カナダGPはポールポジションからホールショットを奪ったセバスチャン・ベッテルとフェラーリが完璧に支配していた。メルセデスAMGにとって最大の逆転チャンスであるスタートを押さえ、そして残る唯一のチャンスであるピットストップも押さえた。
フェラーリ:プッシュしろ、プッシュだ
フェラーリは26周目にベッテルをピットインさせ、ルイス・ハミルトン(メルセデス)のアンダーカットを封じた。これで逆にハミルトンはオーバーカットを狙ったが、ミディアムタイヤのグリップ低下を訴え28周目にピットインせざるを得なかった。
ハミルトン:このタイヤにはもうライフは残っていない。これ以上速く走ることは無理だ
メルセデス:OKルイス、ハンマータイムだ。ギャップがまだ充分でない。できるだけ引っ張る必要がある
ハミルトン:このタイヤはもうXXXだ
メルセデス:OK
これでピット前に1.7秒だった両者のギャップは5秒にまで広がってしまった。
しかしハミルトンは諦めず、じわじわとベッテルとのギャップを縮めて再びDRS圏内まで追い付いてきた。
これに対しフェラーリはエンジンモードを切り替えて対抗する。
フェラーリ:ハミルトンが1秒後方、DRSを使える。エンジン1を使って良いぞ
このことはハミルトンにも伝えられたが、ハミルトンはさらなる攻めの姿勢を見せた。
メルセデス:ベッテルとのギャップ1.2秒。彼は数周前からエンジン1を与えられている
ハミルトン:了解。彼にプレッシャーを掛け続けていくよ
一方でベッテルは燃費セーブの必要に強いられ始めていた。
全開率が高いカナダは、2018年も全車が102.9kg以上の燃料を使った。つまりそれだけ燃費がギリギリになるサーキットなのだ。
フェラーリ:ステアリング上の数字は正しい。(それに応じた)アクションを取ってくれ
先頭を走り続けたベッテルに対し、ハミルトンは僅かでもベッテルのスリップストリームを使うことで空気抵抗を抑え燃費もセーブすることができていた。だからレース中盤から終盤にかけてこれだけの攻勢を掛けることができたのだ。
ハミルトン:彼はどこが速い? どこでさらに稼げる?
メルセデス:ベッテルの方が速いのはターン1~2とターン8だけだ
ハミルトンはレースエンジニアのピーター・ボニントンから比較データを聞き、さらに自身の走りを尖らせていった。
ベッテルのレースエンジニア、リカルド・アダミからは毎周のようにハミルトンがDRS圏内か否かの警告がベッテルに伝えられる。
ベッテル:NO- DRS、NO- DRSって長く(明瞭に)言ってくれ
フェラーリ:了解
ハミルトンからのプレッシャーを受けナーバスになっていた矢先の48周目、ベッテルはターン3のアプローチでブレーキングを遅らせ過ぎてややオーバースピードで進入し、リヤがスライド。カウンターを当ててランオフエリアに飛び出し、ターン4のエイペックスをカットして真っ直ぐその先でコースへ戻ろうとした。
芝生からアスファルトへ戻ったところで急激にグリップを取り戻したマシンを、カウンターを当ててコントロール。その背後にハミルトンが来ていることは分かっていた。ベッテルはウォールにクラッシュしないよう懸命にマシンをコントロールしただけだったと主張したが、レーシングライン上にいたハミルトンはウォールとの間に挟まれそうになり、急減速を強いられた。
ハミルトン:彼はすごく危険なコースへの戻り方をした!
メルセデス:了解、報告しているよ
58周目に5秒加算ペナルティが科されたことを報告されたベッテルは、この裁定に納得できなかった。
フェラーリ:5秒加算ペナルティを科された。コース復帰が安全でなかったからだ
ベッテル:僕はあれ以上どこにも行きようがなかったんだ! グリーンに飛び出してタイヤに芝生がつきグリップを失っていた。もし彼がインに行っていれば抜けたはずだ、それは彼のミスだ。僕にどうしろっていうんだ、そんなのフェアじゃない!
フェラーリ:了解、冷静に。集中しろ
ベッテル:僕は集中しているよ。でも彼らは僕らから勝利をもぎ取ろうとしているんだ!
一方メルセデスAMGは冷静にパワーユニットのモードを切り替えてベッテルが5秒リードするのを防ぎ優勝をもぎ取る手段を講じていた。
メルセデス:ベッテルは5秒加算ペナルティを科された。彼のギヤボックスのすぐ後ろについていれば良いぞ
ハミルトン:パワーもっとない? 高速域でパワーがドロップオフしている
メルセデス:HPP2ポジション10
ベッテルはプッシュしてハミルトンを引き離そうとするが、燃費セーブの必要もあり、それもままならない。レース中盤に報告があったように、レースディスタンスではフェラーリもストレートの速さに優位があるわけではなく、スリップストリームに入りDRSまで使えるハミルトンを引き離すことはできない。
フェラーリ:OK、プッシュしろ
アダミからの指示を受けようとも、ベッテルはそれに応えることができなかった。
フェラーリ:プッシュしろ、ラストラップだ。持っている力の全てを出し切るんだ
70周を走り切り、ベッテルは1.342秒しかギャップを築くことができなかった。ペナルティ加算により2位降格となり、ハミルトンは今季5勝目を手にすることになった。
ハミルトン:これは僕が望んだ勝ち方じゃない。でももし壁に押しやられていなければ僕は彼を抜き去っていたはずだ。僕を支え自信を与えてくれて、みんなありがとう
メルセデス:おめでとう、ルイス。今週末はずっとソリッドだった、我々は勝利に値するよ
その一方でレースを終えてもベッテルは主張を曲げず、このようなかたちでレース結果がねじ曲げられたことに怒りが収まらなかった。
ベッテル:NO、NO、NO、こんなことはあっちゃいけない、NO、NO、NO。先入観なしで考えて見るべきだ。僕はグリーンに出てグリップが大きく落ちているところでコースに戻ってギリギリでマシンをコントロールしたんだ。ウォールにヒットしなかっただけ幸運だったというくらいだ。あれ以外、一体どこに行けっていうんだ? こんなの間違っているよ、フェアじゃない。素晴らしい観衆のみんなに素晴らしいレースを見せることができたはずなのに。みんなありがとう
ベッテルにはベッテルの、レースはこうあるべきという理想がある。真のバトルを展開し、ミスを犯そうともハミルトンを抑え込み、自分が先頭でチェッカードフラッグを受けた。高価なチケットを買いジル・ビルヌーブ・サーキットに詰めかけ応援してくれた人々に最高のショーを披露できたという思いがあったからこそ、それが見せかけの幻想でしかなかったことに申し訳ない気持ちと怒りが抑えられなかった。
フェラーリのマティア・ビノット代表が真の勝者は君だとなだめたが、ベッテルの感情は収まらなかった。
フェラーリ:君はコース上で勝った。我々にとっては君が勝者だ。それが重要なことだ。落ち着け
ベッテル:落ち着いてなんかいられないよ、僕は怒っている。なぜだか分かるよね? その権利がある。人に何を言われようとそんなの関係ないよ
ベッテルはトップ3のパルクフェルメにマシンを並べることを拒否し、テレビインタビューも表彰台もボイコットしてチームホスピタリティへと帰っていった。それでもチームメンバーに説得され、規定で義務づけられている表彰式への参加は受けいれた。それが大勢のファンに対する敬意だからだ。
その道すがら、パルクフェルメに止まったハミルトンのマシンの前に置かれた「1」のナンバープレートを見つけ、本来自分のマシンが止まるはずだった場所に置き換えた。その行為を批判する声もあったが、それは彼の並々ならぬ勝利への執念がさせた行為だ。エンジニアリングによって大部分が決まってしまう今のF1は機械的で無機質で退屈だと批判するなら、泥臭いまでに人間的で感情的なその行為はF1に欠かせないものであり、より魅力的にするものだ。
レース中の無線で溢れ出る彼らの感情を見て分かるとおり、F1は人間対人間の戦いだ。カナダGPの顛末は、改めてそのことを我々に思い知らせてくれたと言うべきだろう。