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凶悪かつ滑稽に描かれる暴力と死 『スノー・ロワイヤル』は観客がツッコミ役を担う“参加型映画”に

2019年06月06日 14:11  リアルサウンド

リアルサウンド

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 雪に覆われたコロラド州の田舎町キーホー。この田舎町が雪で孤立しないように「道」を守るのが、ネルズ・コックスマン(リーアム・ニーソン)が乗る除雪車だ。コックスマンは道が雪に埋もれてしまわないように、何十年も淡々と除雪を続けていた。そのストイックな姿勢が評価され、彼はキーホーの模範市民賞を受賞する。長年連れ添った妻のグレイス(ローラ・ダーン)と共に迎えた、静かな人生のささやかな名誉。このまま平和な人生が終わると思った……その矢先、独り立ちした息子がドラッグのオーバードーズで死んだと悲報が入る。息子のことを何も知らなかったと悲嘆にくれる妻。コックスマンも絶望のドン底に落ち、遂に自殺を選ぼうとした寸前、息子の友人が現れ「すんません! 俺が麻薬組織から麻薬をくすねていたのがバレて、とばっちりで無関係な息子さんが殺されちゃったんです」と最低の事実を語る。


参考:場面写真はこちらから


 息子の仇をとるために、コックスマンはたった1人で、通称“バイキング(トム・ベイトマン)”が率いる地元最大の麻薬組織に戦いを挑む。コックスマンは思い切りのよさと腕っぷしで1人、また1人と組織の人間を殺していく。しかし、戦いを挑まれたバイキングは次々と部下が消えるのを「これは前に敵対していたネイティブアメリカンの組織の仕業に違いない」と致命的な勘違いを起こし、昔気質のヤクザ者“ホワイトブル(トム・ジャクソン)”率いる敵対組織に全面戦争を仕掛ける。かくしてマイペースに復讐を続けるコックスマン、殺人的な空回りを続けるバイキング、とんだとばっちりで復讐に駆られるホワイトブル、町始まって以来の大抗争に興奮する警察の、四つ巴の戦いが始まった。


 あらすじからも分かるように、本作『スノー・ロワイヤル』は噛み合わない復讐劇を描いたブラックなクライム劇である。主演を務めるリーアム・ニーソンといえば、かつては『シンドラーのリスト』(1993年)でシンドラーとして多くの人を助けたが、今や元〇〇(工作員、刑事)の肩書で、シンドラーとして助けた以上の人数をあの世に送っている御方。今回も息子の敵討ちということで、そういう展開になるかと思いきや、それが全然違う形になっている。たしかにニーソンはいつものように悪党を殺していくが、格闘や銃撃戦といったアクション映画らしい場面は少ない。また、ニーソン主演ではあるものの、同じくらいベイトマンやジャクソンの出番が多い。本作は彼らが演じるコックスマン、バイキング、ホワイトブルという3人の「父親」を描いた群像劇ともいえるだろう。本作はハンス・ペテル・モランド監督のノルウェー映画『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』(2014年)のリメイクなのだが、監督も同作から続投しているセルフリメイク作であり、同時にブラッシュアップ版でもある。本作の成功は事実上の主演3人の演技と、モランド監督のスタイルにあるように思う。


 モランド監督、そして『ファイティング~』の母国ノルウェーといえば、なにはともあれ雪国である。我が国には『北の国から』という国民的なシリーズがあるせいか、雪国に対して「厳しくも優しい大地」という肯定的なイメージがある。だが、その厳しさは想像以上だ。寒いのは本当に良くない。我々日本人的には『北の国から』だけではなく、『八甲田山』(1977年)も念頭に置くべきだ。冬は周囲を雪に覆われ、気軽に外出することもできない。もしも外で道に迷えば死ぬ。なんなら雪かきをミスれば死ぬ。「死」が恐ろしく近くにある環境だが、それでも淡々と平和に日常は過ぎてゆく。地元民は、こうした「死」との近さに慣れなければならないわけで、温暖な気候で暮らす人々と多少のズレは出てくるだろう。ノルウェーを含む北欧で、音楽なら過激なブラックメタル、小説なら陰惨な北欧ミステリーが盛り上がったことは、こうした環境による部分が大きいように思う。モランド監督も同様だ。


 モランド監督は、本作で暴力と死を生々しく、しかし恐ろしくカジュアルに描いてくれる。その凶悪さと滑稽さはオリジナル以上かもしれない。どのキャラクターに対しても常に一定の距離を置いて、まるで定点観測を行っているような突き放した描き方をしている。顔のアップは少なく、登場人物が感情を爆発させるシーンも少ない。とんでもないことが起きているのだが、淡々と物語は進んでいく。登場人物は大真面目だが、それを捉える視点は常に一歩引いている。このため必死に奮闘する彼らの滑稽な点に目がいく。キャスト陣も脚本を読んだ際には、「笑っていいのか悪いのか分からない」という感想を抱いた者が多かったそうだが、それも仕方ないだろう。監督いわく「この映画の可笑しみは『これはコメディですよ!』と喧伝するのではなく、映画の内側から滲み出てくるものでなければならない。それは観客が自ら発見しなければならないことで、好きな時に笑ってくれれば良い」とのことである。いわばボケ倒しのツッコミ不在映画であり、観客がツッコミ役を担う観客参加型映画ともいえるだろう。


 観客にツッコンでもらうスタイルの映画であるから、もちろんボケの種類は多種多様、分かり易いものから細かいもの、残酷系、ベタベタなギャグまで、全編に色々なボケがある。個人的にはバイキングの息子が「小学生くらいなのに父親以上に人間ができている」というギャグが好きだった。息子がイジメを受けていることを知ったバイキングは「やり返せ!」と叱るが、息子は「やり返したら彼らと同類になってしまう」と寛容の精神を見せる。するとバイキングは「プレゼントした『蝿の王』を読んだか? あれを見習え!」と的外れな説教をブチかまし……。他にも、このバイキングの息子の絡みはキラりと輝くギャグが多く、この少年は影のMVPだろう。


 リーアム・ニーソン主演のアクション映画だと思って観に行くと、その期待は確実に裏切られるだろう。だが、「死」が生活の近くにある雪国で生まれたブラックな作品を期待して観に行けば、確実に満足できるはずだ。復讐・仁義・シノギの削り合い……こうした、男の浪漫と美化されがちな要素に徹底的に冷や水をぶっかけ笑う。意地は悪いが、その徹底ぶりが味わい深い。寒い土地からやってきた、冷笑の醍醐味を堪能できる1本だ。 (文=加藤よしき)