2019年06月22日 10:11 弁護士ドットコム
未払い賃金(未払い残業代)などを何年までさかのぼって請求できるかが、厚労省の有識者会議で検討されている。現在は2年で時効とされているが、延長される可能性がある。
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6月13日、検討会は「2年のまま維持する合理性は乏しく、労働者の権利を拡充する方向で一定の見直しが必要ではないかと考えられる」などとする見解をまとめた。
具体的に何年にするかは今後、労働政策審議会で検討される予定。2020年4月に施行される改正民法では、一般債権の時効が基本5年とされているため、この「5年ライン」をめぐって、労使双方の激しい論争が繰り広げられそうだ。
今回の検討会資料をどのように見たのか。日本労働弁護団に所属する鈴木悠太弁護士に聞いた。
ーー労働者にとっては、請求できる期間が延びて、請求金額も増えますね。
「これは言い換えると、労働者が消滅時効により『泣き寝入り』しなければならない事案が減るということです。
在職中に労働者が会社を訴えることは心理的ハードルが高く、未払い残業代が発生していても泣き寝入りしているケースがほとんどです。退職後に会社に残業代請求しようと思っても、現行法では2年分しかさかのぼって請求することができません。
ひどい場合には、会社が労働者を『名ばかり管理職』にしたり、『裁量労働制』を違法に適用したりして、残業代がないと信じ込ませることもあります。労働者が気付いた時には既に未払い残業代の時効期間が経過しているのです。
賃金請求権というのは、労働者が生活を営む上で最も重要な権利ですから、労働者が泣き寝入りすることはあってはなりません。時効期間が延長されると、そうした事案が減り、より労働者の権利が守られることになります」
ーー延長すると企業の負担が大きくなるという反対もありそうです。
「まず、企業の負担というのが、5年分の未払い賃金を請求されたら企業の経営が成り立たないという意味であれば、論外だと思います。
未払い賃金は、原則として使用者が違法行為をしなければ発生しません。それに多くの場合、使用者は未払い賃金に相当する労働を一方的に受け取って利益を上げています。
労働者の労働を受け取っておきながら、その正当な対価である賃金を支払ったら経営が成り立たないというのは、『盗人猛々しい』と言わざるを得ません」
ーーそもそも、なんで賃金請求権の消滅時効は2年だったんでしょう?
「未払い賃金の時効について議論する上でまず注意したいのが、現行労働基準法が定める2年という消滅時効の長さは、原則10年という現行民法の消滅時効を短くしようとして定められたものではないということです。
現行民法174条1号は、賃金請求権を含む使用人の給料にかかわる債権について1年の『短期消滅時効』(=例外)を定めています。これを労働者の権利保護の観点から2年に延長したのが、労働基準法115条です。この経緯を押さえてもらえればと思います」
ーーもともと短かった権利を延長したところがスタートだったんですね。民法の2倍なのだから時効は10年で良いという声も見かけました。
じゃあ、賃金の消滅時効は何年がいいのか?というところ、そもそも「賃金を払ってないのが悪いじゃん」という視点を忘れてはいけない。私は10年でいいと思っている。なぜならば、民法の1年を2倍の2年に労基法がしていたのだから、民法で5年になるならば2倍の10年にする、という単純な結論である。
「現行民法が1年の『短期消滅時効』を定めた理由は、当時、賃金請求権などの債権の発生は頻繁・少額・偶発的で、受領証などの保存が期待できなかったことにあります。
早期に権利関係を確定することで、特別に取引の安全を図る必要があるとされました」
ーー確かにアナログでたくさんの記録を保管しておくのは大変だったでしょうね。検討会でも、時効を延ばすことで、企業に記録保管の負担が生じるという意見がありました。
「この点については、民法改正の段階で既に議論が尽きているのではないかと考えます。
改正民法では、短期消滅時効(現行民法174条など)が廃止されることになりました。既に述べた通り、この規定ができた理由の1つが、まさに記録の保管コストや証拠確保等の負担だったのですが、技術が進歩した現在では合理性がないと判断されたわけです。
企業で、時代に合わせた適切な労務管理が進むことを期待しています」
ーー短期消滅時効の廃止で、各事業者は運送賃や宿泊料などについても膨大な記録を残す必要が出てきます。しかし、「各事業者から負担を軽くするために短期消滅時効を残すべきという意見はない。労働に限って負担が重くなるというのはおかしい」という意見が、検討会の取りまとめ資料にも載っていました。
ーー労政審では「延長するか」「延長するなら何年か」が議論になりそうです。
「繰り返しになりますが、賃金等の請求権の2年の消滅時効(労基法115条)は、現行民法に1年の時効(174条)があることを前提に、労働者の権利保護の観点からそれを2年に延長する趣旨で設けられたものです。
その前提となる現行民法174条が廃止される以上、消滅時効2年だけをそのまま残す理由はありません。
労働者の権利を守る法律である労基法が、労働者の最も重要な権利である賃金請求権について、民法(改正民法では原則5年)より短い消滅時効を規定することはあってはならないと考えます」
ーーこのほか、どんな部分が議論になるでしょうか?
「賃金請求権に『主観的起算点』を導入するかは争点となるでしょう。
2020年4月に施行される改正民法では、一般債権の時効は、(1)債権者が権利を行使することができることを知った時から5年(主観的起算点)および、(2)債権者が権利を行使することができる時から10年(客観的起算点)とされています(166条1項)。
ここでいう『知った時』というのは、違法性の認識を踏まえた権利行使ができることについての具体的な認識をもった時であるとされています 。
これを賃金請求権に当てはめると、例えば、管理監督者だから残業代はないと扱われていた労働者について裁判で管理監督者性が否定された場合に、5年の時効期間がいつから開始するのかという問題が生じます。
現在の時効2年は『客観的起算点』とされていて、管理監督者という扱いが違法であることを労働者が知っていようがいまいが、各給料日から2年経過すれば時効を迎えてしまいます。客観的起算点は明確ではありますが、労働者の泣き寝入りを助長しているとも言えます。
一方、『主観的起算点』を取り入れると、労働者が管理監督者の扱いが違法であると知った時から5年間の時効期間が開始することになるでしょう(10年の客観的起算点の時効は別)。こちらの方が労働者をより保護できると言えます。
その他には、(1)『年次有給休暇』や『災害補償』など、賃金以外の請求権の消滅時効についても期間を延長するか、(2)賃金台帳等の記録の保存期間を延長するか、(3)付加金の請求期間を延長するか等が争点となるでしょう」
ーー時効が変わるとして、いつから変わるのかも議論になりそうです。
「施行時期については今後、労政審で議論されることになりますが、民法改正の施行期日(2020年4月1日)以降になるでしょう。どのような債権から適用していくのか(いわゆる経過措置)については、2つの考え方があります。
1つ目は、労働契約の締結日を基準に考える方法です。施行期日より前に労働契約を締結した労働者については旧規定、施行期日以降に締結した労働者については新規定の消滅時効が適用されることになります。改正民法はこの考え方を採用しています。
2つ目は、賃金等の債権の発生日を基準に考える方法です。この場合、労働契約締結の時期に関係なく、施行期日以降に発生した賃金等の債権には一律に新規定の消滅時効が適用されることになります」
ーー前者だと入社の時期によって、消滅時効の長さが大幅に違ってくることになりますね。後者だとそういう違いは起こりにくそうです。
「賃金債権の発生日(給料日)は明確ですから、改正民法と同様に契約締結日を基準に考える必要性は必ずしもないように思います。
むしろ、同じ職場に2年の消滅時効の人と、もっと長い消滅時効の人がいるというのは、労務管理の観点からも煩雑であり、合理性があるか疑問です」
【取材協力弁護士】
鈴木 悠太(すずき・ゆうた)弁護士
2015年一橋大学法科大学院卒業。2016年弁護士登録(第二東京弁護士会)。日本労働弁護団東京支部事務局次長。ブラック企業被害対策弁護団副事務局長。医療問題弁護団所属。
事務所名:旬報法律事務所
事務所URL:http://junpo.org/