2019年F1第6戦モナコGP ルイス・ハミルトン(メルセデス) モナコGPはメルセデスAMGの圧勝になるはずだった。少なくとも予選、そして第1スティントまではメルセデスAMG勢が完全にモナコを支配していた。
しかし11周目にシャルル・ルクレール(フェラーリ)がまき散らしたデブリの処理のためにセーフティカー導入となり、上位勢がピットに飛び込んだところから状況は大きく動いた。
首位のルイス・ハミルトン(メルセデス)だけがミディアムタイヤを履き、後続はすべてハードタイヤ。ピットアウト時にマックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)に寄せられて接触しパンクを喫したバルテリ・ボッタス(メルセデス)も翌周ミディアムからハードに履き替えた。
メルセデスAMGのシミュレーションによれば15~16周目以降のタイヤ交換ならミディアムでも78周目まで保つという計算だったという。しかし実際にレースが再開されるとハミルトンはタイヤのグリップ不足に苦しみ、第1スティントとは全く異なる様相が展開されることとなった。
ハミルトン:質問だ。ジェームス(・ヴァレス/チーフストラテジスト)は本当にこのタイヤで問題ないと思ったのか? スーパースローなペースで走っているのにどれだけ保たせられるか分からないよ
メルセデス:正しくマネージメントできればレースは我々の狙い通りになるよ
後方にはフェルスタッペンがテール・トゥ・ノーズで続き、さらにフェラーリのセバスチャン・ベッテル、ボッタスも連なる。
ハミルトンは左フロントタイヤのグレイニングに苦しんでいた。
ハミルトン:左フロントタイヤがオープンアップし始めたよ
32周目に左フロントのグリップ低下を訴えたハミルトンは、その3周後には再度のタイヤ交換を打診してきた。
ハミルトン:ハードタイヤに交換するチャンスはないのか?
メルセデス:もしピットインするなら当然ハードに換えるが、今のところ大丈夫だ。フェルスタッペンも左フロントに君と同じようにグレイニングが出ているから大丈夫だよ
そこからさらに10周が経過しても状況は変わらない。ハミルトンはチームに対して不満を訴えながら走り、チームがそれをなだめすかすということの繰り返しだった。
ハミルトン:ボッタスは苦しんでいる? それとも(ペースコントロールで)ついてこないだけ?
メルセデス:後続はみんなオーバーテイクが難しいと判断してプッシュしていない
ハミルトン:これは間違ったタイヤ選択だよ
メルセデス:我々はこれが正しいと確信している。(ロマン)グロージャンはソフトでスタートから39周も走行してまだ同じペースで走り続けているから大丈夫だ
依然としてハミルトンの後方にはフェルスタッペンが秒差で続き、ハミルトンにプレッシャーを掛けてくる。ハミルトンはタイヤをいたわりながらなんとか抑え込むという状況が続くが、50周目を迎える頃にはいよいよ左フロントタイヤのグレイニングが悪化してグリップが大幅に低下してしまったとハミルトンは訴えた。
この時点ではすでにメルセデスAMGもミディアムタイヤ選択が誤りであったことを確信していたが、ピットインすれば抜けないモナコでは再浮上の目はない。コース上に留まり、首位のポジションを守り続けるようハミルトンを鼓舞するしかなかった。ミディアムタイヤ選択を決めた最終責任者であるチーフストラテジストのジェームス・ヴァレスも無線で直接ハミルトンに語りかけた。
ハミルトン:これは問題かもしれない。左フロントはもう死んでいるよ
メルセデス:できるだけ引き延ばしてくれ。ピットインはできない
ハミルトン:僕らはレースを失いかけているよ。このタイヤをこれ以上マネージメントすることなんて無理だよ、もう死んでるんだ
メルセデス:前と同じペースで走ることができればフェルスタッペンを後ろにホールドすることはできるよ
ハミルトン:フェルスタッペンを後ろにキープすることはできないよ、ボノ(ピーター・ボニントン/ハミルトンのレースエンジニア)! 見れば分かるだろ!?
メルセデス:大丈夫だ、ここまでずっとフェルスタッペンをホールドし続けてきたじゃないか」
ハミルトン:このタイヤで走らせ続けるなんて何を考えているか理解に苦しむよ。ミラクルを期待するしかないよ!
メルセデス:ルイス、ジェームス(・ヴァレス)だ。君ならやれる、我々はできると信じているよ
ハミルトンはフェルスタッペンからのプレッシャーに晒されながらもグリップのないタイヤをいたわり、首位を守り続けた。目の前のヘイローは自身が被ったヘルメットと同じく赤く塗られ、『Niki we miss you』の文字が刻まれていた。亡くなったニキ・ラウダに捧げるべく、どうしてもこの勝利は欲しかった。それはハミルトンのみならずチーム全員の思いだった。
残り10周を切ったところでレッドブルはフェルスタッペンに“モード7”の使用を指示し、パワーユニットを通常のレースモードよりもややパワフルなセッティングに変更させた。
この無線を察知したメルセデスAMG陣営はすでに6戦にわたって使用し寿命が近付いてきているコンポーネントであるにも関わらずオーバーテイクボタンの使用を許可し、ここぞという場面ではこれを使って防御するようハミルトンに指示を送った。
メルセデス:フェルスタッペンがパワーモードを与えられた。オーバーテイクボタンを使って良いぞ
ハミルトン:あぁ、それは良いニュースだね
ハミルトンから返ってきたのは、さらに状況が苦しくなるのかという嘆きを含んだ皮肉の言葉だった。
ミラボーからフェアモントでは急激にスピードを落とし、フェルスタッペンを惹きつけておいてから、相手が苦手とするポルティエで引き離す。フェルスタッペンはピットストップ時にトルクマップを戻し忘れており、スロットルペダルがオンオフスイッチのような状態で走っていたからだ。
ハミルトンはモナコで唯一と言って良いヌーベルシケインで仕掛けられないよう、その手前のポルティエからの立ち上がりに全神経を注いでいたのだ。
76周目にフェルスタッペンが強引にインに飛び込もうとしたが、その動きは遅すぎた。すでにターンインを開始していたハミルトンはすんでのところでクラッシュを回避して首位を守り、そのままチェッカードフラッグを受けた。
「よくやった、ルイス。これはニキに捧げる勝利だ。ニキのためだよ」
レースエンジニアのボニントンに続き、ヴァレスもハミルトンの労をねぎらった。
「ジェームスだ。本当に素晴らしいドライビングだった。君以外の誰にもできない、これ以上ないドライビングだったよ」
そしてトト・ウォルフ代表も「よくやってくれた、ニキのための勝利だ。信じられないほど素晴らしい勝利だった」と言葉を重ねた。それにハミルトンもしみじみと返した。
「彼はまさに僕らの歴史を作ってくれた人だ。この勝利はニキに捧げるよ」
チームはミスを犯したが、それをハミルトンが腕でカバーし、チームも精神的な支えとなってそれをサポートした。チーム全員の力で勝利をもぎ取り、この世を去った盟友であり恩師であるラウダに最後の孝行を捧げたのだった。