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クリスチャン・ボルタンスキーの大規模回顧展が東京に。国立新美術館で開幕

2019年06月11日 21:10  CINRA.NET

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『クリスチャン・ボルタンスキー ―Lifetime』展 2019年 国立新美術館展示風景
■フランスを代表するアーティスト、クリスチャン・ボルタンスキーの約50年間の活動を紹介

現代のフランスを代表するアーティスト、クリスチャン・ボルタンスキーの展覧会『クリスチャン・ボルタンスキー ―Lifetime』が、6月12日から東京・六本木の国立新美術館で開催される。

1944年にパリで生まれたボルタンスキーは、1960年代後半から映像を使った制作を始め、その後も写真や書籍、日用品など多様なメディアを用いた作品を展開。集団や個人の記憶、宗教や死を主題とした作品を世界で発表してきた。近年は「人々が語り継ぐこと」をテーマとして、形に残らない作品にも取り組んでいる。

日本ではこれまで『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭』に参加しているほか、2016年に東京都庭園美術館で開催された個展も記憶に新しい。

『クリスチャン・ボルタンスキー ―Lifetime』では50点近い展示作品から約50年間にわたる活動の全貌を紹介する。国内では過去最大規模となるボルタンスキーの回顧展だ。

■「私の芸術的な人生の展開の全てがここにある」

本展は大阪・国立国際美術館、長崎・長崎県立美術館と国立新美術館の3館による共同で行なわれている。東京会場に先駆けて、今年2月から5月にかけて行なわれた大阪会場では5万人を超える来場者数を記録したという。

6月12日から開幕する東京会場が3館のうちで最大の規模となり、展覧会のために新たに制作された作品も展示される。内覧会に参加したクリスチャン・ボルタンスキーは3館での展覧会について「3つの展覧会は似ていてかつ異なるもの。同じ戯曲の作品を異なる演出で見せているようなものだと考えています」と述べた。

また「一生、生涯」を意味する展覧会タイトルについて「『Lifetime』は私の人生の時間です。私の初期作品からもっとも最近の作品まで含まれています。私の芸術的な人生の展開の全てがここにあるのです」と述べた。

■薄暗い展示室の壁を埋め尽くすモノクロ写真

「空間のアーティスト」を自負するボルタンスキーは「展覧会が1つの作品」だと語る。本展は作家の年代ごとの代表作で構成される回顧展だが、時系列に作品を展示するのではなく、作品の配置をボルタンスキー自身が手掛けている。

会場でまず来場者を出迎えるのは電飾で作られた「DEPART」の文字。「出発」を意味する本作を抜けると、薄暗い展示室にたどり着く。

壁面を埋め尽くすモノクロ写真の作品『D家のアルバム、1939年から1964年まで』はボルタンスキーの友人の家族のアルバムから選んだ写真を年代順に並べたもの。さらに匿名の人々の写真を組み合わせたインスタレーションや、ボルタンスキー自身の仕事場を記録した映像インスタレーションなどから構成され、人が生きた証、集積された記憶の断片に思いを馳せるような空間になっている。

奥には磔刑を連想させるような、壁にかけられた作品『コート』が青い光を放つ。隣に開いた3つの小窓の向こうを覗くと、人や骸骨の影が壁に揺れるインスタレーション『影』の空間が広がる。

展示室には心臓音が響いており、音にあわせて電球が明滅する作品の奥には紐でできたカーテンをスクリーンにした作品『合間に』が吊るされている。カーテンに投影されているのは、ボルタンスキー自身の肖像だ。

■祭壇のように子供たちの写真が配置された『モニュメント』

カーテンをくぐって進むと、薄暗い部屋から一転して明るい照明の空間になる。

額に入った子供たちのモノクロ写真と、複数の電球を組み合わせた一連の作品は『モニュメント』と名付けられている。祭壇のような配置で、柔らかい光の中に子供たちの顔が浮かび上がる。

無数に積み上げられたビスケット缶の作品は『死んだスイス人の資料』。近づいて見ると一つひとつの箱には顔写真が貼り付けられている。この写真は新聞の死亡告知欄から切り取られたスイス人の顔写真だという。『シャス高校の祭壇』は1931年にウィーンの高校に在籍したユダヤ系の学生の写真を用いている。死者の存在や喪失による痛みを想起させる。

■大量の黒い服を積み上げた巨大なインスタレーション

通路の両側に骸骨や人型、人物の顔などの影が揺れる『幽霊の廊下』は、東京での展覧会のために制作された作品だ。「霊の世界」に来場者を誘う廊下を抜けると、巨大な真っ黒の山が待ち構えている。

大量の黒い服を積み上げてできた『ぼた山』。近づいて目を凝らさないと一つひとつの服を見分けることは難しい。遠目に見ると大きな黒い塊にしか見えず、集団の中に個々人が消え去っていくことを暗示する。

『アニミタス(白)』は10時間におよぶ映像作品。一面真っ白な風景のなかで無数の風鈴の音がちりんちりんと鳴っている。本作はカナダ北部の厳しい自然の中で撮影され、被写体はおそらくもうその場に残っていないそうだ。形のある作品よりも神話を作り出す、というボルタンスキーの願望を表現しているという。

■人の痕跡を残す大量の衣服が壁面に。会期中、毎日電球が消えていく作品も

人が着用した古着が壁を埋め尽くす『保存室(カナダ)』も展示される。着る者の痕跡を想像させる大量の衣服が壁面に吊るされている。

衣服に囲まれた壁面の奥にはエマージェンシー・ブランケットで床を覆った作品『黄金の海』が広がる。振り子のように揺れる電球の光で、金色のブランケットが水面のように表情を変える。

無数の電球が床を埋め尽くす『黄昏』は、会期中毎日電球の灯りが3つずつ消えていく。展覧会の会期が進むにつれて作品が放つ光は減っていき、最終日に全ての電球が消える。毎日変化するこの作品は、人生が死に向かって進んていくことを表している。

■展示室内にタイトルやキャプションはなし。展覧会全体を「1つの作品」のように鑑賞する

本作では作品タイトルやキャプション、解説などが壁面に示されていないことが特徴だ。これは「展覧会を1つの作品のように鑑賞してほしい」という作家の意思によるもの。壁面にキャプションや説明がない代わりに来場者には作品情報が書かれた新聞のような作品リストが配布され、鑑賞時にリストを参照するかどうかは来場者に委ねられる。

「展覧会全体を1つの作品のように見ていただいて、その後にお配りしている新聞を見て各作品の解説をお読みいただけたらと思います。まず展覧会を1つの作品として見て、そのなかにある詩や自分自身の思い、そこから出てくる哲学的な考察に身を任せていただきたいと思っています」とボルタンスキーは語っている。

■「私の作品は問題を提起するものであって答えを出すものではない」

ボルタンスキーは展覧会を訪れるという体験を教会を訪れる行為に例える。

「例えばヨーロッパで教会の扉が開いていて、その中にふらりと入っていきます。中は暗くて腕を動かしている人がいたり、独特な臭いで満ちていたりします。その教会のベンチに座って黙って何分間か考える。心身が呼応する。数分間、沈思黙考した後、教会を出て自分の人生のなかに再び帰っていく。展覧会を訪れることがそのような行為に似ていることを私は望みます。すなわち沈思黙考の時間です」。

ボルタンスキーは言う。「私の作品は問題を提起するものであって答えを出すものではありません。私が提起した問題から触発されて、みなさん自身ご自分で問題提起していただきたいと思います」。

『クリスチャン・ボルタンスキー ―Lifetime』は国立新美術館で9月2日まで開催されたのち、10月18日から長崎県立美術館に巡回する。