然」「もっとちゃんと演奏しなさい」という気持ちになっていたのかもしれません。

今すぐに親に感謝なんかできなくてもいい

「愛されたか愛されていないか」はそれぞれの家庭によって違いますが、愛されなかったが故に、親に対して「感謝」よりも、「憎しみ」や「恨み」のほうを抱いている人も多いでしょう。

実際僕自身、ずっと親に対しては憎しみしかなくて感謝などできませんでした。無造作に言われる「親に感謝しなさい」をどうしても受け入れることができず、「勝手に産んで苦しい思いをさせてくる親をどうやって感謝するんだ」と思っていました。

「尊敬の念を持て」「親に対して何様だ」という周りからの言葉は僕にとっては苦しみでしかありませんでした。それでも、どんな親の元に生まれようが死ぬまで生きなければいけない。

その中で気づいたのは、人生が楽しければ、生まれたことに自然と感謝できるということ。逆に最悪あればどんな親であれ「産んでくれるな」と思うということ。どうしたら親に感謝ができるのか? それは"今を楽しむ"ことで達成できると気づきました。

過去に起きたことはどうあがいても変えられません。でも、生きていく以上、自分で今を作っていくしかない。今すぐに親に感謝なんかできなくてもいいと思うんです。いずれ「あっ、いま楽しいかも」って思うことができれば、その時初めて「親への感謝」が生まれるときが来るのではないでしょうか。

変えられない過去に執着して動けなくなるより、これからの未来を自分で作っていくことのほうが"過去を変える"一番の近道で、その先に自然と「親に感謝」が生まれるのかもしれません。

【筆者プロフィール】ちばつかさ

柔道整復師、メンタルケア心理士、元プロ野球独立リーガー。東京と福井で投げ銭制の接骨院「小道のほぐし接骨院」を経営しのべ10万人近くの体と心と向き合う。野球経験を活かし都内で"野球を教えない"野球レッスンも運営。【公式サイト】