2019年06月08日 10:01 弁護士ドットコム
『サマーウォーズ』や『時をかける少女』などで知られるアニメ制作会社「マッドハウス」がこのほど、労働基準監督署から是正勧告を受けた。制作スケジュールやスタッフィングなどを管理する制作進行の担当者について、労使協定で定められた上限を超える違法な時間外労働と割増し賃金の未払いがあったというものだった。
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これまでも、アニメーターの労働環境について過酷だという指摘がされていた。ここにきて、多くのヒット作を世に出してきたマッドハウスの労働問題が浮上したことから、インターネット上では、「日本のアニメ業界やばい」という声が再燃している。はたして、問題の本質をどう捉えるべきなのだろうか。
コンテンツ産業にくわしい国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)客員研究員の境真良氏は「アニメ市場は好況にあるが、現場の負担を減らす仕組みを整えないと、品質劣化でブーム崩壊につながる恐れもある」と話す。境氏に語ってもらった。
今年のNHK朝ドラ「なつぞら」にも取り上げられているアニメーターですが、日本のアニメの国際競争力に注目が集まる一方で、その労働環境については長年、懸念されてきました。
アニメの制作工程を一言で説明するのは困難ですが、ザックリ言うと、私たちが目にする動画は無数の静止画の連続表示で作られていて、その静止画を描いているのが、アニメーター(原画、動画担当全般)です。
アナログ時代には、一度描いた絵を部品的に使い回したり、目で見て問題ない程度まで静止画の量を省いたりして、省力化を図ってきました。制作工程がデジタル化され、静止画の自動生成技術を補完的に用いるなどして、省力化がさらにすすめられてきました。
それでもこの部分に大きな労働集約性(人間の手による仕事が多いこと)がみられることは事実です。ですから、アニメ産業の中で人数的に多数を占めるのは、アニメーターということになります。
たしかに、アニメーターは、「給料が安い」とか「生活が不安定」とか「拘束時間が長い」とかいう話が語られてきました。
これについて一つずつ考えてみましょう。
昨年、文化庁メディア芸術連携促進事業として、大日本印刷(DNP)と日本アニメーター・演出協会(JAniCA)が、「アニメーター実態調査2019」(2019年調査)を実施しました。
(参考)調査概要の報告(JAniCA)
http://www.janica.jp/survey/sympo2019_handout.pdf
2019年調査によると、まず、「給料が安い」については、アニメ産業の全体値ではありますが、35歳以上に限ってみれば、全産業平均値を超える収入があります。そういう意味では、「給料が安い」とまでは(基準次第ながら)いえません。
ただ、その原因ですが、アニメ産業全体の成長が現在、極めて順調だという理由によります。
日本動画協会が2017年におこなった調査「アニメ産業レポート2018」によれば、関連したライブなども含む広義のアニメ産業市場全体でみれば、2009年からずっと市場は成長基調にあります。特に、2014年からは海外事業が大きく成長するかたちでこれを押し上げています。つまり、こうした産業全体の成長による底上げがあっての現状だということです。
つまりは、現時点でアニメーターは「給料が安い」は、幸いにして正しくないようです(一部例外がありますが、それについては後ほど触れます)。しかし、それは今がアニメ産業にとって景気がいい時期だから、ということが言えると思います。
ここで、収入の額だけでなく、「生活が不安定」「拘束時間が長い」という働き方の部分について、雇用形態から説明してみたいと思います。
一般に、雇用形態と聞くと、企業と雇用契約を結んで一定時間、一定の場所で、一定の範囲で企業の指示に従って労働する、というものを考えます。
この点においては、コンビニでアルバイトする人も、銀行員も同じです。しかし、アニメ産業の場合、そうではない人が少なくありません。それが業務委託契約に基づく請負業(業務委託)です。
2019年調査によると、就業場所は約68%が制作会社なのに、契約形態でみると企業の役職員(役員、正社員、バイト・パート含む)になっている人は約23%に過ぎず、約50%がフリーランス、約19%が自営業となっています。
企業の役職員は、当然その企業で就業していると仮定すると、全体の約45%はフリーランスまたは自営業であるにもかかわらず、制作会社に行って仕事をしているわけです。
ある人がフリーランスや自営業として業務委託で働くか、役職員として雇用契約によって働くかで立場はどう変わるのか、あるいは企業側はどうちがうのかというと、大きく3つあげることができます。
まず、雇用契約で働く場合に受けられる社会保険は、業務委託だとありません。一番問題になる健康保険については、JAniCAを通じて文芸美術国民健康保険に加入することができます。加入しなくても、地域での国民健康保険がありますので、問題はありませんが、雇用保険はありません。
次に、収入の額ですが、職員であれば適用される最低賃金制度の適用が業務委託にはありません。これについては後で説明します。
最後に、これが本質的なところでしょうが、役職員であれば作品制作や業務がないときでも、往々にして、時間拘束と引き換えに一定の収入が発生しますが、業務委託は作品や各話毎の担当する一定の仕事が終わればそれで収入が入るあてがなくなり、次の仕事が決まるまで収入の保証はありません。アニメーターについて言われる「生活が不安定」というのは、ここのことだと思います。
このちがいは、企業側にとっては逆になります。
つまり、制作業務のためにスタッフを確保しても、雇用契約によれば負うことになる社会保険の企業負担部分を負担しなくてよいことになり、支払額も最低賃金制度の適用を免れ、さらに仕事がなければそのスタッフをリリースすればいいだけで、社員を食べさせるために仕事を探さなきゃと必死になる必要はない、ということになるのです。
なぜこういうことになったのかというと、「作品市場」と「労働市場」の相関です。「作品市場」というのは私の造語ですが、「作品の需給関係」と考えてください。
アニメ産業が成長しているときには、「作品市場」は作れば儲かる需要過多な状況ですから、労働市場は需要過多となり、スタッフを安定的に確保すべく、雇用型の形態が主流となります。
しかし、いったんアニメブームが過ぎて仕事がなくなると、スタッフの確保は企業にとって負担になりますので、スタッフには社員ではなくフリーランス、あるいは自営業になってもらい、アニメ制作のプロジェクトが立ち上がれば、そのとき招集されて仕事をする、という形態が合理的になります。
これはアニメを映画と読み替えれば、日本の映画産業で先行して起きていた動きと同じですから、その影響もあったのかもしれません。
一度こういう流れになると、「作品市場」の業況後退の波をスタッフは個人としてもろにかぶることになります。制作企業側の品格によっては、その不安定さだけでなく、支払額を最低賃金より低く絞り込んでくることも、契約以上の要求をしてくることもあるでしょう。
日本のアニメ産業は幾度かブームを経験して、そのたびに、ブーム後の冷え込みを経験しています。アニメーターの労働環境にかかる問題は、その波の中で次第に形成されてきたものと言えます。
ところが今、そこに1つの波が来ているように思います。最大の変化は、海外市場が収益源になってきたことです。
日本のアニメ作品そのものは、1960年代から海外に輸出され、人気作品も早くから出ていました。しかし、その多くがかなり安い価格で取引されており、文化的評価もけして高くなかった。ジブリ作品が米国アカデミー賞長編アニメ部門の最優秀作品賞をとるような高い評価を表立って与えられるようになったのは、日本のアニメで育った世代が社会の中心に食い込んできた1990年代以降のものです。
それ以降も日本のアニメの人気は根強く、すでに触れたように2014年以降の大きな成長の結果、海外事業収益は市場全体の半分近くにまで迫ってきています。これまでの日本アニメ産業は、メディアが、映画、テレビ放送、DVDと変遷・多様化しても、結局は日本のファンの財布、つまり日本経済の総規模の一定量が成長の限界となっていました。
しかし、海外市場はこれと異なり、一度収益のチャンネルができれば、大きな成長が期待できる領域です。しかも、海外では日本のような全方位的なメディアミックス型のビジネス展開ができているわけではないので、これはアニメ作品そのものの収益増とみてよい数値でしょう。
これを支えるのが、NetflixやAmazonといったネット配信業者による主力商品としているような、日本製アニメへの高評価です。こうしたメディアの追い風は海外で日本のアニメの人気を再生産していきますし、さらに、海外での好評価は国内市場の再評価・再拡大にもつながっています。今のスタッフの収入状況は、これらが相乗効果的にアニメ産業の好調に結びついた結果と言えると思います。
しかし、好事魔多しと言いますか、好調なときほど、次の問題が潜んでいるともいえるのではないでしょうか。
ここまで説明してきた通り、アニメ産業の労働環境はさまざまな問題を孕んではいますが、「作品市場」の拡大で大きく改善されてきた。つまり、アニメ産業全体としての業況維持こそが、労働環境改善のカギです。
ですが、日本アニメ産業は幾度ものブーム崩壊を経験しています。もちろんエンターテインメントですから、「飽き」というのはあるものですが、多くの場合「飽き」の引き金になるのは過剰生産、そして品質劣化です。品質劣化の象徴が「作画崩壊」などにみられる見た目の劣化なのですが、「粗製濫造」という言葉があるように、その背後にあるのは、やはり過剰生産、そして事業計画・計画進行の軽視などによる制作現場の混乱や疲弊です。
マッドハウスのケースからも、今のアニメ産業の現場は労働力過少状態にあり、現場に大きな負担を強いている現状がうかがえます。とはいえ、熟練スタッフの供給がすぐ増えるわけではありません。人手があればいいだろうとばかりに、技能が未熟な人材を動員したり、他作品に専念中のスタッフを突然かき集めたりしても、いい結果につながるわけはありません。
クリエイティブの現場は、工場のように整然としたものではありえません。それゆえ、「拘束時間が長い」というのも肯けますし、そもそも生活と仕事の区別がつきにくく、非効率な過程も中にはあることを認めざるをえません。しかし、それらを呑み込める潤沢な時間的余裕を生むためにも、十分な人的資源が重要なのです。
さらに、2019年調査で気になるのは、この好況下にあっても、20代までの経験が浅い人材の収入は、産業全体の収入と比べて大きく見劣りするということです。
アニメの品質維持を長期に見込めば、人材のエコシステムは最大の重要事です。そのためには、有意な技能者が適切に経験を積み、あるいは選別されて、優れた技能者として成長していく仕組みである必要があります。
その最初のステージで収入が過少であるという理由で、たとえば地方出身で東京に移住したら生活が成り立たないとか、生活を維持するには実家の支援が必要だがそれば望めないとかで、将来の日本アニメ産業を支える存在になるかもしれない人材が、ほかの産業に流れてしまうことになれば、日本アニメ産業、あるいは日本文化における大きな損失です。
この点では最低賃金制度の問題も気になります。そもそも、賃金は労働市場で決まるべきものなのですが、一般的に雇用する側のほうが労働者よりも立場が強いため、雇用者が過度に賃金を絞る可能性が想定されています。これを防止するために、あえて設けられたのが最低賃金制度です。
ですから、単純に契約形態だけでみる限り、フリーランスや自営業への支払額は、法律上の「賃金」ではないので、この制度の対象外ではあります。この点について、だからアニメ制作企業が雇用契約に移行すべきだという意見もあるでしょう。
しかし、私は、契約上は業務委託型が維持されても全然かまわないと思うのです。ただし、もし賃金水準が問題なのであれば、その業務形態が実質的に短期雇用とみなしうるものについては、最低賃金制度の射程に入るとして、規制の運用をしていく。このほうが、「作品市場」の動向による作品数の増減も想定される中での制作企業と制作スタッフの間の負担バランスのとり方としては、より妥当だと思います。
ただ、それを言うなら、本来、業務委託型、あるいはフリーランスや自営業の制作スタッフは、その仕事の不安定さゆえに、雇用型のスタッフより高い報酬を得ていいわけです。そういう意味では、業務委託型が大きな部分を占めるのであれば、今は雇用型が多い他産業と同じかやや上回るレベルである制作スタッフ人材の収入も統計的にもっと伸びていいようにも思います。
現状をみる限り、日本アニメ産業の最大の重要事は、海外市場をいかに強く、安定的な収益源にするかというところにあります。
本論と外れますので、ここではその手法論について触れませんが、いずれにせよ、その核心は品質の維持、つまり常に世界中のファンを飽きさせない名作を生みつづけることにあります。そのために一番重要なのは、人材の質量両面における充実に尽きます。
ここで説明した重点や問題点は、解決法に異論はあろうと思いますが、アニメ産業にたずさわる方々にとってわかりきっていることだと思います。今、国の関係機関もそれぞれの問題意識でアニメ産業に向かい合っており、マッドハウスの事案に見るように、それぞれが問題点の指摘や問題改善の支援に乗り出しています。
ただし、アニメ産業にはアニメ産業に特徴的な事情もあり、これまであまりアニメ産業に関わりがなかった、あるいは表面的な関わり方だった機関にとって、対応の仕方には他産業へのそれとは異なる工夫が必要でしょう。
労働環境をみる厚労省や公正取引委員会、アニメが世界で売れることを支持する経産省、総務省、そしてさらなる名作の誕生に向けて支援する文化庁などには、それぞれの視点や問題意識は大切にしながら、あくまで、それぞれの関与が総合的に作用することでアニメ業界の課題解決をどう後押しできるかという視座に立って、アニメ産業に向き合っていただければと思います。