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中丸雄一と向井理の異なる仕事観 『わたし、定時で帰ります。』は変わり続ける時代の美徳を描く

2019年05月29日 12:21  リアルサウンド

リアルサウンド

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 「俺が働いてたころとは、時代が違うんだな」


 連日の残業、休日返上の接待ゴルフ、家族よりも仕事優先の日々に、文句一つ言わずジッと耐え抜く……東山結衣(吉高由里子)の父は、そんな働き方を「日本の会社員の“美徳“」と語った。夫は仕事のことだけを考えていればいい、家や子どものことはすべて妻にお任せ、という夫婦像が“当たり前“とも。


参考:中丸雄一のフラットさに隠れる真相とは? 『わたし、定時で帰ります。』ハッキリと見えた巧の本音


 『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)の第7話で見えてきたのは、父と娘の幸せを巡るすり合わせだった。家族旅行も一緒に楽しめなかった父に、寂しさを抱き続けてきた結衣は「お父さんみたいな働き方は絶対しない」と反発。日本の会社員の“美徳“と言われた日常的な残業にも、慣習的な付き合いにも「No」と言い続けてきた。


 そして、母もまた結衣と同様、そんなパートナーに寂しさを感じていたのだろう。このやるせなさも、定年退職まで。きっと、そのあとはゆっくりと夫婦水入らずで過ごせるはずだと思っていたのに、仕事人間の父は変わらなかった。相変わらず付き合いを優先し、妻の誕生日を忘れてゴルフ旅行へ。我慢の限界に達した母は父に、熟年離婚を突きつけて家出してしまうのだった。


 突然降り掛かった、両親の熟年離婚騒動は家庭的な恋人の巧(中丸雄一)との結婚を間近に控えた結衣にとって大きなストレスになっていく。男性がキッチンに立つことは結衣にとっては“当たり前“だが、父がキッチンに立てば消防車が出動する大きなボヤ騒ぎに。電子レンジや電気ポットの使い方も、生活に必要なものがどこにあるかもわからないと、ひっきりなしに連絡が来る。


 その連絡頻度の高さを見て、定年前の仕事ぶりが目に浮かぶようだった。おそらく、そんなふうに相手の状況を想像する間もなく仕事の連絡もしていたし、されていたのだろう、と。そして、仕事とはそういうものだ、と疑いもしなかった。なぜなら、今よりも転職に対するハードルも高く、定年まで同じ場所で働き続けることが“常識“とされてきたから。


 もちろん、そうしたモーレツ社員的な働き方のおかげで、日本の経済は大きく成長した。年頃になれば寿退社をして、専業主婦として子どもを産み、育てることが「女の幸せ」と呼ばれた結果、出生率も今より高く保たれていたのも事実。日本社会としては成功と呼ばれるスタイルだったかもしれない。だが、どんなことにもメリットとデメリットがあるように、それぞれの家庭に満たされない思いや、取り戻せない時間があったことも確かなのだ。


 時代は常に流れていく。ちょんまげ姿で日本刀を携えていた時代と、スーツにネクタイ姿が明らかに違うように、さすがに100年、200年と経てば「時代が違う」と認識しやすい。だが10年、20年では、どうだろうか。年齢を重ねれば、10年、20年なんて、ついこの前のような感覚になってしまうし、それまで正しいと思っていたことが、今日から急に「時代はもう変わっています」と言われても、なかなか受け入れるのが難しいのではないだろうか。


 しかし実は、毎日どこかで小さな改革が行われ、時代はある日突然ではなく気づかない速度で変わり続けている。結衣が「残業をしない」と決めて仕事の効率化を図り、その仕事ぶりを見て育った来栖(泉澤祐希)が、定時で帰ることが“当たり前“となるように。そんなふうに働く人が、高く評価されれば、効率的に働くことこそが“美徳“へと変化していく。


 もちろん、そうした一人ひとりの小さな改革が全て正しいとも言えないし、これまでの大きな社会の常識が全て悪とも言い切れない。だからこそ、メリットとデメリットを理解しながら、周りとどんなふうに生きていくのかをチューニングしていくのが人生だ。


 夫の言い分、妻の不満、子どもの想い、上司の当たり前に、部下の新たな視点……それぞれが奏でる本音に不協和音がないかと、注意深く耳を傾けること。お互いの言い分を聞き入れ、見過ごしてきた時代の違いを理解し、それぞれの個性を活かしながら、気持ちよく共鳴できるように、調和していくことこそ本当の働き方改革なのかもしれない。


(文=佐藤結衣)