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性的マイノリティの問題を同性愛者の視点で描いた『きのう何食べた?』と『腐女子、うっかりゲイに告る。』

2019年06月27日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)「きのう何食べた?」製作委員会

 近年のテレビドラマは、ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を踏まえた上で社会派娯楽作品を作ろうと模索する作品が増えている。その際に社会的なテーマを選ぶことが多いのだが、今クールでは性的マイノリティの問題を同性愛者の視点から描いたドラマが並んだ。中でも面白かったのが『きのう何食べた?』(テレビ東京系)と『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』(以下『腐女子』、NHK総合)である。


【写真】シロさん(西島秀俊)と賢二(内野聖陽)の2ショット


■『きのう何食べた?』と『腐女子』の優れた挑戦


 『腐女子』は、ゲイの高校生・安藤純(金子大地)を主人公にした青春ドラマ。当初は、BLを消費する腐女子をゲイの視点から批評的に観察するような作品になるかと思われたが、腐女子だけでなく異性愛者の人々が無自覚に抱えている同性愛者に対する差別意識を純の視点から描写することで燻り出していく前半は実に見事で、こういう作品をNHKの「よるドラ」枠で作るという攻めの姿勢も含めて高く評価したい。


 しかし、終盤には若干不満を感じる。ゲイであることをクラスメイトに知られた純が精神的に追い詰められて、自殺未遂を起こす。本来ならそこで純の物語からクラスメイトが純の自殺未遂をどう受け止めるのか? という物語に切り返さないといけなかったのだが、どうも純以外の登場人物、特にクラスメイトの描写が薄く感じた。


 小説タイトル『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(KADOKAWA)では僕が主語だったのに対し、『腐女子、うっかりゲイに告る。』と腐女子を主語に変えたのは、一人称の小説に対して、三人称のドラマという構図を打ち出すと同時に小説の世界を逆側から描くという意思表示かと思っていたのだが、残念ながらそういう展開にはならなかった。


 原作準拠の作りによって、ゲイであることを隠し心を閉ざしていた純が、精神的に成長する物語としてはきれいにまとまっているが、周囲の人々が純のことをどう受け止め、内なる差別心とどう向き合ったのか? という側面が弱く、同性愛者の物語を第三者である腐女子が消費していることに対する問いかけも曖昧になってしまったように思う。


 優れた挑戦だったからこそ、小説以上の踏み込んだ切り口が見たかった。


 対して『きのう何食べた?』は『腐女子』が曖昧にしてしまった同性愛者に対する異性愛者からの目線を、常に意識させる作りとなっていた。よしながふみの同名漫画(講談社)をドラマ化した本作は、食事を通してシロさん(西島秀俊)と賢二(内野聖陽)という同性愛者のカップルの日常を淡々と描いた作品だ。


 物語は一見、シロさんと賢二の、二人だけの世界を淡々と描いているように見えるのだが、他の同性愛者のカップルとの違いの描写はもちろんのこと、職場の同僚や家族といった異性愛者たちとの意識のズレもしっかりと描いている。だからこそ、本作を見ていると、シロさんたち同性愛者と自分は何がどう違うのか? と深く考えさせられる。原作の良さはもちろんだが、エピソードの選択が的確だからこそ、一見ゆるい作りの中に常に緊張感が存在しているのだろう。


■時代の模範的回答を示した『わたし、定時で帰ります。』


 一方、会社を舞台に「働き方」というテーマを描くことで注目されたのが『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)だ。本作は、効率よく仕事を片付けて「定時で帰る」ことをモットーとしている東山結衣(吉高由里子)が主人公のドラマで、職場の抱える様々な問題を性別、年齢、社会的立場の違う社員たちの視点から描いた群像劇として、「働き方改革」が叫ばれる時代の模範的回答を示していた。しかし、終盤に向かうにつれて、働くことでしか自己を証明できない人間の悲哀も描かれるようになっていく。物語は結衣のがんばりによって労働環境は改善されハッピーエンドとなるのが、どうにも嘘臭く、もしかしたら過労で倒れた結衣が見ている「夢」なんじゃないかと邪推してしまった。


 その意味で作品が描こうとした理想よりも、結衣までワーカーホリックになってしまう超過労働の持つ不気味な高揚感の方が印象的だった。


■鬱屈した感情を掬い上げた『デジタル・タトゥー』


 最後に、個人的にもっとも楽しんだのがNHKの土曜ドラマで放送された『デジタル・タトゥー』だ。本作は元ユーチューバーの青年・タイガ(瀬戸康史)とヤメ検弁護士・岩井堅太郎(高橋克実)がデジタル・タトゥー(インターネット上に書き込まれた誹謗中傷や個人情報)にまつわる怪事件に立ち向かっていくバディモノのドラマだ。


 毎回登場する誹謗中傷を書き込む加害者たちは全員深い鬱屈を抱えて込んでおり、彼らの悪意に当てられて気持ち悪くなることも多かったが、同時にどこか清々しくも感じた。


 脚本は『ラスト・フレンズ』(フジテレビ系)でDV男の哀しみを描いた浅野妙子。こういう露悪的な作品を作ることは近年難しくなってきているが、「政治的な正しさ」をなぞるだけでは、こぼれ落ちてしまう現実というものがある。公共性を意識した理想を描く作品が増えるのは素晴らしいが、本作のような鬱屈した感情を掬い上げるような禍々しいドラマも作られ続けて欲しいと願う。


(成馬零一)