現在ハースのレギュラードライバーとしてF1に参戦しているケビン・マグヌッセンは、2014年のF1デビューはマクラーレンではなく、握手で契約をしていたフォース・インディアから行うべきだったと打ち明けた。
マクラーレンのジュニアドライバーだったマグヌッセンは、2013年のフォーミュラ・ルノー3.5シリーズでタイトルを獲得し、マクラーレン・レーシングCEOのマーティン・ウィットマーシュが彼のF1昇格を決めたが、当初はマクラーレンからのデビューする計画ではなかった。
「実際のところ僕はフォース・インディアに加入することになると思っていた」とマグヌッセンは、最新のF1ポッドキャスト『Beyond the Grid』のなかでトム・クラークソンに語った。
「契約はしていなかったが、フォース・インディアでレースをするということで、固い握手を交わしていたんだ。そしてマクラーレンが彼らに様々なものを供給するということだった」
「マクラーレンが僕を数年間フォース・インディアに在籍させ、その後マクラーレンに移籍するという契約になる予定だった」
「だけどその後、ウィットマーシュが辞任してロン(デニス)が復帰し、多くのことを変更しようとした。僕もそうした変更事項のひとつだった」
マグヌッセンはF1でのデビュー戦からすぐにパフォーマンスを発揮し、マクラーレンのチームメイトだったジェンソン・バトンをしのいでシーズン開幕戦オーストラリアGPで3位につけたが、ダニエル・リカルドが失格となったため、2位の座を手に入れた。
しかし、マグヌッセンはグランプリドライバーとしての2014年の初シーズンにおいて、その後は1回のトップ5フィニッシュを達成することしかできなかった。
「僕は(セルジオ)ペレスの後任として(マクラーレンの)シートを獲得した。そのことについてはとても喜んでいたんだ。でも2014年のフォース・インディアは3度か4度表彰台フィニッシュを獲得したのに、僕たちはたった1度だけだった」とマグヌッセンは付け加えた。
「フォース・インディアに加入していたらよかったかもしれないけれど、当時の僕は間違いなくとてもエキサイトしていたよ」
しかしながら2015年初め、マクラーレンに復帰するフェルナンド・アロンソに、バトンではなくマグヌッセンがシートを譲る羽目になった。ロン・デニス、マンスール・オジェ、バーレーンの政府系ファンドであるマムタラカト・ホールディングからなる取締役会の投票で、マグヌッセンにとって厳しい判断が下されたのだ。
「彼らは投票をするところだった。誰が僕に投票して、誰がそうしないか分かっていた」とマグヌッセンは語った。
「結局、9人が投票を行ったが、7人が僕、2人がジェンソンに投票した。そしてジェンソンに投票したふたりはオーナーのマンスールとマムタラカト・ホールディングだった。それで十分だった」
「彼らはロンと激しく議論したが、彼らはロンを締め上げ、彼が望むことのすべてに反対しようとしていたんだと思う」
こうしてマグヌッセンは、自身がマクラーレン内部の権力闘争の駒となっていることに気づいた。闘争の結果、彼は2015年のF1シートを失うことになった。