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新浜レオンが語る、歌手活動の原点と譲れない夢「垣根や世代を越えて愛される歌手になりたい」

2019年06月24日 16:41  リアルサウンド

リアルサウンド

新浜レオン(写真=池村隆司)

 5月1日にシングル『離さない 離さない』でデビューした新浜レオン。令和デビューであり、父親は『伯方の塩』のCMソングでも知られる演歌歌手の高城靖雄であることでも話題を集めている。


参考:演歌とヴィジュアル系、サウンドの意外な共通点 “氷川きよしV系化フィーバー”から考える


 父親の血を受け継いだ美声、大東文化大学のミスターコンテストでグランプリを受賞したルックス、身長180センチ&高校野球で鍛えた肉体。三拍子揃った新浜レオンが志す、演歌/歌謡曲の魅力とは?(榑林史章)


■自信を口にするのはまだ早い


ーー令和になった5月1日にシングル『離さない 離さない』で、デビューし、オリコンのウィークリーランキング演歌/歌謡部門で1位を獲得しました。


新浜レオン(以下、新浜):これ以上ない第一歩を踏み出させていただきました。応援してくださるみなさんのおかげです。本当に感謝しています。


ーー「離さない 離さない」とカップリング曲の「心奪って」は、2曲とも作曲は大谷明裕さん、編曲が矢野立美さんという演歌/歌謡曲界の大御所ですね。


新浜:僕自身もデビュー作でこういう偉大な先生方に曲を書いていただけるとは思っていなくて、驚きましたし、すごく光栄なことです。実は矢野先生とは、先生が手がけられた他の歌手の方のレコーディングを見学させていただいたことがあったんです。たくさん勉強させていただいた矢野先生が、今回の曲で編曲していただいたということが、本当にまさかのことで信じられませんね。


ーー作詞の渡辺なつみさんはJ-POP畑という印象で、この2曲からは、演歌/歌謡曲とJ-POPの融合のような、新しい試みを感じます。


新浜:はい。僕は大学時代に大東文化大学の「ミスター大東コンテスト2017」で、グランプリをいただいたのですが、自己アピールで今回カップリングにカバーを収録させていただいた「青春時代」(森田公一とトップギャラン)を歌ったんです。その時に、20歳前後の同世代から、昭和の歌謡曲を受け入れてもらえたという感触がありました。その経験からも、僕と同世代の20代やもっと若い10代の人の中にある、「歌謡曲だから聴かない、演歌だから聴かない」という先入観をなくしたいと思って、今活動をしています。そういう部分では、渡辺なつみ先生の歌詞が、その大きなきっかけの一つになると思っています。


ーー友だちには、演歌/歌謡曲を薦めたりしていたんですか?


新浜:友だちに、何度ムリヤリ聴かせたことか分かりません(笑)。「ちょっとこれ、聴いてみて」って。でも実際に聴いてもらったりすると、「意外と新しいね」という声をたくさんもらうんですよ。そのうち気づくと友だちが口ずさんでくれていたり、カラオケに行くと「あの曲を歌ってよ」と言ってもらったりするようになりました。大学のミスターコンテストで「青春時代」を歌った時も、曲を気に入ってもらえた反応がほとんどでした。だからまずは、聴く環境やきっかけを作ってあげることが、大事なのかなって思います。そのきっかけに僕がなっていけたら嬉しいです。


ーー徳永ゆうきさんが「Lemon」を歌って、それをきっかけに演歌/歌謡曲の若手に注目が集まっています。


新浜:そうですね。素晴らしい先輩が、そういう状況を作ってくださっています。その中で、まずは「離さない 離さない」で、新浜レオンという存在をより知っていただけたらと思っています。


ーーとてもクールに言葉を選んで話されていますが、きっと胸の奥には「一発かましてやるぜ!」という熱いものがあるんでしょうね。


新浜:正直言うと、そうかもしれません(笑)。ただ実力の部分を含めて、本当にまだまだだなと感じるところが多いんです。だから意気込みはすごくあるんですけど、自信を口にするのは早いかなと思っていて。


■幅広い世代から愛される歌手に


ーー23歳で、演歌/歌謡曲でデビュー。父親が、演歌歌手ということは、やはり大きかったのですか?


新浜:小学生の頃は、父親が演歌歌手というだけで、古くさい生活を送っているみたいなイメージで見られて、嫌な思いをしたこともありました。しかし僕としては、幼少期から演歌/歌謡曲が当たり前のように生活の中にあって、車では常に演歌が流れていたし、テレビを点ければ歌謡番組を観るといった環境でした。なので周りの友だちと違っていても気にしていなかったし、むしろ「何で聴かないのかな?」と思っていたくらいだったんです。


ーーもちろんJ-POPやロック、アイドルなども耳にしていたと思いますが、自分が音楽を志す上で歌謡曲を選んだのは、そこにどんな魅力を感じたからなのですか?


新浜:まず大きかったのは、父への憧れです。憧れの父親が歌っているジャンルですから、それだけでリスペクトの気持ちがありました。そうしていろいろな曲を聴いていった中で感じたことは、歌詞で表現されている情景や世界観が、とても浮かびやすい音楽だということです。僕個人の印象では、どのジャンルよりも、歌詞の言葉がスッと自然に入ってきます。


ーー確かに演歌や歌謡曲は、港や雪景色など、情景やシチュエーションが具体的な曲が多いかもしれませんね。


新浜:はい。それに僕の趣味が釣りであることや、学生時代に野球をやっていたことも、他のどのジャンルよりも響いた一因かもしれません。野球は、汗と土にまみれて白球を追う。泥臭さがあるところや涙が付きもので、それは演歌/歌謡曲に通じるものがあります。


ーー釣りは?


新浜:演歌の舞台として、漁港は定番です。だから、川釣りはちょっとイメージが違いますね。ただ海釣りでも、ルアーを付けて行うシーバス釣りなどスポーティーなものもありますけど、僕は、やはり餌を付けて岸壁から釣りたいタイプです。


ーー歌謡曲は、ネットでも聴いたりしていたのですか?


新浜:そうですね。例えば、野口五郎さんや西城秀樹さん、郷ひろみさんといった先輩方の映像をネットで観ていました。今あるJ-POPと歌謡曲の違いは何なのか、僕の中ではその答えをまだ持っていませんけど、僕なりに答えを追求していきたいと思っています。ただ歌を表現するという意味では、ジャンルに対するこだわりはなくて。新元号になったことですし、J-POPだろうと歌謡曲だろうと演歌だろうと、そういう垣根を越えて、幅広い世代から愛される歌手になっていきたいです。


ーー個人的な見解ですが、J-POPは曲と歌のバランスによる音楽で、聴くための音楽。歌謡曲は、謡という字そのものに歌うという意味があるので、一緒に歌ったり歌いたくなったりするような、歌うことに重きを置いた音楽という違いがあるかもしれませんね。


新浜:なるほど。確かにそうですね。実際に僕が重きを置いているのは、自分が歌って気持ちよくなるのではなく、聴く人にとって気持ちいいと感じてもらえるものでなければいけないということです。どうやったら多くのみなさんに届けられるか、みなさんの心に残っていただけるかを突き詰めています。デビューする以前には、短期間ですが民謡を習っていた時期があって、そこで学んだ声を張り上げたりこぶしを回す歌い方が、自分の特徴だと思って、以前はずっとそういう歌い方をしていたんです。でもそれは数ある表現方法の一部でしかなくて、みなさんの元にお届けするためには、もっとそれを抑えなければいけないと思うようになりました。


ーー「離さない 離さない」を聴くと、確かにこぶしをバンバン回している風ではありませんよね。そこは抑えめにしているんですね。


新浜:はい。レコーディングの時にスタッフさんと相談しながら、すごく抑えて歌いました。これは熱さみたいな部分もそうで、「離さない 離さない」という曲は情熱的な歌詞なので、どうしても「もっともっと」と熱さを前に出してしまうところがあって。それは高校野球をやっていた時のような情熱を、そのまま歌にも込めてしまっていたからなんです。確かに曲の世界を通して、自分の中にあるものが表現できたらいいなと思ってはいますが、それをそのまま出すだけではダメで。こぶしや歌い方と同じように、あまり出し過ぎるのは違うんだなと気づくことができました。


ーーやっぱりこぶしを回すと、気持ちがいいものですか?


新浜:最高に気持ちいいんですよ! 歌っている感がすごく出るし。でもそれは、自分が気持ちいいだけで、自分のために歌っていることになるんです。だからたまに一人カラオケに行った時は、ガンガンにこぶしを回して歌って、ストレスを発散しています(笑)。


■「好事魔多し」という故事を胸に


ーー歌手になることについて、最初は反対されたそうですね。


新浜:はい。母親から、猛反対されました。やはり父の苦労をずっと見て来ていたので、「同じ苦労をすることはない」と。「大学に行った意味も含めて、よく考えなさい」と言われました。ただ僕は、考えた上での結論だったので、最終的には理解してくれて、今は心強い応援団の一人です。


ーー父親は厳しいですか?


新浜:歌に関しては、一度も褒めてもらったことはありません。


ーー親子であり師弟のような関係でもあるという部分で、余計に厳しいかもしれないですね。


新浜:褒めてもらえた時が、やっと一人前として認めてもらえる時なんじゃないかって思います。


ーー二世の方が芸能界デビューする時に、最初は二世であることを隠す方も多いし、二世であることで周りからの評価が厳しくなることもあります。それを敢えて出すと言うのは、自分から険しい道を選んでいる気がしますけど、なぜその道を選んだのでしょう?


新浜:父親は自分の原点ですし、大きな背中ではありますけど、いつか絶対に自分の力で越してやるんだという意気込みの表れです。父親というプレッシャーに押し潰されず、新浜レオンの歌の実力を知っていただいて、逆に「父親は高城靖雄だったんだ」と、後から知るというような存在になっていけたらと思っています。いつか自分のワンマンステージをやれるようになったら、そこに父親をゲストで迎えることが出来れば、それが恩返しになるんじゃないかと思っています。


ーー高校野球時代の友人は、歌手になったことについて何と言っていますか?


新浜:僕はキャッチャーでキャプテンもやっていたんですけど、僕とバッテリーを組んでいたピッチャーだった友だちが、今年育成枠でプロに入ったんです。「道は違うけれど、共に頑張ろう」と話しています。先日も話したんですけど、当時は本音でぶつかり合っていた仲なので、久しぶりにその頃の熱い気持ちがよみがえりました。


ーー今はデビューしたばかりで気が張った状態だと思いますけど、家でリラックスする時は、どんなことをやっていますか?


新浜:まだオンオフの切り替えが出来なくて。一日中緊張しっぱなしで、家に帰ってもその日の反省が続いて、ゆっくりと眠れる日がまだないくらいです。でも今は、それでいいと思っています。そういう時期だと思うので。でも先日お休みをいただいた日に、海に釣りをしに行きました。イシモチとカレイを狙ったんですけど、一匹も釣れませんでした(笑)。でも何も考えずに竿を振っている時間が、リフレッシュになりましたね。


ーーお客さんのことは考えず、魚のことを考えて?


新浜:お客さんのことを考えてなかったかと言われると、決してそうではなくて。釣りをしながらふと自分の歌を口ずさんでいて、「こういう風にも歌えるな」って思ったり、無意識に考えてはいるみたいです。だから単なるリフレッシュでもなく、発見する部分もたくさんあったり、次はもっと頑張ろうという、より前向きな気持ちにさせてくれた。魚は釣れませんでしたけど、得るものはありました。


ーー魚屋に寄って帰ったんですか?


新浜:いえ、そういう嘘はつきません。あ、でも、ちょっと見栄は張りました。「釣れたけど小さかったから逃がした」って(笑)。


ーー今後の目標や将来の夢について聞きますが、やはり『NHK紅白歌合戦』出場は夢ですか?


新浜:もちろんです。高校野球では甲子園に行けなかったのですが、歌手としては『紅白』という舞台が甲子園だと思っています。これは夢と言うより、絶対に叶える目標です。それと、高校野球で最後の夏の大会では、ZOZOマリンスタジアムで負けてしまったんです。そこでリベンジの気持ちを込めて、ZOZOマリンスタジアムでライブをやりたいですね。これもでかい目標ですけど、必ず実現させてみせます!


 そのためには、新浜レオンという名前と「離さない 離さない」という歌を、全国のみなさんに知っていただくために、どこへでも行って、ひと声でも聴いていただけるように頑張っています。目標に一歩でも近づくために、今はそれを積み重ねていくだけです。


ーー「離さない 離さない」というタイトルですが、レオンさんが離したくないと思うものは何ですか?


新浜:自分の今の心です。今の自分があるのは、決して当たり前のことではない。すべてのことに感謝している今の初心を忘れず、いつまでも持ち続けていきたいです。


ーーキャリアを重ねると、それが大変になるんですよね。つい調子に乗ってしまう時が……。


新浜:やはり、そういうものですか。大学の先輩(※筆者も大東文化大学出身)の言葉なだけに、説得力があります(笑)。でも、「好事魔多し」という故事がありますけど、本当にそうなんだなって思いました。デビューするまでは、「いいね」という良い言葉をいただくことが多かったのですが、デビューしていちプロになってからは、「ここがダメだ」など、ダメだしのような意見をいただくことが増えたんです。世間からそういう現実的な言葉をもらうようになって、改めてプロの厳しさを実感しているのですが、これは本当にありがたいことです。


ーー期待されていればこそですね。


新浜:そういう言葉をくれた人たちからも認められるように、頑張っていこうと思います。(榑林史章)