6月22~23日、ドイツ・ニュルブルクリンクで行われたADAC・トタル24時間レース=ニュルブルクリンク24時間レースに参戦したTOYOTA GAZOO Racingは、GRスープラが総合41位/SP8Tクラス3位、レクサスLCが総合54位/SP-PROクラス1位で完走を果たした。
「もっといいクルマづくり」を合言葉に、2019年もニュルブルクリンク24時間に挑戦したTOYOTA GAZOO Racing。チームは今季、土屋武士/蒲生尚弥/松井孝允/中山雄一組56号車レクサスLCに加え、佐々木雅弘/ウヴェ・クリーン/ヘルヴィク・ダーネンス/“モリゾウ”組90号車GRスープラをスポーツカー開発の聖地に送り込んだ。
1回目は雷雨に見舞われた2度の予選を経て、TGRの2台はレクサスLCが総合35番手から、モリゾウが乗り込むGRスープラは同99番手から24時間レースのスタートを迎える。
好天に恵まれた決勝は同時に気温も上昇。これによってクルマ、ドライバー双方に厳しいコンディションとなっていく。そのなかでレースは序盤からアクシデントが多発する。TGRの2台はこれに巻き込まれることなく順位を徐々に上げていくが、スタートから8時間が過ぎたころ、レクサスLCからミッションオイルが漏れるトラブルが発生する。
チームはこの問題に対しトランスミッションの交換を決断する。これによってガレージでの2時間を超える作業を余儀なくされることとなったLCだが、コース復帰後は順調に走行を重ね、総合54位/SP-PROクラス1位でチェッカーを受けた。
「2018年はクルマを止めてしまい、今年は対策してきたなかで、原因は違えど今年も止めることになってしまったことが何より悔しく思います」と語るのは、レクサスLCの関谷利之チーフメカニック。
「レースに向けて7000km走っても出ないような問題が出てしまうのが、このレースの難しさ。ニュルの厳しさというものを今年も思い知らされました」
「ただ、若いメカニックと多くの時間を過ごすなかで、みんなで成長することができたと思います。ありがとうございました」
■最長4時間しか走っていなかったGRスープラが、24時間レースを完走
一方、レクサスLCをトラブルが襲った同じ時間帯に、GRスープラはグランプリコースの1コーナーで総合首位を走るFIA-GT3車両と接触してしまう。幸い90号車は大事に至らなかったものの、以後の走行に不安を残すこととなった。
しかし、そんな不安をよそに90号車は過酷なニュルのコースを走り続け、現地時間15時30分にフィニッシュのときを迎えると、総合41位/SP8Tクラス3位で完走を果たした。なお、GRスープラと接触した4号車メルセデスAMG GT3は、当該アクシデントによる車両ダメージを原因にリタイアを余儀なくされている。
レース後、GRスープラのチーフメカニックを務めた田中英幸氏は次のように語った。
「これまでのレースで最長4時間ほどしか走っていなかったGRスープラが24時間を走り切ることができたのは、ドライバーのチームワークと、多くの方々のサポートのおかげです」
「『やり切ったな』という思いで、最後には涙が出てしまいました。みなさまに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました」
また、90号車GRスープラのドライバーとして今戦に挑んだ“モリゾウ”こと豊田章男社長も、元トヨタ・マスタードライバーで9年前にニュルブルクリンク近郊で急逝した成瀬弘氏を想いながら感謝の言葉を述べている。
豊田章男TOYOTA GAZOO Racingチーム総代表のコメント全文は以下のとおりだ。
* * * * * * *
まず最初に皆さん、ありがとうございました。今日は、成瀬さんの命日でありました。
私が午前中、10時から乗るということを聞きまして、実は予定では9時でした。それが10時になったという意味を自分なりに考えますと、ちょうど6月23日の現地時間10時にくらいに事故が起きて、亡くなった時間だったんですね。
それで私が成瀬さんの事故の時間にハンドルを握ることになるんだということで、非常に緊張をいたしました。このスープラのカムバック、そして、ニュル13年目の挑戦。いろんな思いが、その3回目のスティントで頭に入って、正直運転どころではなかったというのが正直な感想でありました。
ただ、今日、皆さんが話してくれたことを成瀬さんは聞いてます。成瀬さんが亡くなった時、葬儀に行きました。そこでやりたいと思うやつだけでいい、ついてきてくれということで続いてきたGR活動です。
これが多くの方に応援され、もっといいクルマづくり、クルマづくりの人材育成のど真ん中に、この活動が入ってきたというふうに思います。
本当にここまで支えてくれた皆さんに感謝申し上げるとともに、私は、この話になると涙ぐむんですね。なぜかとクルマの中で考えてみました。多分、悔しさです。
13年前、トヨタも名乗れず、このニュルで、成瀬さんとほぼ2人でプライベーターよりもプライベーターらしい、本当に手づくりのチームでここに来ました。その時の誰からも応援されない悔しさ、何をやってもまともに見てくれない悔しさ、何をやっても、ハスに構えて見られてしまう悔しさ。
そして生産中止になったスープラで練習をしてる悔しさ。すべての悔しさが、私自身その成瀬さんが亡くなった6月23日に社長に就任した時からの、ずっと私のブレない軸でもあります。
ですから、私がもっといいクルマをつくろうよということだけしか、社長になって言わないのはすべてその悔しさであります。そして今日も、悔し涙を流した。その悔しさは絶対に自分を強くするし、この活動の目的である「良い仲間」をつくるし、そしてもっといいクルマをつくると思います。そんな思いを持って、冒頭「ありがとうございました」と皆さんに申し上げました。
本来はこのレース、(ずっとスープラの開発を担当してきた)矢吹が出るレースだったと思います。それをスタート、フィニッシュ含めた4スティントを担当させていただきましたが、こういう日でなければ、「矢吹お前乗れよ」と言ってたと思います。私自身も、この日、スープラ、ニュルというもので成瀬さんから、いやいやお前乗れ、俺と一緒に乗ろう」と言ってくれたんだと思います。
今日の話は間違いなく、成瀬さんは聞いてくれているし、この天気も、成瀬さんだったんだと思います。ドライバーとしては足を引っ張りましたが、他のプロたちがカバーしてくれました。ありがとうございました。