トップへ

『貞子』はホラーとエンターテインメントを併せ持つ“フェーズ3”へ SNS時代の新たな貞子とは

2019年06月08日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

写真

 98年から2000年にかけて正月第二弾興行として二本立てで立て続けに公開された『リング』『リング2』『リング0/バースデイ』(もちろん『リング』の併映だった『らせん』もテイストは異なるが同じ系譜上にある作品なので忘れてはならない)では“見ると死ぬ”と噂される“呪いのビデオ”によって死に至る若者たちの姿や、呪いのビデオを偶然見てしまった息子を守ろうとする母親の姿、そしてその周囲の人物たちに容赦なく訪れる恐怖を描きながら、その呪いのルーツが丹念に紐解かれていった。


参考:場面写真ほか多数


 この一連の作品を貞子における“フェーズ1”として捉えるならば、行き場を失った女性の霊が呪念となってさまよい歩き、その存在に興味を持った人物をめがけて不特定多数に呪いをかける、いわば好奇に対して呪いで返す。そうした不条理な応酬が、果たしてどのような形で恐怖として成立するのかを試すものであったといえよう。後々このシリーズに端を発して確立される「Jホラー」が示した恐怖の方程式は、人間の好奇があらゆる方向に向かいはじめた90年代後半において、具体的なシンボルを用いなくても恐怖は成立しうるものであると証明しながらも、結果的に“貞子”という存在のインパクトにまざまざと敗北を喫してしまった気がしてならない。


 それは2010年代に入ってから作り出された3作品を見れば明らかだ。“恐怖”と“笑い”が常に紙一重の関係にあることを活かし、貞子を哀しみを携えた1人の人間の成れの果てではなく、エンターテインメント的な“化け物”へと変化させた。もっとも、ホラー映画自体があまりにも乱立し、従来のJホラーのような湿度が高く視覚的なインパクトのない作品に観客が満足をしなくなってしまったというのがその一因といえるのではないだろうか。3D効果を使い、漠然とした化け物の大量発生に、挙句は貞子と同じような境遇を経て化け物になった『呪怨』の佐伯伽倻子と作品の枠を超えての対決。もはや“貞子”とは何なのか、それを噛み砕いて考えることを必要とされず、あらかじめ存在しているホラーシンボルとしてスクリーンの中に君臨させる。とはいえ、この“フェーズ2”では呪いのビデオが過去の産物であり、呪いの動画として拡散される時代が来たことが示されたという点で大きな意味を持つのだが。


 そして現在公開されている『貞子』は、前述の相反する2種類のフェーズの良い部分を抽出した、まったくもって新しいハイブリッド型の“フェーズ3”の幕開けを予感させる仕上がりになっていた。貞子という“人物”としての歴史が20年前からしっかりと受け継がれながら、“化け物”としての貫禄も携える。しかしながらその存在自体に恐怖を感じるか否かという点においては、すでにエンターテインメント的な存在に昇華してしまったがために依拠することはできず、かといって虚仮威しのような手法に逃げることもしない。あくまでも、呪いにかけられていなくなった弟を助け出すために、“貞子”という得体の知れない存在に触れる主人公の姿だけが端的に物語られ、そこに生き証人・倉橋雅美ら、貞子と近い人物が介入してくるわけだ。


 何よりも気になるのは、フェーズ2で変化した“呪いの動画”が継承されながらも、その動画の取り扱い方法が大きく変容されている点だ。これまでは、あくまでも“見ると死ぬ”ものだったのに対し、今回は“撮ると死ぬ”という新しい図式へとシフトし、もはや映像コンテンツが見るものよりも撮るものになった現代のスタイルにしっかりと合致させていく。そうした中でもあまりにも興味深いことは、その両方をほどよく兼ねることはせず、呪いの動画を見ただけの人物には何も起きないということだ。かつて呪いのビデオが口コミによって広がっていった時代に比べ、あらゆることが否が応でも目に入る情報過多社会において、動画拡散の威力というものはあまりにも大きくなったのだろう。貞子の呪いをもってしても、さすがに手が回らなくなったようだ。


 そんな劇中では、清水尋也演じる主人公の弟で動画クリエイターの和真が、ある火災現場に忍び込んでカメラを回し、おそらく貞子と対峙してしまうのであろう、突然行方をくらます。そして彼を心配する塚本高史演じる石田と、彼から報せを受けた池田エライザ演じる主人公の茉優は、すでに削除された動画を探し出して視聴する。その中に“貞子”を見つけたことをきっかけに、和真を連れ去った呪いのルーツを探ってある場所へとたどり着くのだ。この2人の一連の行動は、まさに1作目の『リング』で松嶋菜々子が演じた浅川玲子と真田広之演じた高山竜司と重なるものを感じてしまう。


 とはいえ、こうしたシステムチェンジが図られた以上は、そもそも貞子が呪いをかけるターゲットにも、明確な変化が現れているのは当然のことだ。従来は、呪いのビデオを見た視聴者であれば無差別に誰しもがそのターゲットにならざるをえなかったわけだが、今回は撮影された動画に登場するかどうか、ハナから貞子自身に選択権が委ねられていると見える。それは、本作が貞子のバックグラウンドを改めて定義し直す上で密接な関係を持つ部分であろう。茉優の働く病院にやってきた謎めいた少女は“貞子の生まれ変わり”と母親から罵られ、クローゼットに監禁されていた。そして和真と茉優は両親に捨てられて施設で育ってきた過去を持つ。また、20年ぶりにシリーズに再登場を果たした倉橋雅美も、友人たちを失ったショックで精神病院に通院しながら孤独な日々を送ってきたのだと、その行動の節々から読み解くことができる。


 本作の中で貞子が呪いのターゲットに選ぶのは、彼女自身と同じような孤独な人物に限定されているということだ。呪いという方法を通して彼女は、自分の仲間を探しているということだろう(『貞子vs伽倻子』でおそらく最も分かり合える存在であったはずの伽倻子と戦うことになってしまったのだから、そうなるのも重々頷けるところだ)。これまでの貞子は誰彼構わず、自分に興味を持ってくれる人にひたすら呪いをかける、いわゆる“構ってちゃん”だったわけだが、この20年でその無意味さに気付き、自分を理解し共感してくれる人物を求めはじめているのかもしれない。そういった意味で、SNSでなりふり構わず「いいね!」を求める現代人に向けて極めてシンプルなコミュニケーションを提案しているようにも見え、VHSからネット動画にシフトしたこと以上に、SNS時代の新たな「貞子」と定義できるのではないだろうか。  (文=久保田和馬)