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米津玄師「海の幽霊」レビュー:想像を駆り立てる“声”と“サウンド”の革新性

2019年06月08日 12:01  リアルサウンド

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 米津玄師の歌声は、エレクトロニックなビートメイキングをふんだんに取り入れた『BOOTLEG』(2017年)以降、個性と表現力をいっそう伸ばしている。バンドアンサンブルとボーカルがひとつの塊になって飛び込んでくるようなロック系の典型的なサウンドから、各楽器が端正に配置されたすっきりとしたサウンドへと転換したことで、その印象はより強まった。声に重点を置くためにそうしたサウンドを求めたのか、サウンドが変化することで声の魅力が浮かび上がってきたのか。いずれにせよ『BOOTLEG』を経たシングル曲「Flamingo」(2018年)に至っても、その傾向は強まるばかりだ。


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 「Flamingo」では、歌唱法のチャレンジとそれを活かすサウンドの整理、さらに意識的に挿入された「素」の声まで含め、楽器としての彼の声が持つポテンシャルを開花させていた。


 ということを改めて振り返るのは、ほかでもない、6月3日に配信リリースされた新曲、「海の幽霊」を聴いてのことだ。Prismizerをはじめとする特殊なソフトウェアを用いてボーカルを大胆に変調する、いわゆる「デジタルクワイア」が取り入れられたこの曲。いきおい、彼の声について考えざるをえない。


 とはいえ、米津はこれまでにもPrismizer的なエフェクトを使ったことがある。たとえば、『BOOTLEG』収録の菅田将暉とのコラボレーション楽曲「灰色と青」では、メインのボーカルを支えるコーラスが変調されている。少し異なるが、同作収録の「Moonlight」や「fogbound」でも、オクターブ上やオクターブ下へ変調されたボーカルが重ねられ、楽曲に浮き世離れしたタッチを付け加えているのが印象的だ。


 そのうえで「海の幽霊」が特に重要なのは、このエフェクトがメインのボーカルのサブ(つまり、歌詞のない「ウー」というコーラスとか、コールアンドレスポンス的なパート)としてではなく、メインのボーカルそのものにかけられていることだろう。


 Prismizerのサウンドは、人間の声をマシーンのように冷たくするのではなくて、ひとつの声に複数の声たちを宿らせることで、「私」というエゴを解体するかのように作用する。いわば何者かが声に取り憑くのだ。その意味で「海の幽霊」のボーカルに寄り添うクワイアは比喩的に「幽霊」であるかのようにも思える。「海の幽霊」のきらめきを歌いつつ、電子的に生成された「私」ならぬ声を従えるこの曲は、きわめて豊かなイメージを聴く者に提示する。


 この曲でもうひとつ重要な要素が、管弦楽のサウンドだ。中心になっているのは、変調されたボーカルと硬質なビート。しかし、そうしたエレクトロニックなサウンドの質感と違和感なく地続きで響くオーケストラが、「海の幽霊」を飛び抜けてスケールが大きく、ドラマチックなものにしている。


 たとえば、サビへと感情の動きを駆り立てるストリングスのグリッサンドや、ゆったりとしながらも緊張感を失わないグルーヴをつくりだす切れ味の鋭いクレッシェンド。あるいは、コントラバスならではの、わずかに揺らぎを持ったふくよかな低域。味わい深いディテールを挙げればきりがない。奥行きを残した録音や、豊かなダイナミクス(音量の大小の差)を感じさせる仕上げは、映画館の音響でいっそう迫力を持って響くはずだ。


 願わくは、今回のような意欲的なサウンドをアルバムのスケールで展開する米津の音楽を聴いてみたい。インディーズ時代の1stアルバム『diorama』のようにひとつの世界を描き出す一枚を、メジャーデビューから『BOOTLEG』までの3枚のアルバムを経て「海の幽霊」に至ったいまの米津がつくったらどうなるだろう。この曲は、そういう想像を駆り立てる一曲でもある。(imdkm)